涸沢を後にした吉祥丸一行。きつい下山になるかと思いきや、意外に足取りは軽かった。最初の方こそ残雪があったが、踏みしろはしっかりしていて危険はなかった。そしてものの10分ほど下っただけで、もう雪は消えていた。あとはいつもの調子で下るだけだった。もともと危険な箇所はないので雪さえなければこっちのものだ。雨は相変わらず降っていたが行く手を遮るようなものではない。
しばらくすると完全防備だった息子も汗をかくほどに。乾いた足が幸いしたのかいつもより速いペースで下っていく。うっかりするとついていけないくらいに速い。
やはり人が多く、ところどころで渋滞している。へたをすると数分も立ったまま待たなくてはならないこともあった。息子も娘も文句も言わずに黙々と下り続けた。
そのうち女チームと吉祥丸と息子の男チームの差が開きだした。息子はどんどん先に行きたがる。しょうがないので息子のペースに合わせた。が、これが速い。ほとんど早足の感覚だ。
息子は前を歩く山慣れしたような人のハイペースにくっつくようにして歩くのだが、これが重いザックを背負う吉祥丸にはきつい速さなのだ。
本谷橋を越え、横尾までの平坦な道になるとなおスピードが増した。息子の歩幅は吉祥丸の半分くらいだろうに、なんであんなスピードが出るのか不思議でならない。最後は「ちょっと休憩するか」という父の泣きまで入ってしまった。でも、結局、横尾まで休まず、下りきってしまった。
横尾到着15時5分。涸沢から約3時間弱かかった。混んでいなければ2時間半で着いたろう。
さて、ここでまた問題発生。上高地到着が遅くなってもタクシーなら沢渡まで帰れると思っていたが、横尾山荘で問い合わせたところ、「6時半でタクシーは終わり。ゲートが閉まってしまうから」とのこと。ということはあと3時間半で上高地から脱出できなくなるということだ。しかもまだ女チームは来ない。あと20分はかかるだろう。ということは今日中の上高地脱出は難しい。ならばここでもう一泊しようか。
ただ、レインウエアを脱ぐと下に着ていたフリースがびしょびしょだった。しかも午後のこの時間になると急に寒くなってくる。雨はやんでいたが、寒さに加えて濡れたウエアはまずい。しかも替えのウエアはないのだ。一瞬だが自分の身の危険を感じた。この後、テントの中で寒さに震える自分を見た思いがした。
まいったなあ、と思っているうちに女チームが帰還(?)した。15時半。
2人に7時にゲートが閉まってしまうこと。だからタクシーは6時半までに乗らないとならないこと、ここから上高地までは早くて3時間はかかること、などを説明し、「だから今夜はここに泊まろうか」と言ったのだが、娘はすかさず「今日中に帰りたい!」と強行に主張した。
考えてみれば我々は昼食を食べていない。今から食べたら絶対に間に合わない。今日中に帰るということは、昼食も食べずに今すぐ歩き始め、さらにこれまで以上の普通の大人の歩くペースで歩かないと間に合わないということだけど、できるのか、と娘に迫ると、「がんばる」という。それほどここを脱出したいのだとわかって少々、というかかなりショックだったが、吉祥丸としても体温低下を懸念していたこともあり、できるのなら今日中に帰宅したいという思いはあった。
妻も娘の意見に異議を申し立てない。息子もOKだった。
そいういわけで疲労+空腹+タイムリミットとの戦いが始まったのだった。
行きは確か上高地~横尾に5時間かかっている。3時間で歩くにはだらだらヒンヒンはもってのほか。ひたすら歩くしかない。
5時半を過ぎたら辺りは真っ暗になるだろう。吉祥丸はヘッドランプをすぐ取り出せるポケットに入れなおし、準備万端で出発した。
いきなりハイペースで歩く。が、このペースは息子でさえついて来られなかった。娘はなおさらだ。でも、彼女のペースに合わせていたら絶対に今日中に帰れない。早めのペースを示すことで、彼女が自分で自分のペースを上げることを期待した。
徳沢には45分で着いた。かなりのペースだ。
休憩もそこそこに出発する。徳沢には平らな芝生の上にテントがぎっしりあった。涸沢の条件の悪さを考えると、徳沢のキャンプ地は天国のようだ。
明神までは1時間かかった。ここの山荘で電話を借りて、タクシー会社に予約をしておいた。「6時45分までは着いてくださいね」と念を押された。後で聞いた話だが、ゲートが閉まってからどうしても下に行きたいときは、あらかじめ沢渡からゲートの手前までタクシーを呼んでおき、そうした上で上高地からタクシーでゲートまで行って、そこで呼んでおいたタクシーに乗り換える、という方法を取るのだそうだ。そうしないとゲートを厳格に閉める意味がないというのである。その意味とは、上高地への不法潜入であり、不法採取であったりする。勝手に入れないようにゲートを厳格に守るのであった。明神に着いたあたりから暗くなった。息子にヘッ電を渡す。ヘッ電は2つしかない。ここからははぐれないように4人固まって歩くことにした。
6時半まであと1時間15分ある。みんな疲れていたが、あと一踏ん張りは出来そうだ。今日中の上高地脱出の目処がついた。なんとかなりそうだ。
つづく(^^;)