
なぜ富士山だったのか。登った後で考えてみると、やっぱり日本一高い場所に家族で立つ、という経験がしたかったのだと思う。
いつもどこかで目に入る富士山。マンションの廊下や駅のホームや行楽地や他の山からも見える。そんなとき、ああ、あのてっぺんに登ったんだなあ、と思えるのは家族それぞれにとって自信にもなるし、そのたびに登頂の喜びがしみじみわき上がってくるようで非常に意義のあることに思えたのだ。
幸いにも登山の経験は低山ながら積んできた。装備も充実している。ネットには溢れるほどの情報もある。子供たちの体力的もたぶん大丈夫だろう。そんなこんなで、よしやってみるかと思い立ったのが今年の初めごろかな。以来、富士登山のシーズンにあたる7月の平日に休みの取れる日(1日しかない!)に目標を定めて計画を練ってきた。
混んでいるのが嫌だったので平日にしたのだが、1日しかないということはその日の天候が悪かったら(しかも梅雨の真っ只中)、この計画は頓挫してしまう。なんとも脆弱な計画なのだが、そこは結構楽観的で「多分晴れるだろう」なんて軽く考えていた。
結論から言うと天候には恵まれた。雨には降られなかったし(霧には囲まれた。下方からものすごい勢いで押し寄せてくる霧を口を開けて飲み込んだりした。ひんやりしてうまかった)、3460mから障害物なしで下界も見られたし、夜景もご来光も抜けるような青空や真っ白な入道雲も見られた。じつは吉祥丸と娘は「晴れ男女」なのだ。でも、これは幸運だった。翌日からまた梅雨の天気に逆戻りしたので。まさに梅雨の晴れ間の一点をついて登れたのである。
天候とともに最後まで気がかりだったのが高山病だ。これは酸欠によって起こる病気、というか症状で、主に頭痛、眠気、吐き気、嘔吐、あるいはそれら全部が現れる。有効な治療法は唯一下山することで、酸素缶(一応用意したが)などでは気休めにもならない。
結論から言うとみんな高山病になった。が、妻はわずかな症状しかなく軽かった。娘は2日目の朝に「気持ち悪い。もう登れない~」と訴えたが、二度寝すると治った。吉祥丸も1日目の夕方から頭痛に悩まされたが、娘同様二度寝で治った。最悪だったのが息子。夜中に何回か起きて苦痛を訴えた。翌日も気持ちが悪いらしく不機嫌なまま。朝はご来光も見られず吐いた。吐いたと言っても昨晩から何も食べていないので胃液くらいしか出ない。
というわけで結論から言うと、登頂できたのは妻と娘だけ。吉祥丸と息子は無念の(息子はそうでもなかったが)下山となったのだった。
高山病に関してはしつこいくらいにネットや本で勉強したのになあ。だから登頂できなかった悔しさよりも、収集した情報を生かせなかったことのほうが何倍も悔しかった。富士山登山のプランナーとして失格だったなと思わずにいられない。登山責任者としては全員を無事に登頂させることが最大の責務だろうから(あ、いや違うか。全員を無事に帰還させることが最大の責務で、そのあとに全員の登頂があるのですね)、しかし吉祥丸はその計画においてしくじった。
この続きはまた。いつ書けるかわからないけど(^^;)
(この記録は徒然に書いているので通常の登山記録とは違います)
(写真は5合目=2400mの駐車場。日本一高い駐車場かな? エス丸も緊張気味?)