金曜日, 10月 27, 2006

リコーダーコンクール


涸沢の試練はまだ続くが、先日娘のリコーダーコンクールに行ってきた。
9時には出発していたので吉祥丸としては遊びを除けば異例の早さだ。

コンクールは小学生の合奏の部が約1時間ほど。これで終わり。娘はクラブの仲間と3曲吹いた。
吉祥丸は素人だが、親バカを極力排除してもそれなりに、いや結構うまかったと思った。
彼女たちに先立って合奏した私服チーム(どこかの小学校がバラバラの服で吹いていたのでそう呼んだ)もかなりのレベルだったので、いい勝負だと思っていた。

結果は後日知らされたが、なんと最優秀賞!

いやこれには驚いた。娘がそんな栄誉ある賞に輝くとは正直思っていなかったので、なんか自分のことのように嬉しかった。息子が運動会の50m走で1等賞を取ったときと同じようなジ~ンとこみ上げるものがあった。なんか、自分の手を離れた子どもたちが彼らの手で掴んだ栄光、というものが嬉しかったのだ。吉祥丸があれこれ手を焼いて、それで掴んだものは、父親としての自己満足はあるものの、本当の意味で子供の実力とも言えないような気がする。
今回の娘の快挙は、娘が自分でやりたいことを自分で選んで自分で仲間とともに練習し、先生の教えを聞いて掴んだものだ。

なんかすごいなって思ってしまったのである。

おめでとう!娘よ。

土曜日, 10月 21, 2006

涸沢の試練 その6


暴風の音と暴風がテントを揺さぶる音に妻も目を覚ました。「凄いね」と言い合う。だからといって他にすることもない。できることもない。妻はまた寝てしまった。このあと妻はやはり凄まじい暴風の音で何度か目を覚ますが、また寝てしまう。眠れる妻が羨ましかった。

明け方になってきたのか、冷え込みが一層厳しくなったのが感じられるようになった。 ダウンの下はTシャツ1枚。まだ乾いている長袖のシャツがあるはずだが、どこにあるかテント内を探すのは億劫だ。自分で自分を抱くようにして寒さをしのぐ。
足元は結露で濡れているし、そもそも縦長のテントに対し、横に寝ているため、足がつかえてしまう。膝を立てて横になっているのだが、これが非常に窮屈だった。
それでも、自分のことはあまり心配にはならない。震えがくるほどの寒さではないし、足が伸ばせないくらいは大したことではない。今ヒュッテに泊まっている人たちの窮屈さに比べれば…。たぶん、布団1枚に3人、いや今日の混雑からすれば4人ということもありうるだろう。暴風雪の恐怖からは免れるが寝苦しさはこちらの比ではないはずだ。

子供たちの様子が気になって何度も体温を確認した。息子はマット1枚で寝ていてそばには濡れたザックがあったので冷え切っていないか心配になるのだ。娘が陣地を占領するものだから、息子は下手をするとマットから外れて直にテントのシートの上に寝てしまうこともありえた。そうなると地面の冷たさがダイレクトに伝わってしまう。しかも息子は爆睡しているのでその冷たさに気づかないかもしれない。そうこうするうちに冷え切ってしまって…。そんな不安が頭をよぎるので、しょっちゅう息子の位置を確認したりマットの中央に戻したりした。

娘はパタゴニアのジャケットに体をくるませるようにして寝ていて、シュラフがずるずると下がっている。寒そうだが、シュラフを上げるのは大仕事で、息子同様爆睡している娘を相手にそれを行うのは至難の業だった。とりあえずは大丈夫そうなので、できる範囲でシュラフをずり上げるという作業を何度か行った。

風は相変わらず一定の間隔で吹きすさんでいた。そして、ひときわ強い突風が吹いたとき、何かの塊がテントの上からドサッと落ちた。雪の塊だ。よく目を凝らすと風がモロに当たっているテントの壁面に雪がへばりついているのだ。もちろん上部にも積もっており、それが重みと風の強さで落ちたのである。いよいよ大変なことになったな、と思った。いったい外はどんなことになっているのか。見る勇気はなかった。この日のことを誰かが(この時のカールのどこかのテントに泊まっていた人だ)ブログでこんな風に書いていた。

<テントの換気口から外を見ると一面が真っ白な世界。見なかったことにしてまた寝た>

笑ってしまったが、確かにこの現実はどうしても認めたくないほどひどいものだった。 ふと思いついてテントの入り口のジッパーを開けてみた。恐る恐る前室の様子を伺う。前室と地面には10センチほどの隙間があるのだが、そこが雪で埋まっていた(ToT)

当然ながら登山道も雪で埋まっているはずだ。朝になって気温が上がればすぐに解けてしまうだろうが、逆にこの悪天候が続けばさらに積もってもはや脱出不可能になるのでは、などと考えてしまう。いや、でも絶対に下山する人はいるだろうし、大勢いれば雪はなくなるかも、などとも考える。こんなことを繰り返し考えながら時間をつぶした。


唐突に、ホリエモンならどうするか、なんてことも考えた。暇なもんで。ま、ホリエモンが好き好んでこんなところに来るとは思えないが、まあ、それは置いておいて、彼ならこの事態をどう切り抜けるか。金を使ってね。ホリエモンならヘリを呼ぶだろう。当然民間のヘリだ。明日、ヘリが飛べるような状況になったらすかさず部下に命じてヘリを飛ばさせる。涸沢小屋の横のヘリポートに着陸させ、あとは全ての道具をヘリに積み込んでさっさとこの場を後にするだろう。そうして六本木ヒルズの屋上にあるヘリポートまで一直線だ。時間にして約1時間か。あとはエレベーターで降りるだけである。
200万くらいかかるだろうが、彼にとっては痛くも痒くもないだろう。
沢渡に置いてある車は部下かアルバイトに取に行かせる。10万も出せば喜んで取ってきてくれるだろう。金があればそんなことも可能か。
ここに閉じ込められて生死の淵をさまようことと比べると、やはり地獄の沙汰も金次第なのかも…。
ま、それでは自力で下山するという喜びというか、このピンチを自力で切り抜けたという満足感みたいなものは得られないだろうし、そんなことするやつは山屋ではない、と蔑まれるだろう(蔑まれてもホリエモンは動じないだろうが)。
なんていうことを徒然に考えて過ごした(よくもまあくだらないことを考えるよなあ)。

その間も暴風雪は吹き荒れていた。やがてテントの外がゆっくりとだが明るくなってきた。だが、風は止む気配はない。それでも夜が明けたとなると、活力が沸きあがってくる気もした。

さて、今日はどうするか。というよりどんな一日になるのだろうか。

金曜日, 10月 20, 2006

涸沢の試練 その5


娘の「デスノート」を半分ほど読み、持ってきたバーボンをほとんど飲んでしまうと次第に眠くなってきた。9時頃だったか。ランタンの灯りを消し、ヘッドランプも消していよいよこの辛かった一日に終止符を打つべく眠りについた。
息子のシュラフを腰まで上げ(小さくてそこまでしか上がらない)、ダウンのジッパーを一番上まで上げて横になる。

数時間は眠ったろうか。

突然の風の音で目が覚めた。涸沢はカール状になっていて、その下部は沢に沿って谷間になっているのだが、その峡谷の方角から地鳴りのような轟音がしたのだ。なんだなんだ、地震か落石か?風の音?という思考が働いたその刹那、轟音の主がテントを襲った。まるで特急電車が至近を通り過ぎたような轟音と風でテントを揺るがした。ポールがしなり、フライがはち切れんばかりにはためく。前室のフライも風に翻弄されるように音を立てて暴れた。

一瞬、何が起ったのかわからなかったが、天候が悪化していることだけはわかった。風は、吹き荒れている、というより、一定の時間を置いて谷から山頂へ吹き抜けていく感じだった。約1分おきに20秒ほど吹く、そんな感じだ。吹くときは先に書いたように谷底から怒りに満ちた地鳴りのような音響があり、その数秒後に我がテントを襲う、というパターンだった。だが、吉祥丸は何をすることも出来ない。外に出て引き綱のテンションを確認しようとも思ったが、この暴風と寒さの中に出ていくのは正直嫌だった。まあ、ドーム型のテントは風に強いし、モンベルだからポールもフライの生地も頑丈だろう、などと自分に言い聞かせるようにしながらテントがもつことを祈った。

それでも何度かひどく力強い暴風にテントが軋むと、これはやばいのではないか、と思った。4人が入ったテントごと飛ばされることはないにせよ、ポールが折れたらおしまいだ。テントはぺしゃんこになり、最悪、この場から逃げなければならなくなるかもしれない。本当に最悪の場合はヒュッテに逃げ込むとしても、そこまでの距離をどうやって行くのか。自分はまだしも、ふかふかでぬくぬくのシュラフで寝ている子供たちのことを思うといたたまれなかった。何とか持ってくれよなあ。風もそろそろ止めよなあ。そんなことばかり考えていたらもう眠るどころではなくなってしまい、でも他にすることもなく、ひたすら一定のリズムで繰り返す暴風を恨めしく思いながら、横尾で泊まっていたら…などと後悔するのだった。


風は、だが吹き続けていたわけではない。ときおりパターンを外れて止むときがある。風が止むとあたりはシーンとなって、ああ、終わったのかも。さっきの風が最後で、今もしかしたら頭上には雲の切れ間が広がり、みるみるうちに星空が顔を出し、明るい月光がこのテント場を照らし始めているのではないか、そうして明日はモルゲンロートが拝め、予報通り晴天になるのでは、などと思ったりした。だが、思考がそこまで進むと、決まってそんな考えをあざ笑うかのように例の地鳴りが遠くで響くのだ。そして数秒後に、今度はそんな甘い考えをした罰だぜ、とばかりにこれまでで一番力強い暴風がテントと吉祥丸を翻弄し、ビビらせるのである。

そのまま何時間経ったろうか。妻の携帯の電源を入れて時間を確認する(この山行で吉祥丸は大事な石と時計を忘れてしまったのだ)。

1時半!

もう4時頃にはなっていると思った吉祥丸は一気に落ち込んだ。あと何時間こんな思いをしなければならないのか。

しかしなあ、テン場にはテントが200以上はある。これだけの風が吹いているのだから、一個くらいは張り綱が甘かったりしてぺしゃんこになったり吹き飛ばされたりするのもあるのではないか、などとも考えたが、とても人様のことを心配している余裕はないのであった。


そのうちテントに打ち付ける音が変わった。サラサラシャリシャリという乾いた音だ。そう雪である!本格的に雪が降ってきたのだ。

積もるのだろうか。積もったらどうやって下界に降りるのか。アイゼンなんて持っていない。そもそも雪のシチュエーションなど想定外だ。
だが、そもそも、冬山の装備もなくこの時期に入山すること自体無謀だったのかも。装備もなく、雪に閉ざされたこの状況って、もうすでに遭難しているんじゃ…。

暴風雪に叩きつけられた吉祥丸の思考は限りなくネガティブになるのであった…。

恐怖の長い夜はまだ明けない…。

火曜日, 10月 17, 2006

涸沢の試練 その4


娘は本気で泣いていた。
涸沢カールのど真ん中、暴風雪に吹かれながらわんわん泣いていた。
いったんヒュッテで休んだあと、再びこのすさまじい風雪の中に駆り出されたのだから、ショックと寒さで辛かったのだろう。娘が登山中に本気で泣くのは当然ながら初めてのことだ。
可哀想に思いながらも吉祥丸はとにかく早くテントを設営するしかなかった。

辺りは次第に暗くなってきた。
場所を決めるとザックを降ろし、グラウンドシートを探す。が、見つからない。焦る。一瞬グラウンドシートなしで設営するかとも考えたが、浸水や寒さや岩のゴツゴツ感解消など、あとあとのことを考えるとやはり必要だろう。落ち着いて、もう一度探した。あった。すかさず広げる。続いてテントを引っ張り出して広げた。思ったより風で飛ばされなかったが、突風が一回でも吹けばどうなるかは容易に想像できた。

ポールをテントにはめ込み立ち上げる。これが出来れば設営はほぼ完了だ。妻と息子に手伝ってもらう。妻が要領がわからずにいると息子が「こうするんだよ」と教えていた。先にも書いたが、この時息子はTシャツの上にフリース一枚、その上にレインウエアという薄着だった。外気温は0度前後だろうし、この風雪では体感温度はもっと低かったろう。良く元気でいてくれた。感心し、頼もしく感じると同時に再び申し訳ない気持ちになるのだった。

テントが立ち上がると、泣いている娘を先頭に中に入らせた。強風に対する重しにするためであり、彼らをその強風から避けさせるためである。思いザックも中に放り込んだ。これで少しテントが安定した。あとはフライをかけて、引き綱で固定すればOKだ。

不思議と吉祥丸は寒くなかった。手はかじかんでいたけど。
でも、テントの中では相変わらず泣いている娘の声と、寒さ寒いと言っている妻の声が聞こえた。この時妻は歯が鳴って仕方がなかったらしい。確かにマットもシュラフもないテントの中では風はないものの地面の冷たさが直に伝わってくるのでかえって寒かったのかもしれない。

そのうちマットを引き、シュラフを出し、着替えが終わったのか、テントの中も落ち着いてきたようだ。

吉祥丸もなんとか引き綱を張り終え、テントの中に潜り込んだ。「お疲れ様」と妻。妻はまだ着替えていなかった。子どもたちは一番暖かいシュラフに2人で入ってマンガを読み始めている。娘もようやく落ち着いたようだ。妻が「寒い」という。着替えていないのだから当然だ。早く着替えるように言って自分もぬれた雨具を脱いだ。
着ているTシャツも脱ぎ、乾いたTシャツを着る。ダウンジャケットを出してその上に着た。吉祥丸はこれで何とか寒さはしのげた。このダウンは持っていこうかどうしようか迷った物だったが、持ってきて助かった。余計かなと思いながらもまさかのためにと思って持ってきて助かった衣類は他にもある。今回はそういう面ではなぜか用意周到だった。スポーツタオルや息子のスパッツなど、また、面倒くさい思いをしながらもシュラフや着替えを全てビニール袋に入れておいたので、濡れずに済んでよかった。これらが濡れていたら本当に死活問題だった。

妻も着替えを済ませると、何とか人心地つき、吉祥丸も夕飯の支度とビールを飲みたいという余裕が出てきた。

テントの中は外と別世界で、風雪は静かで(この時の風雪は単なる序章に過ぎなかったのだ)、乾いた衣類が気持ちよく、次第にぬくぬくしてくると、活力が湧いてくるようだった。


さらにあたりはすっかり暗くなっていて、テント内もヘッドランプだけの明かりだったのでランタンに火を灯して前室に置いた。テント内が一気に明るくなる。暖かい、サラサラと乾いている、明るい…これらがいかに重要かを身にしみて感じた。逆にこれらが失われると、人間というのはあっという間に活力を失うんだなあ、と思った。

そうなると現金なもので腹が減ってきた。
さっそく夕飯の用意をする。キャンプ一日目の夕飯は豪華にちゃんこ鍋。そのために重い材料を運んできたのだ。でも、この状況ではキャンプ初日に乾杯!とはいかないけど。

食事が出来るとみんなで食べた。子どもたちも意外に食欲があった(これだけの行程をこなしたのだから当然か)。
吉祥丸はビールから焼酎へ。うまいねえ。これで明日は晴れれば言うことないな、なんて思っていた。まったく考えが甘いのだ。

温かい食事をとると体もさらに暖まり、ようやくほっとできた。涸沢までの道のりではテント設営→夕飯の用意と、憂鬱になっていたが、それらが全て終わってあとは酒を飲んで寝るだけである。リラックスできない方がおかしい。今日の反省などして…、あ、そういえば今思いだした。テントで人心地ついたとき、吉祥丸はみんなに謝ったのだった。「今日はこんな登山になってしまってごめん。パパの計画が余った。これからはもうこういう計画は立てないよ」。今はのど元過ぎて忘れてしまったが、この時は本気でもう低山だけにしよう、なんて思っていたのだ。そういえば、登りの途中で娘がヒンヒン言っていたときにも「ごめんな。これで最後だから。もう無理矢理山には連れて行かないよ」と言っていた。心底そう思ったのだ。吉祥丸の勝手な思いでこんな苦行に付き合わされる子供や妻の気持ちを思うといたたまれなかった。最初から乗り気ではなかった娘にとってはなおさらだろう。そんなわけでこれで最後、宣言をしてしまったのだ。娘はその言葉に驚いていたようだが、それで元気を出して歩きだしたの事実だ。もっとも、あとから「あと一回くらいは登ってもいいよ」なって言ってくれたけど。吉祥丸も今では「ま、あと2~3回は行けるかな」なんて思ってるけど。


さて、しばらくするとみんな疲れたのか眠りに入った。息子は最後までヘッドランプでマンガを読んでいたが、そのうち寝てしまった。吉祥丸はなんか寝られず、ヘッドランプとバーボンを片手に娘の「デスノート」を読んだ。あたりは静かで、とりあえず今日の予定は全て終わっており、バーボンはおいしく、ほどよい酔いが全身に回っている。大変だったど、今のこの時間は何とも贅沢で充実しているなあ、楽しいなあ、などと思っていたのだった…。

山の神が怒り狂ったようなさらなる暴風雪が吹き荒れるのはその数時間後だった。

日曜日, 10月 15, 2006

涸沢の試練 その3


本谷橋から涸沢までの約3km、700mの登りは、これまでの登山の中で一番きつかった。
まずザックが重い。雨がいやらしい。加えてこれまで9km歩いているので疲労も蓄積されている。それよりも何よりも不安が大きかった。
何時間で着くのかが読めないのだ。1時間半なのか、誰かが言ったとおり3時間かかるのか、真っ暗になったらどうやってテントを張ろうか、それよりそもそも登り切ることが出来るのだろうか。
こんな不安とともに登ったのは初めてだ。

富士山の時と同じように一歩一歩、短く、しかし確実に登っていく。

行程の多くは息子と登った。息子は比較的元気だった。途中で手が冷たい、と訴える。触ると氷のようだ。さすったり息を吹きかけたりする。どうやら雨具の下はTシャツ1枚のようで、これじゃあ、冷えるわけだ。すぐさま長袖のフリースを着させる。そして吉祥丸のフリースのグローブを出してはめてあげる。大きくてダボダボだが、寒いよりはましだろう。少し元気が出たようだ。

吉祥丸は素手だった。
吉祥丸は歩くとすぐに末端まで血液が循環して手足がポカポカしてくるのだが、子供や妻はそうではないらしい。保温に気を使わなければならないのである。

今思ったが、結局、息子はTシャツにフリース1枚、その上に雨具という格好で、涸沢の吹雪の中、テント張りを手伝ったのだった。もう1枚着させるんだったなあ。またもや後悔。


娘と合流したときに案の定、またヒンヒンが始まった。すると通りがかりのおじさんが励ましてくれ、酸素を提供してくれた。少し長めに補給させてもらう。これで気分的にも楽になったのか、少し元気が出たようだった。このおじさんは涸沢に着いてからも何かと気をつかってくれたそうで、ほんとに頭が下がる思いだ。この場を借りてお礼を言います。ありがとうございました。

登りは相変わらず辛かった。苦しい、と言った方が正しいか。特に息子の手袋を直したときにストックを忘れたと思って引き返したときが最悪だった(実際は娘が持っていた)。下って探して見つからず、再び登り返した。ここでちょっと焦ってスピードを上げたため、左右の腿の上部が悲鳴を上げた。違和感とともに痛みが伴い、ヘタに力を入れるとつりそうになってしまったのだ。
こうなると俄然スピードが落ちる。先を行く妻や娘、ちょっと前の息子のスピードに全然ついていけなくなって、あとは一人で登ることになった。

雨は止まず。ザックはびしょびしょ。腿は爆弾を抱えているようで、怖々前に進んでいる感じ。
最悪ビバークすることを考え、テントを張れる場所を探しながら歩いていた。

S出しのガレ場でヒュッテが見た。見えてからが長い、とガイドブックには書いてあったので、見えても嬉しくなかった。ただ、着実に進んでいるんだということは感じられた。

10歩くらい進んでは立ち休み。それを繰り返しながら登った。幸いこの日は登山者が多く、いくら吉祥丸が遅くても、後方には後から登ってくる登山者が絶えなかったので、その分不安は軽減されていたと思う。

段差は激しくないものの、登りは延々と続く。平坦な箇所はない。常に登りだ。立ち休みをするといくらか回復するので、それを繰り返しながら何とか登っていった。

息子の姿が15mほど先に見えるがとても追いつけない。とにかく早くテン場についてテントを張って休みたかった。ヒュッテについても雨の中テントを張る作業が残っていると思うと憂鬱になった。

そのうちまたヒュッテが見えてきた。今度はかなり近い。もうすぐだもうすぐだ、と自分に言い聞かせながら登る。
やがてヒュッテまでの道のりがすべて見渡せる場所まで来た。直線にして200mほどか。しかし最後の急登だ。立ち休みの頻度を上げながら登る。

と、雨が雪に変わっているのに気がついた。雨具のフードに当たる音がサラサラという乾いたものになった。雪!嘘だろう、という気持ちだった。この寒さ、高度、時期からすれば確かに雪が降ってもおかしくないのだが、吉祥丸が登っている今この時に降らなくても、と思うのである。だが、無情にも横殴りの雪が目の前にあった。


だが、ここまで来たのだから仕方ない、テントを張りさえすれば人心地つくはずだ。
ふと上を見ると妻と娘の姿が見えた。
彼女たちはもうすぐ着くだろう。俺を待っているはずだ。早く行かなきゃと思うのだが、やはり一歩一歩しか進めない。最後は数歩ごとに立ち休みした。

そしてとうとう…。

ヒュッテ到着!「パパ、こっちこっち、早く!」息子が待っていてくれた。時間はわからない。見ている余裕などなかった。たぶん、5時過ぎだったと思われる。
しかし、ゆっくりなどしていられない。すぐにテントを張らなければならないのだ。

と、ここで息子が建物の陰に消えてしまった。建物の中に入ったのかなと思ったが、吉祥丸はテン場に向かった。すぐにテントを張らなければならないからだ。

が、テン場は何百というテントで埋め尽くされ、はるか遠くに行かなければ設営する場所がなさそうだった。そして、テン場はまさにふきっさらしの場所なので、これまでの数倍の強さの風雪が吹き荒れていた。3人は見つからない。たぶん小屋の中にいるのだろう。呼びに行かなければ来ないかもしれない。

まったく、この時の気分をなんと例えればいいのか…。

3人は来ないし、あまりにも風が強いので、実はこの時、テント泊をあきらめ、小屋に素泊まりすることにしたのだった。

テン場を後にし、小屋に戻る階段を登っていると、3人が顔を出した。やはり小屋の中で待っていたのだという。しかも妻は吉祥丸のために涸沢名物のおでんを買っておいてくれていた。しかし、いくら待っても吉祥丸が来ないので慌てておでんを平らげ、外に出てきたというわけだった。あの辛い登りのあとで、なお吉祥丸のことを気遣ってくれる妻にはほんと頭が上がらない。しかも、妻はことあるごとに(登り着いたときやテントを張り終えてテントの中に入ったときなど)、ご苦労様、大丈夫?と気遣ってくれた。こんな苦行に連れ出した張本人になぜこんなに優しいんだろう、と思うのである。そしてただひたすらに感謝するのである。
3人の姿を見たら、やはりテントを張ろうという気持ちになった←ころころ変わるなよなあ

そうして、いよいよ暴風雪の涸沢のまっただ中で合流した吉祥丸一家は、とにもかくにも、テントを張るのであった。だが、このテント張りの15分ほどが、この最悪の山行のなかで最も苦痛に満ちた時間となるのだった。

金曜日, 10月 13, 2006

涸沢の試練 その2


横尾までは娘もヒンヒン言いながらもなんとかついてきた。レトルトカレーとハヤシライスも平らげた。

そこでさらなるやる気を出させるため、とっておきの「デスノート」「星のカービィ」を取りだす。喜ぶ子どもたち。この後、彼らが喜ぶのはいつになったか…。今思うと、テントに入って寝袋にくるまり、ようやく寒さとの戦いが終わってぬくぬくしながら再びこれらの本を開いたときではなかったか。

まあ、それはさておき、やる気が出た吉祥丸一家は、いよいよ、本日の山行の核心部へと入っていったのだった。

初めは平坦な道だった。樹林帯に入っても緩やかな登り傾斜で、特に問題はなかった。ただ、雨は相変わらず降っており、ときおり止むような気配がするものの、そのたびに期待は裏切られた。左側にはそびえ立つような屏風岩。雨でなかったらさらに大迫力だったろう。今は山頂の方がかすんで見えない。

しばらく行くと、息子がトイレと言い出した。戻るには行きすぎている。涸沢まで我慢させよう、と思った。が、これは今考えるとあまりにも無謀な考えだ。この場所から涸沢までは約4時間かかったのである。息子の膀胱が持つはずもない。だが、吉祥丸は大丈夫だと思っていた。このあたりがリーダーとして失格だなあと思わずにいられないのである。

結果的にこのトイレは吉祥丸が持っていた簡易トイレで事なきを得るのだが(この簡易トイレは吹雪のテント泊で家族の命を救った)、やがて泣きが入ってくる息子にどうすることも出来ない父なのだった。

妻と娘と合流して息子のトイレを済ませると、さらに雨の中を進んだ。このあたりから雨が本降りになってくる。ザーザー降りではないものの、速乾性の服では乾くのに間に合わない雨量だ。ザックもびしょ濡れだった。直前まで迷って結局買わなかったザックカバーを恨めしく思う。

ほぼ2時間かかって本谷橋に到着。2時15分。さすがに吉祥丸もここで上下のレインスーツを着た。他の3人は上高地から上下を着ていた。

ここでショッキングなことが。妻が降りてきた登山者に「ここから涸沢まではどのくらいか」と聞いたのだが、返ってきた答えが「3時間」!
吉祥丸はあとせいぜい1時間半だろうと見当をつけていたので、愕然とする。コースタイム的には横尾から涸沢まで3時間であり、本谷橋は中間地点だから、まあそんなもんだろうと思っていたのだ。

ただ、ここから急登が始り約700mの登りなわけだから、3時間というのも正しいのだろう。

さて困った。ここから3時間かかったら5時半になってしまう。暗くなるだろうし、そんな中でテントを張って、さらに夕飯のちゃんこを作って食べて、というのは辛い。今から引き返せば4時過ぎには横尾に着くからゆっくりできるだろう。明日あらためて涸沢に挑戦というのも難儀だけど、雨、疲労、高所でのキャンプ等々を考えると、やはり引き返した方が無難かも。


とはいえ、せっかくここまで来たのに引き返すのもなあ。「せっかくだから症候群」というのがこういう時の元凶なのだが、それはさておき、どうするか。

妻と考えるが「ここまで来たんだから」と、いったんは登り始めた。が、これが結構きついんである。重いザックを背負っている吉祥丸は「これはやばいのではないか」と思った。この状態で3時間も登れるのだろうか、登ったとしても、その後のテント設営やら食事の用意やらを考えると憂うつになった。何より真っ暗になってしまったら最悪ビバークも考えなければならない。やばいのではないか、そんな思いが交錯して、あらためて「引き上げるか」と考えた。

だが、妻にその旨を伝えると、当然ながら反発された。当たり前だよなあ。ここまで来ていながら、というより、吉祥丸の計画が安直だったのだ。それでも天候や体調の急変とかで変更するのならまだしも、他人に3時間と言われて挫折するんでは、メンバーは誰を頼っていいのかわからなくなる。痛い足を押して頑張っている妻や、もくもくと登っている子どもたちに申し訳なかった。

結局、多数決で(山で多数決は危険。リーダーの意見に従わなくてはいけない、ということを言いたかったが、そのリーダーの決断が確固たるものではないのだから仕方なかった)登ることになった。こういうとき娘は意外に「どっちでもいいよ」と言う。で、途中で不満を言い始めるのだ。でも、みんなを気遣ってか、「どっちでも」という娘が微笑ましかった(もっとも、この先、翌日からは娘は断固として「帰る」を貫き通したが)。

それにしてもこの場での妻の一言には堪えた。自分の情けなさに嫌悪した。家族をこんな目に遭わせてしまったことを猛省した。それでもついてきてくれる家族を見ていると胸が張り裂けそうだった。いつもそんなことは思わないが、この時ばかりは家族のありがたさをしみじみと感じたのだった。申し訳ない気持ちと感謝の思いで一杯だった。無事に下山したら何でもしてやろう、などと思った。そしてあらためて山を甘く見てはいけない、リーダーはもっとしっかりしなくては(計画においても精神的にも)と思った。

そうして、頼りないリーダーのもと、4人はこの先まさに苦行となる山道に歩を進めていくのだった。

水曜日, 10月 11, 2006

涸沢の試練 その1


よく「死ぬかと思った」などと口にするが、これは多くの場合、それほど大変な目にあったという形容でしかない。だが、今回の吉祥丸一家の涸沢山行は文字通り「死にそうだった」のである。 ←う~ん、やっぱりちょっとおおげさかな。

写真を見てもわかるとおり、どこが紅葉の涸沢じゃ!って感じなのである。冬山じゃん!装備が整っていなければ死んじゃうじゃん!って感じなのである。

というわけで今回の山行は自戒を込めて詳細に記録しておく必要があると思うのでめちゃめちゃ長くなるかもしれないが、何とか思い出しながら書いておきたい。

天気図と天気予報は2週間前からチェックしていた。もっとも、涸沢行きの日の天気予報が発表されるのは1週間前。その予報によれば(刻々と変わっていたが)金、土は雨か曇りだが、日、月は晴れる見込みが高かった。

もともと金曜の夜に沢渡に入り、土曜日早朝に上高地に入って、その日のうちに涸沢に到着する予定を組んでいた。
天気は木曜の時点で台風が温帯低気圧に変わった。予報も土曜日の午後から雨が曇りに。日、月は晴れの予報だった。これなら行くしかない。

金曜の午後8時前に出発。環八が混んでいたので環七から中央高速を目指した。雨の中を、それでも撥水加工したウインドウで快適に飛ばした。

午後11時ごろに松本ICに到着。そこから約1時間で今日の目的地・沢渡のパーキングに着いた。

0時5分、駐車場入庫。この時のために用意したビールをあおる。続いて焼酎。

娘と妻も起き出して、3人でしばし歓談。こんな時間が楽しい。時間は遅く、明日はなるべく早く起きたかったが、他の人の穂高登山の話などして盛り上がる。

そのうち妻、娘が眠りにつき、吉祥丸も1時半ごろ眠くなった。雨は相変わらず降り続いている。

起きたのは5時半ごろ。空はどんより。雨もぱらぱら降っている。起きたときからバスに乗り込む早起きの登山者が大勢いたが吉祥丸一家はゆっくりと支度する。子供たちの機嫌を悪化させないためだ。
6時半にはみんなが起き、用意をして、上高地までのタクシーに乗り込んだのが7時ごろ。タクシーの運転手が「今週末は最高ですよ。雨も午後には上がるし、明日明後日は快晴で紅葉もきれいでしょう」まどとこちらが思わずにやけてしまいそうなことを言う。大正池を通り越しいやが上にも気分は高まった。

7時15分ごろ上高地バスターミナル到着。

雨具を着込んで出発。7時35分だった。 いよいよ北アルプスへの旅が始まる。雨が降っていても吉祥丸の気分は上々だった。

やはり通常のコースタイムには遅れて、明神に着いたのが8時55分。気温10度。ちょっと休憩し、先を急ぐ。
徳沢到着10時15分。12度。横尾には11時40分に着いた。14度。

まずは昼飯、と思ったら早速姉弟ケンカが始まった。娘はケンカにかこつけて「もう今日は登らない、ここで泊まる」と言い出す。結果的にはここで泊まったほうが良かった(後から振り返ってみると、やはり登ったほうが経験値的には良かった)のだが、吉祥丸は当初の予定通り先に進むことにする。12時40分。このとき、吉祥丸の予定、というより感覚ではなぜか2時半から3時に着く計算になっていた(実際には5時間弱かかった)。そしてこの計算の甘さがこの先の悲劇を招くのだったが、この時の吉祥丸一家はそのことを知る由もない。

木曜日, 10月 05, 2006

迷っている

本来なら明日の夜に出発のはずなんだが、天気が思わしくない。
明日は一日中雨。明後日、明々後日は曇り。最終日に太陽が見られるか、といったところ。

迷うなあ。雨は避けられるかもしれないが、曇りではせっかくの紅葉が興ざめだろうしなあ。

でも、他のチャンスはないかもしれないし。ただ、娘は感動しないだろうなあ。だったらもっとゆるいキャンプにするか。それとも燕岳とかにするか。でも、きつい登りだから娘はもっと嫌がるだろう。

う~ん、迷うなあ。

天気よ、回復してくれ~!

↑初めて文字の大きさと色を変えてみました。


今日は二日酔いだったが息子と良く遊んだ。逆さまに持ち上げて天井を歩かせたり、ザックの中に息子を入れたり、風呂で水鉄砲したり、リビングにタオルケットでタープを張ったり、トランプやラスイチをやった。怒らなかった、と思う。息子も笑顔が多かった。楽しかった。

ようやく二日酔いが治ってきた。

明日は照る照る坊主を作ろう。いや、今から作ろうか。

月曜日, 10月 02, 2006

いよいよ穂高挑戦か

今週末に涸沢カールに行く計画を立てている。

初めての穂高連峰。

ま、山に登るというよりカールに滞在して紅葉を満喫しようというのが主な目的になりそうだけど。

妻も娘も具合があまり良くないので消極的計画にならざるを得ないのだ。
もっとも、どの程度危険な山なのかがわからない以上、いたずらにリスクを高める必要はないので、これでいいとも思っているのだが。

二日目にカールの上部まで行ってみて、息子がまだ登りたい、と言うようだったら連れて行こう。
かなりの緊張になると思うけどね。

問題は天気とみんなのやる気だ。

スリング&ザイル&カラビナのアンザイレン道具は今回はパス。やはり吉祥丸にはまだ難しそうだ。
ほんとは扱ってみたいんだけどね。でも、金もかかるしなあ。残念だけど。

まあ、今年最後の大がかりな山のイベントを心から楽しむ、これを目標としましょうか。

となれば、あとは準備準備。飯や装備の用意。これも楽しみなんだよねえ(^^;)

ただ、木金の休みにはやることがある、仕事の一部と、本棚の修理と、クルマのナンバー灯の付け替えだ。