日曜日, 11月 26, 2006

涸沢の試練 その11

明神を出てしばらくするとあたりは急激に暗くなり、ヘッドランプをつけなければ歩けなくなった。
が、そうはいってもまだ多少は明るい。吉祥丸は迷わず灯りをつけたが、息子は「もっと真っ暗になってからつけないともったいない」などと言ってつけなかった。妻は「暗いからつけて~」とせがむのだが、息子は応じない。そんな軽口ができるほどに我々も回復していたということだ(^^;)

真っ暗な中(後で聞いたがこのあたりはクマが出没するそうだ)、やはり娘は怖いのか(目が悪いということもある)、吉祥丸と手をつなぐことを望んだ。いつもなら絶対にあり得ないことだ。たぶん娘とこんなにしっかり長時間に渡って手をつなぐことはこれで最後だろうな、と思いながら手をつないで歩いた。

そして50分ほど歩くと…。かつて「私をスキーに連れてって」の名シーン「万座の灯りだ」と同様に、上高地の灯りが目に入った!

とうとう着いた。ザックの重みが腰に食い込んでいるが、そんなことは関係ない。あと少し。もうちょっとでゴールだ。実際は自宅までのおよそ260kmのドライブが待っているが、とりあえずは終点、というか悪夢のようだった涸沢山行から解放されるのだ。

灯りが目に入ってからしばらく行くと小梨平のキャンプ場の中に入る。ここがちょっと迷路のようで迷うのだが、ちょうどキャンプ中の人が灯りを求めて吉祥丸に近づき、ついでに道を教えてくれたので助かった。

その人は明日涸沢に行くという。「上はどうでしたか」と聞かれたので正直に話す。と、「そういえば奥穂高と白馬で遭難者が出たようですね」と言うではないか。これにはびっくりした。でも、確かにあの天候なら遭難者が出てもおかしくないなと思った。でも、自分がいたテントと目と鼻の先で遭難者が出たとは何とも複雑、というか怖かった。吉祥丸たちだってテントがなかったらあっという間に遭難していたろう。ヒュッテまでたどり着けなかったら大変なことになっていたはずだ。後から知ったが、奥穂高では2人が遭難したが助かった。だが、奥穂高~西穂高の間で1人が亡くなった。今回の山行で心底思ったのは何も特別なことではない。「山を甘く見ては行けない」それだけだ。

そしてとうとう…。着きました。河童橋。そしてバスターミナル。安堵のため息が出た。

タクシー乗り場にはタクシーが3台ほどあった。
すかさず乗り込む。沢渡までお願いします。走り出す。ああなんて楽なんだろう。そして暖かいんだろう。文明のありがたさを痛感した。運転手ととりとめもないことを話す。ゲートの話やクマ出没の話はこの時のものだ。

約20分後。エス丸の待つ駐車場に着いた。本当に着いたんだ。感動…。

運転手に料金を払って車を降りる…、と、降りられない! 脚がまるっきり棒になっているのだ。カクカクとしてしまってうまく歩けない。その様は人形の様でおかしなほどだ。妻も同じ症状だったらしく、2人で驚いた。テントに入って楽にした後でもこんなことにはならない。大休止した後でもこんないはならない。それがどうだ。たった20分タクシーに乗った後ではもう脚が使い物にならなくなってしまった。

これはたぶん脳の問題だろうと思う。テントや休憩時にはまだ先があるので脳は体を心底リラックスさせないのだ。でも、もう終わりだと脳が判断したので、それまでの疲労を一気に吐き出させた。その結果がこの棒の脚なのではないか。通常なら一晩寝た後くらいに襲ってくる疲労が、タクシーの20分で現出した。これはそれだけこの間の山行の困難さを物語っているのではなかろうか。

確かに腹も減ったもんなあ。良く歩いたよ、本当に。子供も妻もよく頑張った。ありがとう、そしてお疲れ様でした。

久しぶりのエス丸になんとか荷物を詰め込むと、タクシーの運転手に教えてもらった温泉に行く。上高地ホテルというのがここから一番近そうで、実際、1分も走らずに着いた。温泉セットを手に車を出る。脚がうまく動かない。ホテルの前のわずか30cmほどの段差もうまく越えられない。でも、安堵感があるからか、こんな体の状態がなんだかおかしかくて笑えてしまうのだ。

上高地ホテルの温泉はいやもう絶品だった。久々の風呂、そして寒空の中を歩いてきた後の風呂、ということもあるのだろうが、これまでのどんな山行の後の風呂よりも体に、そして心に響いたお湯だった。

内湯の温度は熱いくらいで息子は入れなかった。だが、吉祥丸にとってはぴりぴりと体の節々を刺すようなお湯が無性にありがたかった。乾いた皮膚にお湯が染みこんでいくようで、「いや~極楽、極楽」そんな言葉が自然と口をついて出てしまう。

露天風呂はやや温度が低く息子も入れた。ふと夜空を見上げると、外の木々が風に揺れている。唐突に冬の日光で入った露天風呂を思い出した。吹雪の中、スノーシューも出来ずに温泉だけ入って帰ったのだが、吹雪というのは外にいると地獄だが、露天風呂の中にいると風情があるのだ。上高地ホテルの露天風呂で風に揺れる木々は風情があるが、涸沢のテントで経験する風の強さは心地良いものではなかった。同じ自然現象でも場所によってこうも感じ方が違うのかと思った。

実際、この後の吉祥丸一家の価値観の基準はこの時の涸沢になっている。「あの時の涸沢に比べれば」とか「涸沢にいたらこうだったね」とか。その基準は涸沢に比べていかに今が恵まれているか、または恵まれすぎているかというものだ。そういう意味では今回の涸沢山行は我々にとってとても意義のある経験だったといえるのではないか。

絶品の湯を堪能した後、ホテルのロビーでしばしまったりする。

ふと見ると、売店の上に紅葉の涸沢のパノラマ写真が!美しい!絶景である。晴れてさえいればこれが堪能できたのだ、そう思うと実に悔しかった。自分はまた来ればいいが、娘はもう来ないだろう。娘にこの景色の美しさを知ってもらいたかった。

ホテルを出て、さあ、腹が減った。なにしろ朝ちゃんこ雑炊を食べてから、行動食以外何も口にしていないのだ。レストランを探しながら松本ICに車を走らせる。8時頃だった。

結局、店があったのは松本ICのすぐ近くまでいったところだった。息子は寝てしまっていた。でも、腹は減っているだろうし、何も食べないというのは体に良くない気がして、無理矢理起こした。が、当たり前だが機嫌は最悪。ひとしきり泣いた後、レストランの椅子で寝てしまった。

他の3人はここでようやく文明的な食事を取る。金さえ出せばこんなにも贅沢な食事が(ハンバーグだったが)出てくることに若干の違和感を覚えながら食べ終える。

さあ、これから220kmのドライブだ。だが、走り始める前から眠気があった。案の定、高速に入るとすぐに強力な眠気が。まず諏訪サービスエリアで約20分の仮眠。だが、走り始めてすぐに眠気。どうやら温泉に入って気持ちいい眠気、ではなく、本格的な夜の睡魔が襲ってきているらしい。ここまでがんばってきて、ここで事故を起こしたらシャレにならないので、この後3回ほど計2時間の仮眠を取った。そのおかげもあって、約100km先で起きていた大渋滞も自然に解消していた。

ようやくと自宅に着いたのは午前2時だった。お疲れ様。

寝ている息子を抱いて運ぶ。みんなすぐに眠れずあれこれ今回の山行のことを話した。そのうち息子が起き出してお土産にしていた夕飯のピザを食べる。そして今度は4人で再び今回の涸沢の試練について話した。内容は覚えていないが、安堵とともにビール&焼酎を飲む吉祥丸は、この時間が実に幸せなひとときだと実感するのだった。

みんなが眠りについたのは朝方4時を回ってからだった。ほんとにお疲れさんでした。でも楽しかった!

写真は晴れていたら2日目の午後のおやつにしようと思っていたカップヌードル。ザックの中で割れてしまった。

土曜日, 11月 25, 2006

涸沢の試練 その10

今日こそ終わらせる(^^;)

涸沢を後にした吉祥丸一行。きつい下山になるかと思いきや、意外に足取りは軽かった。最初の方こそ残雪があったが、踏みしろはしっかりしていて危険はなかった。そしてものの10分ほど下っただけで、もう雪は消えていた。あとはいつもの調子で下るだけだった。もともと危険な箇所はないので雪さえなければこっちのものだ。雨は相変わらず降っていたが行く手を遮るようなものではない。

しばらくすると完全防備だった息子も汗をかくほどに。乾いた足が幸いしたのかいつもより速いペースで下っていく。うっかりするとついていけないくらいに速い。

やはり人が多く、ところどころで渋滞している。へたをすると数分も立ったまま待たなくてはならないこともあった。息子も娘も文句も言わずに黙々と下り続けた。

そのうち女チームと吉祥丸と息子の男チームの差が開きだした。息子はどんどん先に行きたがる。しょうがないので息子のペースに合わせた。が、これが速い。ほとんど早足の感覚だ。
息子は前を歩く山慣れしたような人のハイペースにくっつくようにして歩くのだが、これが重いザックを背負う吉祥丸にはきつい速さなのだ。

本谷橋を越え、横尾までの平坦な道になるとなおスピードが増した。息子の歩幅は吉祥丸の半分くらいだろうに、なんであんなスピードが出るのか不思議でならない。最後は「ちょっと休憩するか」という父の泣きまで入ってしまった。でも、結局、横尾まで休まず、下りきってしまった。

横尾到着15時5分。涸沢から約3時間弱かかった。混んでいなければ2時間半で着いたろう。

さて、ここでまた問題発生。上高地到着が遅くなってもタクシーなら沢渡まで帰れると思っていたが、横尾山荘で問い合わせたところ、「6時半でタクシーは終わり。ゲートが閉まってしまうから」とのこと。ということはあと3時間半で上高地から脱出できなくなるということだ。しかもまだ女チームは来ない。あと20分はかかるだろう。ということは今日中の上高地脱出は難しい。ならばここでもう一泊しようか。

ただ、レインウエアを脱ぐと下に着ていたフリースがびしょびしょだった。しかも午後のこの時間になると急に寒くなってくる。雨はやんでいたが、寒さに加えて濡れたウエアはまずい。しかも替えのウエアはないのだ。一瞬だが自分の身の危険を感じた。この後、テントの中で寒さに震える自分を見た思いがした。

まいったなあ、と思っているうちに女チームが帰還(?)した。15時半。

2人に7時にゲートが閉まってしまうこと。だからタクシーは6時半までに乗らないとならないこと、ここから上高地までは早くて3時間はかかること、などを説明し、「だから今夜はここに泊まろうか」と言ったのだが、娘はすかさず「今日中に帰りたい!」と強行に主張した。

考えてみれば我々は昼食を食べていない。今から食べたら絶対に間に合わない。今日中に帰るということは、昼食も食べずに今すぐ歩き始め、さらにこれまで以上の普通の大人の歩くペースで歩かないと間に合わないということだけど、できるのか、と娘に迫ると、「がんばる」という。それほどここを脱出したいのだとわかって少々、というかかなりショックだったが、吉祥丸としても体温低下を懸念していたこともあり、できるのなら今日中に帰宅したいという思いはあった。

妻も娘の意見に異議を申し立てない。息子もOKだった。
そいういわけで疲労+空腹+タイムリミットとの戦いが始まったのだった。

行きは確か上高地~横尾に5時間かかっている。3時間で歩くにはだらだらヒンヒンはもってのほか。ひたすら歩くしかない。

5時半を過ぎたら辺りは真っ暗になるだろう。吉祥丸はヘッドランプをすぐ取り出せるポケットに入れなおし、準備万端で出発した。

いきなりハイペースで歩く。が、このペースは息子でさえついて来られなかった。娘はなおさらだ。でも、彼女のペースに合わせていたら絶対に今日中に帰れない。早めのペースを示すことで、彼女が自分で自分のペースを上げることを期待した。

徳沢には45分で着いた。かなりのペースだ。
休憩もそこそこに出発する。徳沢には平らな芝生の上にテントがぎっしりあった。涸沢の条件の悪さを考えると、徳沢のキャンプ地は天国のようだ。

明神までは1時間かかった。ここの山荘で電話を借りて、タクシー会社に予約をしておいた。「6時45分までは着いてくださいね」と念を押された。後で聞いた話だが、ゲートが閉まってからどうしても下に行きたいときは、あらかじめ沢渡からゲートの手前までタクシーを呼んでおき、そうした上で上高地からタクシーでゲートまで行って、そこで呼んでおいたタクシーに乗り換える、という方法を取るのだそうだ。そうしないとゲートを厳格に閉める意味がないというのである。その意味とは、上高地への不法潜入であり、不法採取であったりする。勝手に入れないようにゲートを厳格に守るのであった。

明神に着いたあたりから暗くなった。息子にヘッ電を渡す。ヘッ電は2つしかない。ここからははぐれないように4人固まって歩くことにした。

6時半まであと1時間15分ある。みんな疲れていたが、あと一踏ん張りは出来そうだ。今日中の上高地脱出の目処がついた。なんとかなりそうだ。

つづく(^^;)

火曜日, 11月 21, 2006

涸沢の試練 その9

この先、他の日記がつかえている(家族のこととかもっと書きたい)ので、今回で涸沢の試練は何とか終わりにしたい。できるかな(^^;)

さて、暴風雪の中、どうにかこうにか全ての荷物を撤収した吉祥丸は、ヒュッテで待つ家族の元へと急いだ。

午前11時半。

ヒュッテではすでにみんな準備が終わっていた。まずはトイレを済ませる(今朝はこのトイレがものすごい渋滞だったと後日他のブログで知った。この時はガラガラだった)。

外は相変わらずの暴風雪。奇特な人たちが紅葉の写真を撮りにこの風の中出かけている。風雪の真っ只中でカメラの三脚を立てているのを見ると、アホやないかと思うのだが、そういう自分もこんなところで何をやっているんだと問われれば、やはり相当アホなんであった。

それにしても風が強かった。ヒュッテの建物と建物の間というか、踊り場のような半分外のような場所にいたのだが、ものすごい風が轟音とともに吹き抜けている。ちょっとビビった。吉祥丸でさえふらっときそうな風の強さなのだ。この突風を子どもたちがもろに食らったら登山道を踏み外してしまう危険があった。少し迷う。この風の中、下山するべきか、もう少し待つか。だが、今日中に下山するなら今しかない。う~ん。

と、ここで新たな問題が勃発した。息子が「足が痛い」と言い出したのだ。靴の中が湿っており、靴下が濡れて冷たくなってかじかんでしまったのである。こうなると「疲れた」「歩きたくない」と違って本当に歩けなくなる。なだめたりすかしたりして歩かせるわけにはいかないのだ。時間は押しているしさあ困った。
が、こういうときに妻は、というか母は迷わない。ヒュッテの乾燥室に入り、靴と靴下を乾かすと言う。そんなことしていたら30分か1時間はかかってしまうが、考えてみればそうする以外に選択肢はないのだった。

乾燥室の中は大型のストーブが燃えていて暖かかった。この荒れくれた環境の中、ここには文明がある、そんな感じだった。ストーブを囲みながら登山客が談笑している。こっちはテント泊で本当は乾燥室を使えない身なので遠慮してしまった(実際は妻が交渉して1000円で使わせてもらっていたので遠慮することはなかったのだが)。みな楽しそうだ。疲れて無言の人もいたが、多くは涸沢にいることの喜びに満ちていた。羨ましかったなあ。なんにしても彼らは余裕があるのだ。対して吉祥丸一家はもうぎりぎりだった。さらに追い打ちをかけるような息子の足痛。本当に下山できるんだろうか、もう一泊、今日はヒュッテに泊まろうか、などと考えてしまった。いや、それだけ外の天気は最悪だったのだ。

しばらくすると靴下は乾いたが、靴はなかなか乾かなかった。すると、妻がなにかザックから出した。ビニール袋を使って靴からの浸水を防ぐというのだ。ビニール袋に足を入れてから靴を履くというすんぽうだ。この発想は吉祥丸にはできない。履きづらいだろうし、今度は足が蒸れてしまいそうだし、何よりこの場でそれを行うのはちょっと恥ずかしいではないか。が、妻は真剣だ。だが、こういうときの(どういうときだ)妻の行動は概して正解な場合が多い。結果的にはこれが功を奏して、この先の息子は最後まで絶好調だった。まさに妻のおかげ。吉祥丸だったら絶対にしない措置だった。それにしてもゴアテックスの靴が必要だとつくづく思った。

幸いなことに乾燥室で時間を取られた分、しだいに天候が回復してきた。風が弱まったのだ。これは嬉しかった。風は、吹いていたけれどもう吹き飛ばされそうなあの暴風は止んでいた。

息子に靴を履かせ、いよいよ涸沢を後にするときが来た。重いザックを背負い、「さあ行くぞ」とみんなに声をかける。

12時15分、涸沢出発。

日曜日, 11月 12, 2006

涸沢の試練 その8

翌日の晴天に賭けて、当初の予定通りもう一日涸沢で過ごすことも考えたが、もしも再び(というかそのときも風雪は止んでいなかったが)昨夜のような降雪に見舞われたら、今度こそ孤立してしまう可能性が高かった。吉祥丸や妻だけならまだしも、子供たちのことを考えるととても「賭ける」なんてことはできない。

下山できるうちに下山したほうがいいだろうと思った。そして下山すると決めたならここに長居は無用だ。そしていったん下山するなら娘の希望通り今日中に自宅まで帰ってしまいたい。ここから上高地までは約16km。行きは9時間かかったが、下りであることを考えれば休憩を入れて6時間あればなんとかなるはずだ。もっとも、暗くなってしまうのは避けたいので、そうすると10時か11時には出発したい。
その旨をみんなに言い渡す。妻は午後に出ればいいという意見だった。今日中に上高地は難しいし、途中でもう一泊するなら慌てて出発することもない、まだ衣類も乾いていないし、というものだ。

しかし、娘は「今日中に帰りたい」と言う。息子はそれほど駄々はこねなかった。吉祥丸は…。いざ帰ろうとなったら無性に今日中に帰りたくなった。濡れた衣類とともにもう一泊するのは、ましてやずぶ濡れのテントを収納→組み立て→収納という手間がとても面倒に感じられたのだ。間に合わない場合は仕方ないとして、なんとかいけるとろまで行きたかった。

結局、ここに長居することのリスクを妻に説明し、できるだけ早く下山することにした。

まず、妻が乾燥室に行って服を取ってくる。その間にテント内の片づけを行う。乾いた服が戻ってきたら着替えを済ませてテントを出る。という段取りにした。

難儀したのが昨夜大活躍した簡易トイレの中に入っていた薬だ。水を固める成分らしいのだが、これが濡れたザックの水分に反応して破け、ゼリー状の液体となってそこら中にこびりついてしまったのだ。しかもティッシュで拭いたくらいでは落ちない。結局ほとんど取れないまま収納してしまった。

このころになるとテントのずれがいよいよ激しくなってきて、風の抵抗をもろに受け、そのたびにテントが大きくかしぐようになってしまっていた。テント内を整理して重しのバランスが崩れるといよいよ危なくなってきた。すぐにでも畳まないとこのままでは強力な突風がふいたら倒れてしまいそうだった。実際、風によってテントが浮き上がりそうになり、息子と必死に押さえたものだ。もっとも、息子はけっこう楽しんでいたようだったけど(^^;)

みんなをせかして撤退を急ぐ。テントを畳むのを待っていたら凍えてしまいそうだったので、一足先に3人はヒュッテの中へと向かった。一人で作業をする吉祥丸。その後ろには雪に覆われた北穂高岳がそびえ立っているはずだったが、その姿を観賞している余裕などなかった。いま考えるとちょっとだけでも手を休めて振り返ってみたら良かったのにと思うが、このときはまだ風が強く、ポールを外したテントは一枚の布になって下手をすると風で飛ばされてしまう恐れがあったので、本当に余裕がなかったのだ。見たいとも思わなかったなあ。

水曜日, 11月 08, 2006

東京ディズニーシー

涸沢に比べると(比べるのもなんだが)対照的な享楽エリアといえるのがここ東京ディズニーシー(以下TDS)ではあるまいか。電気やガスや水や火をふんだんに使ってすべてはお客様のために、いや企業のためにか? なんでもいいがともかくなにもかもが手に届くところにそろっているエリアだ。

涸沢の試練についてのレポートははまだ終わっていないが、先日、珍しく子どもたちと吉祥丸の平日休みが重なり、TDSに行ってきたのでその時のことを書いておく。

平日休みということもあって、どこか平日でないと行けないところ=休日には行けないところ、ということでTDSに決まった。吉祥丸としては涸沢苦行の罪滅ぼしの意味もあった。

TDSは家族全員初めて。

ランドの方は2年前に行った。その時の教訓は「ファストパスを使いこなせ」。
というわけで、いわゆる裏攻略といわれる本を立ち読みした。
ファストパスは1度取ると続けて2枚目は発行できない。だが1枚目のファストパスに記されている時間を1秒でも過ぎると2枚目取得が可能となるのだ。

ランドではそれを知らずに、律儀にファストパスで取ったアトラクションに乗ってから次のアトラクションのファストパスを取りに行っていた。結果、ビックサンダーマウンテンは早々にファストパスが売り切れ、結局乗れなかった。

そこで今回は事前にファストパスを取る順番を練った。イメージトレーニングまでした(^^;)

結果は上々。しくじったところもあったがまあまあ乗れたのではないかな。

連休明けの平日ということもあって比較的すいていたというのもラッキーだった。もっとも休日にここに来る人の気が知れないが。

さて我々は当日4時半起床(^^;)

用意をして5時半出発。息子は爆睡中なのでシュラフにくるんで運ぶ。娘はさすがに登山の時とは違って起き出した。
エス丸は3列目を収納して1列目と2列目の間にマットとシュラフを敷いてベッドモードにした。子どもたちはここで寝ていける。
ただ、息子はすぐに目を覚ましてしまったけど。

混み始める直前の首都高をすり抜けるように走った。

すいていると着くのは早い。約40分で到着してしまった。まだ6時10分。駐車場に着くとすでに先行者がいたがざっと数えて100台程か。係の人に誘導されて後ろにつける。「駐車場は7時に開きますので」と係の人。この人は何時から何時の仕事なんだろう、と思わず思ってしまった。たぶん4時頃からここに立っているんだろうなあ、と思った。

息子がお腹が空いたというのでここで本日の朝食。コーンフレークを食べる。娘は寝ている。天気は曇り。1日もってくれよ~、と祈った。

息子と車内であれこれ遊んでいるうちに7時になった。10分前に係の人が「間もなく開きます」と言って回っていた。しつこく言っている車もあったので、たぶん寝ていたんだろう。確かにこの「呼びかけ」は必要かもしれない。


2000円という高額な駐車料金を支払って入場。しかし2000円は高いよなあ。

7時に入場してもまだ開場までは2時間ある。ぶらぶらと散歩がてら入場門のところまで歩いていった。駐車場から一歩TDSの中に入るとそこはやはりディズニーだ。なんとなくワクワクしてくるのが不思議。

が、門のところにはすでに入場待ちの人がマットを敷いて座っていた。放っておくとこの列がどんどん伸びそうだったので、すかさず車に戻った。娘を起こし、朝食を食べ、服を着替えていよいよ出発する。

チケットは事前に買ってあったので直接門の前に並んで座った。あと1時間強の時間つぶし。なんといってもTDSおよびランドでは「待つこと」ばかりが多いのだ。

時間つぶしは30秒や1分を頭の中で数えてぴたり当てるゲームをやった。息子が意外に喜んで時間がつぶせた。

そしていよいよ時間になった。数分前には門の中にミッキーやミニー、グーフィーが登場して盛り上がる。

9時開場。ここで一目散に走る輩がいるが、吉祥丸はそんなことはしないと心に誓っていたのに走ってしまった。周囲がみんな走っているからつられて走ってしまう、ということもあるが、走る人の目的が「タワーオブテラー」にあるとわかっていたので、とすると、のんきに歩いていたのでは2年前のビッグサンダーマウンテンの二の舞になってしまう。それは嫌だ、というわけで走り始めたのである。それでも恥ずかしくてゆっくり小走りしていたら、息子が「パパ速く走れないの?」と言う。息子は今のスピードで追い抜かれるより、速く走って追い抜きたいようなのだ。「よし」と言ってスピードを上げる。あとはファストパスの列に並ぶまでノンストップだった。疲れた(^^;)

ゲットしたファストパスを見たら10時20分だった。よし。いい調子だ。

さて、その後に乗ったアトラクションを全て書いていくといつまで経っても終わらないし、そもそもTDSのガイドを書くつもりもないので割愛する。

今回はなんとか家族の要望に応えよう、それが涸沢の罪滅ぼしだと思っていたので、それを実行した。娘の「タワーオブテラーにもう一回乗りたい」という要望も叶えたし、息子のアクアトピア2回連続乗車にも応えた。妻に運転させないために夕飯の酒は控えたし、ビッグバンドブルースというジャズのコンサートのようなショーにもつきあった(これはこれで観てよかった)。

結局TDSを後にしたのは午後9時20分ごろ。約12時間、みっちり遊んだことになる。

結構歩いたし疲れたが、楽しい一日だった。家族4人でこんな時間を過ごせるのはあと何回あるのかと考えてしまう。とくにTDSなんてもう二度と行かないんじゃないかな。

息子も娘もお土産や自分のための買い物も満足したようで良かった。

アトラクション後に感想を言い合ったり、昼飯時にスズメに餌をやったり、タワーオブテラーの写真を見て笑ったり、4人で夜景を背景に写真を撮ったり、それが変な写りになっていて笑ったり、娘と二人でタワーオブテラーに乗ったら、娘が吉祥丸の腕にぎゅっとしがみついてきたり…。思い出は尽きない貴重な一日になったのだった。

帰りの車の中では「のだめ」を見る。途中で息子が眠ってしまう。家に着いてから酒がないことに気づき、近くのコンビにまでまたドライブ。

ゆっくり酒を飲めたのは10時半過ぎからだった。妻と今日一日のことを話しながら酒を飲む。そばでは息子と娘が無防備に寝ている。ああ至福のひと時…。

木曜日, 11月 02, 2006

涸沢の試練 その7


夜が明けた。
夜が明けるというのは精神的に実に楽になる。不安が半減する。明るくなることで周囲の状況をより的確に判断できると同時に、天候がやや回復する、ということもある。一晩中吹いた風が朝の訪れとともに穏やかになる、などという状況は多いのではないか。

で、この日の朝…。風は止まなかった(TT)。もちろん雪も(ToT)。

でも、明るくなったことと、周囲の人たちも起き出したことで、連帯感という感じが出てきて孤独感のようなものはない。

周囲には若い人のパーティが多かったようだ。いくつかのグループがそれぞれ話している。この会話が実に参考になった。この天候に困惑しているのは吉祥丸だけではないとわかっただけでも嬉しかった。

もっとも、ある若い女性はグループの人間に「これじゃあ上には行けないね、どうする?下山する?」なんて言っている。つまり下山できるか出来ないかの不安ではなくて、上(奥穂か北穂)に行けないことを悲しんでいるのだ。たぶん、アイゼンなど用意していて、より過酷な山行を選択するか、安易な(?)下山にするかで迷っているのである。吉祥丸一家は無事に下山できるかどうかで悩んでいるのに…。
しかも、この女性はどうやらテントの前で外に立って話をしているらしい。どんな防寒具を着ているのか知らないが、よくもまあこの風雪の中で話が出来るもんだと感心してしまった。吉祥丸は今のところ一歩も外には出たくなかった。

左隣のテントでは起き出したと思われる男が感嘆の声を漏らした。
「うわー、すげえ!いやあ、雪に覆われた涸沢っていうのも趣があっていいなあ」
なんか、今初めて雪が降っていることに気づいたみたいだ。この男はあの夜中の暴風雪の中、一度も目を覚まさなかったというのだろうか。にわかには信じられなかった。それとも、息子や娘のように爆睡して気がつかないなんてこともあるのだろうか…。
「うう~、寒い寒~い!」
男はそう言って再びテントの中に入ったようだ。
ただ、この男の楽観的発言にも少し救われた。「趣があっていい」なんて発言は余裕がないと出ないだろう。少なくともこの男は今の状況を悲観していないということだ。もっとも、この男も冬山装備準備してます派かもしれないが…。

時間は8時頃になっていた。山の朝は早いと言っても、さすがに5時、6時ごろはなすすべもないくらいの暴風雪だったのである。

妻が起き出す。天気が回復していないことを知っても、あまり落胆はしていないようだった。あきらめ?

ともかく、朝飯だ。といってもまだ子どもたちは起きる様子もない。強引に起こすのもかわいそうだったので、そのままにしておく。

それよりもテントの天井に引き綱を張って乾かしていた衣類が、どうやらあまり乾いてないようだ。
と、妻が「ヒュッテの中に乾燥室があった」と言う。テント泊の人が使えるかはわからないが、行ってみると言う。吉祥丸は最悪濡れていても歩いているうちに乾くだろうと思っていたが、妻はこういうところは几帳面というか堅実だ。実際、結果的には乾かした方が何倍も良かった。特に子どもたちにとっては。

濡れた衣類や手袋やタオルなどをビニール袋に入れ、妻がトイレに行きがてら1人でヒュッテに向かう。これはありがたかった。吉祥丸はまだテントから出る勇気はなかったし、雨具が内側もびしょびしょで着れなかったからだ。ついでに吉祥丸の雨具も乾燥させてもらう。

妻がいなくなるとまた話し声が聞こえた。
今度は右隣のテントの若者だ。これは大学の山岳部のような感じだった。テントの中で話をしているようだった。
「天気予報では松本は晴れだそうよ」←マジかよ~、と思った。
「明日はここも晴れるみたい」←どうするか。明日までいるか、と悩んだ。
「20分ほど下ると雪はないみたい。雨みたいよ」←嬉しくなった。少し頑張ればなんとか下山は出来そうだ。

さらに聞き耳を立てていると、リーダーらしき若者が、「よし、今9時だから、9時半までに朝食を食べて、10時までに撤収、下山しよう」とリーダーらしくきっぱりと言った。へえー、と思いました。かっこいいな、と思いました。毅然としていて迷いがなく押しつけがましくもない。こうでなくちゃいけないんだな、と思いました。ここでまた反省…。
リーダーが続ける。「ここにいても天気は回復しないだろう。下山して、今日は徳沢あたりでパーティーかな」そう言ってみんなで笑っていた。その余裕が羨ましかった。

さらに遠くのテントでは、昨日、同じく苦行となっていた中学生集団のリーダーらしきおじさんが言っている。「さあ、こんな雪景色の涸沢なんて滅多に拝めるもんじゃないぞ。しっかり目に焼き付けておけよ」
この人の余裕も羨ましかった。中学生たちを鼓舞するつもりで言っているんだろうけど、その言葉が出る背景にある余裕が羨ましいのだ。この人も冬山装備準備してます派なのだろう。

そうこうしているうちに妻が帰ってきた。乾燥室は案の定、テント泊の人は使えなかったそうだが、誰もいなかったので荷物を置いてきてしまったという。(この後に妻はヒュッテの人と交渉して1000円で使了承を得た)。

しばらくすると子どもたちが起き出した。昨日のちゃんこの残りと持ってきた冷飯で雑炊を作る。うまかった。

しばらくすると子どもたちは狭いテントで身動きが思うように取れずに不満を言い始めた。息子は雪が降っていると知ると大喜びで「雪だるまを作りたい」などと言う。娘は逆に一刻も早く家に帰りたいと半泣きで主張した。それに対し息子は「せっかく来たんだし、もう帰るのは嫌だ」と反論。そのうち足を踏んだとか髪の毛を踏んだなどと言い始めて喧嘩になる。いつもの兄弟喧嘩ながら、この状況では収拾がつかなくなった。

また、もう一つの問題が発生しつつあった。やや傾斜のある場所にテントを張ったので、昨夜からみんなが少しづつ動くことでテントが斜めにズレだしていたのだ。一方のテントの端はちぎれそうなくらいに引っ張られていて、逆にたるんだ部分に風が当たるとより一層、風の抵抗を受けるようになってしまった。

どっちにしろ、このままではテントが持たない。もう一度きちんと張り直すか、撤収するか、そろそろ決めなくてはならなかった。

明日は天気が回復するかもしれない。ここまで来たのだから晴れた涸沢をみんなに見てもらいたい。息子もいたいと言っている。しかし、風雪が止まなければ、あるいはさらに降ってしまったらいよいよ孤立してしまうかもしれない。
妻は昼頃まで待って決めればいいと言っていたが、仮に撤収するとなると昼では間に合わない。横尾にもう一泊するなら別だが、撤収するなら一気に下山して家に帰るべきではないか。温泉にも入りたいし、などと思った。
娘は「早く帰りたい」しか言わない。

さてどうする。山では決断しなければならないことが多く、しかも、その判断は難しいものばかりだ。

う~ん…。