日曜日, 11月 26, 2006

涸沢の試練 その11

明神を出てしばらくするとあたりは急激に暗くなり、ヘッドランプをつけなければ歩けなくなった。
が、そうはいってもまだ多少は明るい。吉祥丸は迷わず灯りをつけたが、息子は「もっと真っ暗になってからつけないともったいない」などと言ってつけなかった。妻は「暗いからつけて~」とせがむのだが、息子は応じない。そんな軽口ができるほどに我々も回復していたということだ(^^;)

真っ暗な中(後で聞いたがこのあたりはクマが出没するそうだ)、やはり娘は怖いのか(目が悪いということもある)、吉祥丸と手をつなぐことを望んだ。いつもなら絶対にあり得ないことだ。たぶん娘とこんなにしっかり長時間に渡って手をつなぐことはこれで最後だろうな、と思いながら手をつないで歩いた。

そして50分ほど歩くと…。かつて「私をスキーに連れてって」の名シーン「万座の灯りだ」と同様に、上高地の灯りが目に入った!

とうとう着いた。ザックの重みが腰に食い込んでいるが、そんなことは関係ない。あと少し。もうちょっとでゴールだ。実際は自宅までのおよそ260kmのドライブが待っているが、とりあえずは終点、というか悪夢のようだった涸沢山行から解放されるのだ。

灯りが目に入ってからしばらく行くと小梨平のキャンプ場の中に入る。ここがちょっと迷路のようで迷うのだが、ちょうどキャンプ中の人が灯りを求めて吉祥丸に近づき、ついでに道を教えてくれたので助かった。

その人は明日涸沢に行くという。「上はどうでしたか」と聞かれたので正直に話す。と、「そういえば奥穂高と白馬で遭難者が出たようですね」と言うではないか。これにはびっくりした。でも、確かにあの天候なら遭難者が出てもおかしくないなと思った。でも、自分がいたテントと目と鼻の先で遭難者が出たとは何とも複雑、というか怖かった。吉祥丸たちだってテントがなかったらあっという間に遭難していたろう。ヒュッテまでたどり着けなかったら大変なことになっていたはずだ。後から知ったが、奥穂高では2人が遭難したが助かった。だが、奥穂高~西穂高の間で1人が亡くなった。今回の山行で心底思ったのは何も特別なことではない。「山を甘く見ては行けない」それだけだ。

そしてとうとう…。着きました。河童橋。そしてバスターミナル。安堵のため息が出た。

タクシー乗り場にはタクシーが3台ほどあった。
すかさず乗り込む。沢渡までお願いします。走り出す。ああなんて楽なんだろう。そして暖かいんだろう。文明のありがたさを痛感した。運転手ととりとめもないことを話す。ゲートの話やクマ出没の話はこの時のものだ。

約20分後。エス丸の待つ駐車場に着いた。本当に着いたんだ。感動…。

運転手に料金を払って車を降りる…、と、降りられない! 脚がまるっきり棒になっているのだ。カクカクとしてしまってうまく歩けない。その様は人形の様でおかしなほどだ。妻も同じ症状だったらしく、2人で驚いた。テントに入って楽にした後でもこんなことにはならない。大休止した後でもこんないはならない。それがどうだ。たった20分タクシーに乗った後ではもう脚が使い物にならなくなってしまった。

これはたぶん脳の問題だろうと思う。テントや休憩時にはまだ先があるので脳は体を心底リラックスさせないのだ。でも、もう終わりだと脳が判断したので、それまでの疲労を一気に吐き出させた。その結果がこの棒の脚なのではないか。通常なら一晩寝た後くらいに襲ってくる疲労が、タクシーの20分で現出した。これはそれだけこの間の山行の困難さを物語っているのではなかろうか。

確かに腹も減ったもんなあ。良く歩いたよ、本当に。子供も妻もよく頑張った。ありがとう、そしてお疲れ様でした。

久しぶりのエス丸になんとか荷物を詰め込むと、タクシーの運転手に教えてもらった温泉に行く。上高地ホテルというのがここから一番近そうで、実際、1分も走らずに着いた。温泉セットを手に車を出る。脚がうまく動かない。ホテルの前のわずか30cmほどの段差もうまく越えられない。でも、安堵感があるからか、こんな体の状態がなんだかおかしかくて笑えてしまうのだ。

上高地ホテルの温泉はいやもう絶品だった。久々の風呂、そして寒空の中を歩いてきた後の風呂、ということもあるのだろうが、これまでのどんな山行の後の風呂よりも体に、そして心に響いたお湯だった。

内湯の温度は熱いくらいで息子は入れなかった。だが、吉祥丸にとってはぴりぴりと体の節々を刺すようなお湯が無性にありがたかった。乾いた皮膚にお湯が染みこんでいくようで、「いや~極楽、極楽」そんな言葉が自然と口をついて出てしまう。

露天風呂はやや温度が低く息子も入れた。ふと夜空を見上げると、外の木々が風に揺れている。唐突に冬の日光で入った露天風呂を思い出した。吹雪の中、スノーシューも出来ずに温泉だけ入って帰ったのだが、吹雪というのは外にいると地獄だが、露天風呂の中にいると風情があるのだ。上高地ホテルの露天風呂で風に揺れる木々は風情があるが、涸沢のテントで経験する風の強さは心地良いものではなかった。同じ自然現象でも場所によってこうも感じ方が違うのかと思った。

実際、この後の吉祥丸一家の価値観の基準はこの時の涸沢になっている。「あの時の涸沢に比べれば」とか「涸沢にいたらこうだったね」とか。その基準は涸沢に比べていかに今が恵まれているか、または恵まれすぎているかというものだ。そういう意味では今回の涸沢山行は我々にとってとても意義のある経験だったといえるのではないか。

絶品の湯を堪能した後、ホテルのロビーでしばしまったりする。

ふと見ると、売店の上に紅葉の涸沢のパノラマ写真が!美しい!絶景である。晴れてさえいればこれが堪能できたのだ、そう思うと実に悔しかった。自分はまた来ればいいが、娘はもう来ないだろう。娘にこの景色の美しさを知ってもらいたかった。

ホテルを出て、さあ、腹が減った。なにしろ朝ちゃんこ雑炊を食べてから、行動食以外何も口にしていないのだ。レストランを探しながら松本ICに車を走らせる。8時頃だった。

結局、店があったのは松本ICのすぐ近くまでいったところだった。息子は寝てしまっていた。でも、腹は減っているだろうし、何も食べないというのは体に良くない気がして、無理矢理起こした。が、当たり前だが機嫌は最悪。ひとしきり泣いた後、レストランの椅子で寝てしまった。

他の3人はここでようやく文明的な食事を取る。金さえ出せばこんなにも贅沢な食事が(ハンバーグだったが)出てくることに若干の違和感を覚えながら食べ終える。

さあ、これから220kmのドライブだ。だが、走り始める前から眠気があった。案の定、高速に入るとすぐに強力な眠気が。まず諏訪サービスエリアで約20分の仮眠。だが、走り始めてすぐに眠気。どうやら温泉に入って気持ちいい眠気、ではなく、本格的な夜の睡魔が襲ってきているらしい。ここまでがんばってきて、ここで事故を起こしたらシャレにならないので、この後3回ほど計2時間の仮眠を取った。そのおかげもあって、約100km先で起きていた大渋滞も自然に解消していた。

ようやくと自宅に着いたのは午前2時だった。お疲れ様。

寝ている息子を抱いて運ぶ。みんなすぐに眠れずあれこれ今回の山行のことを話した。そのうち息子が起き出してお土産にしていた夕飯のピザを食べる。そして今度は4人で再び今回の涸沢の試練について話した。内容は覚えていないが、安堵とともにビール&焼酎を飲む吉祥丸は、この時間が実に幸せなひとときだと実感するのだった。

みんなが眠りについたのは朝方4時を回ってからだった。ほんとにお疲れさんでした。でも楽しかった!

写真は晴れていたら2日目の午後のおやつにしようと思っていたカップヌードル。ザックの中で割れてしまった。

土曜日, 11月 25, 2006

涸沢の試練 その10

今日こそ終わらせる(^^;)

涸沢を後にした吉祥丸一行。きつい下山になるかと思いきや、意外に足取りは軽かった。最初の方こそ残雪があったが、踏みしろはしっかりしていて危険はなかった。そしてものの10分ほど下っただけで、もう雪は消えていた。あとはいつもの調子で下るだけだった。もともと危険な箇所はないので雪さえなければこっちのものだ。雨は相変わらず降っていたが行く手を遮るようなものではない。

しばらくすると完全防備だった息子も汗をかくほどに。乾いた足が幸いしたのかいつもより速いペースで下っていく。うっかりするとついていけないくらいに速い。

やはり人が多く、ところどころで渋滞している。へたをすると数分も立ったまま待たなくてはならないこともあった。息子も娘も文句も言わずに黙々と下り続けた。

そのうち女チームと吉祥丸と息子の男チームの差が開きだした。息子はどんどん先に行きたがる。しょうがないので息子のペースに合わせた。が、これが速い。ほとんど早足の感覚だ。
息子は前を歩く山慣れしたような人のハイペースにくっつくようにして歩くのだが、これが重いザックを背負う吉祥丸にはきつい速さなのだ。

本谷橋を越え、横尾までの平坦な道になるとなおスピードが増した。息子の歩幅は吉祥丸の半分くらいだろうに、なんであんなスピードが出るのか不思議でならない。最後は「ちょっと休憩するか」という父の泣きまで入ってしまった。でも、結局、横尾まで休まず、下りきってしまった。

横尾到着15時5分。涸沢から約3時間弱かかった。混んでいなければ2時間半で着いたろう。

さて、ここでまた問題発生。上高地到着が遅くなってもタクシーなら沢渡まで帰れると思っていたが、横尾山荘で問い合わせたところ、「6時半でタクシーは終わり。ゲートが閉まってしまうから」とのこと。ということはあと3時間半で上高地から脱出できなくなるということだ。しかもまだ女チームは来ない。あと20分はかかるだろう。ということは今日中の上高地脱出は難しい。ならばここでもう一泊しようか。

ただ、レインウエアを脱ぐと下に着ていたフリースがびしょびしょだった。しかも午後のこの時間になると急に寒くなってくる。雨はやんでいたが、寒さに加えて濡れたウエアはまずい。しかも替えのウエアはないのだ。一瞬だが自分の身の危険を感じた。この後、テントの中で寒さに震える自分を見た思いがした。

まいったなあ、と思っているうちに女チームが帰還(?)した。15時半。

2人に7時にゲートが閉まってしまうこと。だからタクシーは6時半までに乗らないとならないこと、ここから上高地までは早くて3時間はかかること、などを説明し、「だから今夜はここに泊まろうか」と言ったのだが、娘はすかさず「今日中に帰りたい!」と強行に主張した。

考えてみれば我々は昼食を食べていない。今から食べたら絶対に間に合わない。今日中に帰るということは、昼食も食べずに今すぐ歩き始め、さらにこれまで以上の普通の大人の歩くペースで歩かないと間に合わないということだけど、できるのか、と娘に迫ると、「がんばる」という。それほどここを脱出したいのだとわかって少々、というかかなりショックだったが、吉祥丸としても体温低下を懸念していたこともあり、できるのなら今日中に帰宅したいという思いはあった。

妻も娘の意見に異議を申し立てない。息子もOKだった。
そいういわけで疲労+空腹+タイムリミットとの戦いが始まったのだった。

行きは確か上高地~横尾に5時間かかっている。3時間で歩くにはだらだらヒンヒンはもってのほか。ひたすら歩くしかない。

5時半を過ぎたら辺りは真っ暗になるだろう。吉祥丸はヘッドランプをすぐ取り出せるポケットに入れなおし、準備万端で出発した。

いきなりハイペースで歩く。が、このペースは息子でさえついて来られなかった。娘はなおさらだ。でも、彼女のペースに合わせていたら絶対に今日中に帰れない。早めのペースを示すことで、彼女が自分で自分のペースを上げることを期待した。

徳沢には45分で着いた。かなりのペースだ。
休憩もそこそこに出発する。徳沢には平らな芝生の上にテントがぎっしりあった。涸沢の条件の悪さを考えると、徳沢のキャンプ地は天国のようだ。

明神までは1時間かかった。ここの山荘で電話を借りて、タクシー会社に予約をしておいた。「6時45分までは着いてくださいね」と念を押された。後で聞いた話だが、ゲートが閉まってからどうしても下に行きたいときは、あらかじめ沢渡からゲートの手前までタクシーを呼んでおき、そうした上で上高地からタクシーでゲートまで行って、そこで呼んでおいたタクシーに乗り換える、という方法を取るのだそうだ。そうしないとゲートを厳格に閉める意味がないというのである。その意味とは、上高地への不法潜入であり、不法採取であったりする。勝手に入れないようにゲートを厳格に守るのであった。

明神に着いたあたりから暗くなった。息子にヘッ電を渡す。ヘッ電は2つしかない。ここからははぐれないように4人固まって歩くことにした。

6時半まであと1時間15分ある。みんな疲れていたが、あと一踏ん張りは出来そうだ。今日中の上高地脱出の目処がついた。なんとかなりそうだ。

つづく(^^;)

火曜日, 11月 21, 2006

涸沢の試練 その9

この先、他の日記がつかえている(家族のこととかもっと書きたい)ので、今回で涸沢の試練は何とか終わりにしたい。できるかな(^^;)

さて、暴風雪の中、どうにかこうにか全ての荷物を撤収した吉祥丸は、ヒュッテで待つ家族の元へと急いだ。

午前11時半。

ヒュッテではすでにみんな準備が終わっていた。まずはトイレを済ませる(今朝はこのトイレがものすごい渋滞だったと後日他のブログで知った。この時はガラガラだった)。

外は相変わらずの暴風雪。奇特な人たちが紅葉の写真を撮りにこの風の中出かけている。風雪の真っ只中でカメラの三脚を立てているのを見ると、アホやないかと思うのだが、そういう自分もこんなところで何をやっているんだと問われれば、やはり相当アホなんであった。

それにしても風が強かった。ヒュッテの建物と建物の間というか、踊り場のような半分外のような場所にいたのだが、ものすごい風が轟音とともに吹き抜けている。ちょっとビビった。吉祥丸でさえふらっときそうな風の強さなのだ。この突風を子どもたちがもろに食らったら登山道を踏み外してしまう危険があった。少し迷う。この風の中、下山するべきか、もう少し待つか。だが、今日中に下山するなら今しかない。う~ん。

と、ここで新たな問題が勃発した。息子が「足が痛い」と言い出したのだ。靴の中が湿っており、靴下が濡れて冷たくなってかじかんでしまったのである。こうなると「疲れた」「歩きたくない」と違って本当に歩けなくなる。なだめたりすかしたりして歩かせるわけにはいかないのだ。時間は押しているしさあ困った。
が、こういうときに妻は、というか母は迷わない。ヒュッテの乾燥室に入り、靴と靴下を乾かすと言う。そんなことしていたら30分か1時間はかかってしまうが、考えてみればそうする以外に選択肢はないのだった。

乾燥室の中は大型のストーブが燃えていて暖かかった。この荒れくれた環境の中、ここには文明がある、そんな感じだった。ストーブを囲みながら登山客が談笑している。こっちはテント泊で本当は乾燥室を使えない身なので遠慮してしまった(実際は妻が交渉して1000円で使わせてもらっていたので遠慮することはなかったのだが)。みな楽しそうだ。疲れて無言の人もいたが、多くは涸沢にいることの喜びに満ちていた。羨ましかったなあ。なんにしても彼らは余裕があるのだ。対して吉祥丸一家はもうぎりぎりだった。さらに追い打ちをかけるような息子の足痛。本当に下山できるんだろうか、もう一泊、今日はヒュッテに泊まろうか、などと考えてしまった。いや、それだけ外の天気は最悪だったのだ。

しばらくすると靴下は乾いたが、靴はなかなか乾かなかった。すると、妻がなにかザックから出した。ビニール袋を使って靴からの浸水を防ぐというのだ。ビニール袋に足を入れてから靴を履くというすんぽうだ。この発想は吉祥丸にはできない。履きづらいだろうし、今度は足が蒸れてしまいそうだし、何よりこの場でそれを行うのはちょっと恥ずかしいではないか。が、妻は真剣だ。だが、こういうときの(どういうときだ)妻の行動は概して正解な場合が多い。結果的にはこれが功を奏して、この先の息子は最後まで絶好調だった。まさに妻のおかげ。吉祥丸だったら絶対にしない措置だった。それにしてもゴアテックスの靴が必要だとつくづく思った。

幸いなことに乾燥室で時間を取られた分、しだいに天候が回復してきた。風が弱まったのだ。これは嬉しかった。風は、吹いていたけれどもう吹き飛ばされそうなあの暴風は止んでいた。

息子に靴を履かせ、いよいよ涸沢を後にするときが来た。重いザックを背負い、「さあ行くぞ」とみんなに声をかける。

12時15分、涸沢出発。

日曜日, 11月 12, 2006

涸沢の試練 その8

翌日の晴天に賭けて、当初の予定通りもう一日涸沢で過ごすことも考えたが、もしも再び(というかそのときも風雪は止んでいなかったが)昨夜のような降雪に見舞われたら、今度こそ孤立してしまう可能性が高かった。吉祥丸や妻だけならまだしも、子供たちのことを考えるととても「賭ける」なんてことはできない。

下山できるうちに下山したほうがいいだろうと思った。そして下山すると決めたならここに長居は無用だ。そしていったん下山するなら娘の希望通り今日中に自宅まで帰ってしまいたい。ここから上高地までは約16km。行きは9時間かかったが、下りであることを考えれば休憩を入れて6時間あればなんとかなるはずだ。もっとも、暗くなってしまうのは避けたいので、そうすると10時か11時には出発したい。
その旨をみんなに言い渡す。妻は午後に出ればいいという意見だった。今日中に上高地は難しいし、途中でもう一泊するなら慌てて出発することもない、まだ衣類も乾いていないし、というものだ。

しかし、娘は「今日中に帰りたい」と言う。息子はそれほど駄々はこねなかった。吉祥丸は…。いざ帰ろうとなったら無性に今日中に帰りたくなった。濡れた衣類とともにもう一泊するのは、ましてやずぶ濡れのテントを収納→組み立て→収納という手間がとても面倒に感じられたのだ。間に合わない場合は仕方ないとして、なんとかいけるとろまで行きたかった。

結局、ここに長居することのリスクを妻に説明し、できるだけ早く下山することにした。

まず、妻が乾燥室に行って服を取ってくる。その間にテント内の片づけを行う。乾いた服が戻ってきたら着替えを済ませてテントを出る。という段取りにした。

難儀したのが昨夜大活躍した簡易トイレの中に入っていた薬だ。水を固める成分らしいのだが、これが濡れたザックの水分に反応して破け、ゼリー状の液体となってそこら中にこびりついてしまったのだ。しかもティッシュで拭いたくらいでは落ちない。結局ほとんど取れないまま収納してしまった。

このころになるとテントのずれがいよいよ激しくなってきて、風の抵抗をもろに受け、そのたびにテントが大きくかしぐようになってしまっていた。テント内を整理して重しのバランスが崩れるといよいよ危なくなってきた。すぐにでも畳まないとこのままでは強力な突風がふいたら倒れてしまいそうだった。実際、風によってテントが浮き上がりそうになり、息子と必死に押さえたものだ。もっとも、息子はけっこう楽しんでいたようだったけど(^^;)

みんなをせかして撤退を急ぐ。テントを畳むのを待っていたら凍えてしまいそうだったので、一足先に3人はヒュッテの中へと向かった。一人で作業をする吉祥丸。その後ろには雪に覆われた北穂高岳がそびえ立っているはずだったが、その姿を観賞している余裕などなかった。いま考えるとちょっとだけでも手を休めて振り返ってみたら良かったのにと思うが、このときはまだ風が強く、ポールを外したテントは一枚の布になって下手をすると風で飛ばされてしまう恐れがあったので、本当に余裕がなかったのだ。見たいとも思わなかったなあ。

水曜日, 11月 08, 2006

東京ディズニーシー

涸沢に比べると(比べるのもなんだが)対照的な享楽エリアといえるのがここ東京ディズニーシー(以下TDS)ではあるまいか。電気やガスや水や火をふんだんに使ってすべてはお客様のために、いや企業のためにか? なんでもいいがともかくなにもかもが手に届くところにそろっているエリアだ。

涸沢の試練についてのレポートははまだ終わっていないが、先日、珍しく子どもたちと吉祥丸の平日休みが重なり、TDSに行ってきたのでその時のことを書いておく。

平日休みということもあって、どこか平日でないと行けないところ=休日には行けないところ、ということでTDSに決まった。吉祥丸としては涸沢苦行の罪滅ぼしの意味もあった。

TDSは家族全員初めて。

ランドの方は2年前に行った。その時の教訓は「ファストパスを使いこなせ」。
というわけで、いわゆる裏攻略といわれる本を立ち読みした。
ファストパスは1度取ると続けて2枚目は発行できない。だが1枚目のファストパスに記されている時間を1秒でも過ぎると2枚目取得が可能となるのだ。

ランドではそれを知らずに、律儀にファストパスで取ったアトラクションに乗ってから次のアトラクションのファストパスを取りに行っていた。結果、ビックサンダーマウンテンは早々にファストパスが売り切れ、結局乗れなかった。

そこで今回は事前にファストパスを取る順番を練った。イメージトレーニングまでした(^^;)

結果は上々。しくじったところもあったがまあまあ乗れたのではないかな。

連休明けの平日ということもあって比較的すいていたというのもラッキーだった。もっとも休日にここに来る人の気が知れないが。

さて我々は当日4時半起床(^^;)

用意をして5時半出発。息子は爆睡中なのでシュラフにくるんで運ぶ。娘はさすがに登山の時とは違って起き出した。
エス丸は3列目を収納して1列目と2列目の間にマットとシュラフを敷いてベッドモードにした。子どもたちはここで寝ていける。
ただ、息子はすぐに目を覚ましてしまったけど。

混み始める直前の首都高をすり抜けるように走った。

すいていると着くのは早い。約40分で到着してしまった。まだ6時10分。駐車場に着くとすでに先行者がいたがざっと数えて100台程か。係の人に誘導されて後ろにつける。「駐車場は7時に開きますので」と係の人。この人は何時から何時の仕事なんだろう、と思わず思ってしまった。たぶん4時頃からここに立っているんだろうなあ、と思った。

息子がお腹が空いたというのでここで本日の朝食。コーンフレークを食べる。娘は寝ている。天気は曇り。1日もってくれよ~、と祈った。

息子と車内であれこれ遊んでいるうちに7時になった。10分前に係の人が「間もなく開きます」と言って回っていた。しつこく言っている車もあったので、たぶん寝ていたんだろう。確かにこの「呼びかけ」は必要かもしれない。


2000円という高額な駐車料金を支払って入場。しかし2000円は高いよなあ。

7時に入場してもまだ開場までは2時間ある。ぶらぶらと散歩がてら入場門のところまで歩いていった。駐車場から一歩TDSの中に入るとそこはやはりディズニーだ。なんとなくワクワクしてくるのが不思議。

が、門のところにはすでに入場待ちの人がマットを敷いて座っていた。放っておくとこの列がどんどん伸びそうだったので、すかさず車に戻った。娘を起こし、朝食を食べ、服を着替えていよいよ出発する。

チケットは事前に買ってあったので直接門の前に並んで座った。あと1時間強の時間つぶし。なんといってもTDSおよびランドでは「待つこと」ばかりが多いのだ。

時間つぶしは30秒や1分を頭の中で数えてぴたり当てるゲームをやった。息子が意外に喜んで時間がつぶせた。

そしていよいよ時間になった。数分前には門の中にミッキーやミニー、グーフィーが登場して盛り上がる。

9時開場。ここで一目散に走る輩がいるが、吉祥丸はそんなことはしないと心に誓っていたのに走ってしまった。周囲がみんな走っているからつられて走ってしまう、ということもあるが、走る人の目的が「タワーオブテラー」にあるとわかっていたので、とすると、のんきに歩いていたのでは2年前のビッグサンダーマウンテンの二の舞になってしまう。それは嫌だ、というわけで走り始めたのである。それでも恥ずかしくてゆっくり小走りしていたら、息子が「パパ速く走れないの?」と言う。息子は今のスピードで追い抜かれるより、速く走って追い抜きたいようなのだ。「よし」と言ってスピードを上げる。あとはファストパスの列に並ぶまでノンストップだった。疲れた(^^;)

ゲットしたファストパスを見たら10時20分だった。よし。いい調子だ。

さて、その後に乗ったアトラクションを全て書いていくといつまで経っても終わらないし、そもそもTDSのガイドを書くつもりもないので割愛する。

今回はなんとか家族の要望に応えよう、それが涸沢の罪滅ぼしだと思っていたので、それを実行した。娘の「タワーオブテラーにもう一回乗りたい」という要望も叶えたし、息子のアクアトピア2回連続乗車にも応えた。妻に運転させないために夕飯の酒は控えたし、ビッグバンドブルースというジャズのコンサートのようなショーにもつきあった(これはこれで観てよかった)。

結局TDSを後にしたのは午後9時20分ごろ。約12時間、みっちり遊んだことになる。

結構歩いたし疲れたが、楽しい一日だった。家族4人でこんな時間を過ごせるのはあと何回あるのかと考えてしまう。とくにTDSなんてもう二度と行かないんじゃないかな。

息子も娘もお土産や自分のための買い物も満足したようで良かった。

アトラクション後に感想を言い合ったり、昼飯時にスズメに餌をやったり、タワーオブテラーの写真を見て笑ったり、4人で夜景を背景に写真を撮ったり、それが変な写りになっていて笑ったり、娘と二人でタワーオブテラーに乗ったら、娘が吉祥丸の腕にぎゅっとしがみついてきたり…。思い出は尽きない貴重な一日になったのだった。

帰りの車の中では「のだめ」を見る。途中で息子が眠ってしまう。家に着いてから酒がないことに気づき、近くのコンビにまでまたドライブ。

ゆっくり酒を飲めたのは10時半過ぎからだった。妻と今日一日のことを話しながら酒を飲む。そばでは息子と娘が無防備に寝ている。ああ至福のひと時…。

木曜日, 11月 02, 2006

涸沢の試練 その7


夜が明けた。
夜が明けるというのは精神的に実に楽になる。不安が半減する。明るくなることで周囲の状況をより的確に判断できると同時に、天候がやや回復する、ということもある。一晩中吹いた風が朝の訪れとともに穏やかになる、などという状況は多いのではないか。

で、この日の朝…。風は止まなかった(TT)。もちろん雪も(ToT)。

でも、明るくなったことと、周囲の人たちも起き出したことで、連帯感という感じが出てきて孤独感のようなものはない。

周囲には若い人のパーティが多かったようだ。いくつかのグループがそれぞれ話している。この会話が実に参考になった。この天候に困惑しているのは吉祥丸だけではないとわかっただけでも嬉しかった。

もっとも、ある若い女性はグループの人間に「これじゃあ上には行けないね、どうする?下山する?」なんて言っている。つまり下山できるか出来ないかの不安ではなくて、上(奥穂か北穂)に行けないことを悲しんでいるのだ。たぶん、アイゼンなど用意していて、より過酷な山行を選択するか、安易な(?)下山にするかで迷っているのである。吉祥丸一家は無事に下山できるかどうかで悩んでいるのに…。
しかも、この女性はどうやらテントの前で外に立って話をしているらしい。どんな防寒具を着ているのか知らないが、よくもまあこの風雪の中で話が出来るもんだと感心してしまった。吉祥丸は今のところ一歩も外には出たくなかった。

左隣のテントでは起き出したと思われる男が感嘆の声を漏らした。
「うわー、すげえ!いやあ、雪に覆われた涸沢っていうのも趣があっていいなあ」
なんか、今初めて雪が降っていることに気づいたみたいだ。この男はあの夜中の暴風雪の中、一度も目を覚まさなかったというのだろうか。にわかには信じられなかった。それとも、息子や娘のように爆睡して気がつかないなんてこともあるのだろうか…。
「うう~、寒い寒~い!」
男はそう言って再びテントの中に入ったようだ。
ただ、この男の楽観的発言にも少し救われた。「趣があっていい」なんて発言は余裕がないと出ないだろう。少なくともこの男は今の状況を悲観していないということだ。もっとも、この男も冬山装備準備してます派かもしれないが…。

時間は8時頃になっていた。山の朝は早いと言っても、さすがに5時、6時ごろはなすすべもないくらいの暴風雪だったのである。

妻が起き出す。天気が回復していないことを知っても、あまり落胆はしていないようだった。あきらめ?

ともかく、朝飯だ。といってもまだ子どもたちは起きる様子もない。強引に起こすのもかわいそうだったので、そのままにしておく。

それよりもテントの天井に引き綱を張って乾かしていた衣類が、どうやらあまり乾いてないようだ。
と、妻が「ヒュッテの中に乾燥室があった」と言う。テント泊の人が使えるかはわからないが、行ってみると言う。吉祥丸は最悪濡れていても歩いているうちに乾くだろうと思っていたが、妻はこういうところは几帳面というか堅実だ。実際、結果的には乾かした方が何倍も良かった。特に子どもたちにとっては。

濡れた衣類や手袋やタオルなどをビニール袋に入れ、妻がトイレに行きがてら1人でヒュッテに向かう。これはありがたかった。吉祥丸はまだテントから出る勇気はなかったし、雨具が内側もびしょびしょで着れなかったからだ。ついでに吉祥丸の雨具も乾燥させてもらう。

妻がいなくなるとまた話し声が聞こえた。
今度は右隣のテントの若者だ。これは大学の山岳部のような感じだった。テントの中で話をしているようだった。
「天気予報では松本は晴れだそうよ」←マジかよ~、と思った。
「明日はここも晴れるみたい」←どうするか。明日までいるか、と悩んだ。
「20分ほど下ると雪はないみたい。雨みたいよ」←嬉しくなった。少し頑張ればなんとか下山は出来そうだ。

さらに聞き耳を立てていると、リーダーらしき若者が、「よし、今9時だから、9時半までに朝食を食べて、10時までに撤収、下山しよう」とリーダーらしくきっぱりと言った。へえー、と思いました。かっこいいな、と思いました。毅然としていて迷いがなく押しつけがましくもない。こうでなくちゃいけないんだな、と思いました。ここでまた反省…。
リーダーが続ける。「ここにいても天気は回復しないだろう。下山して、今日は徳沢あたりでパーティーかな」そう言ってみんなで笑っていた。その余裕が羨ましかった。

さらに遠くのテントでは、昨日、同じく苦行となっていた中学生集団のリーダーらしきおじさんが言っている。「さあ、こんな雪景色の涸沢なんて滅多に拝めるもんじゃないぞ。しっかり目に焼き付けておけよ」
この人の余裕も羨ましかった。中学生たちを鼓舞するつもりで言っているんだろうけど、その言葉が出る背景にある余裕が羨ましいのだ。この人も冬山装備準備してます派なのだろう。

そうこうしているうちに妻が帰ってきた。乾燥室は案の定、テント泊の人は使えなかったそうだが、誰もいなかったので荷物を置いてきてしまったという。(この後に妻はヒュッテの人と交渉して1000円で使了承を得た)。

しばらくすると子どもたちが起き出した。昨日のちゃんこの残りと持ってきた冷飯で雑炊を作る。うまかった。

しばらくすると子どもたちは狭いテントで身動きが思うように取れずに不満を言い始めた。息子は雪が降っていると知ると大喜びで「雪だるまを作りたい」などと言う。娘は逆に一刻も早く家に帰りたいと半泣きで主張した。それに対し息子は「せっかく来たんだし、もう帰るのは嫌だ」と反論。そのうち足を踏んだとか髪の毛を踏んだなどと言い始めて喧嘩になる。いつもの兄弟喧嘩ながら、この状況では収拾がつかなくなった。

また、もう一つの問題が発生しつつあった。やや傾斜のある場所にテントを張ったので、昨夜からみんなが少しづつ動くことでテントが斜めにズレだしていたのだ。一方のテントの端はちぎれそうなくらいに引っ張られていて、逆にたるんだ部分に風が当たるとより一層、風の抵抗を受けるようになってしまった。

どっちにしろ、このままではテントが持たない。もう一度きちんと張り直すか、撤収するか、そろそろ決めなくてはならなかった。

明日は天気が回復するかもしれない。ここまで来たのだから晴れた涸沢をみんなに見てもらいたい。息子もいたいと言っている。しかし、風雪が止まなければ、あるいはさらに降ってしまったらいよいよ孤立してしまうかもしれない。
妻は昼頃まで待って決めればいいと言っていたが、仮に撤収するとなると昼では間に合わない。横尾にもう一泊するなら別だが、撤収するなら一気に下山して家に帰るべきではないか。温泉にも入りたいし、などと思った。
娘は「早く帰りたい」しか言わない。

さてどうする。山では決断しなければならないことが多く、しかも、その判断は難しいものばかりだ。

う~ん…。

金曜日, 10月 27, 2006

リコーダーコンクール


涸沢の試練はまだ続くが、先日娘のリコーダーコンクールに行ってきた。
9時には出発していたので吉祥丸としては遊びを除けば異例の早さだ。

コンクールは小学生の合奏の部が約1時間ほど。これで終わり。娘はクラブの仲間と3曲吹いた。
吉祥丸は素人だが、親バカを極力排除してもそれなりに、いや結構うまかったと思った。
彼女たちに先立って合奏した私服チーム(どこかの小学校がバラバラの服で吹いていたのでそう呼んだ)もかなりのレベルだったので、いい勝負だと思っていた。

結果は後日知らされたが、なんと最優秀賞!

いやこれには驚いた。娘がそんな栄誉ある賞に輝くとは正直思っていなかったので、なんか自分のことのように嬉しかった。息子が運動会の50m走で1等賞を取ったときと同じようなジ~ンとこみ上げるものがあった。なんか、自分の手を離れた子どもたちが彼らの手で掴んだ栄光、というものが嬉しかったのだ。吉祥丸があれこれ手を焼いて、それで掴んだものは、父親としての自己満足はあるものの、本当の意味で子供の実力とも言えないような気がする。
今回の娘の快挙は、娘が自分でやりたいことを自分で選んで自分で仲間とともに練習し、先生の教えを聞いて掴んだものだ。

なんかすごいなって思ってしまったのである。

おめでとう!娘よ。

土曜日, 10月 21, 2006

涸沢の試練 その6


暴風の音と暴風がテントを揺さぶる音に妻も目を覚ました。「凄いね」と言い合う。だからといって他にすることもない。できることもない。妻はまた寝てしまった。このあと妻はやはり凄まじい暴風の音で何度か目を覚ますが、また寝てしまう。眠れる妻が羨ましかった。

明け方になってきたのか、冷え込みが一層厳しくなったのが感じられるようになった。 ダウンの下はTシャツ1枚。まだ乾いている長袖のシャツがあるはずだが、どこにあるかテント内を探すのは億劫だ。自分で自分を抱くようにして寒さをしのぐ。
足元は結露で濡れているし、そもそも縦長のテントに対し、横に寝ているため、足がつかえてしまう。膝を立てて横になっているのだが、これが非常に窮屈だった。
それでも、自分のことはあまり心配にはならない。震えがくるほどの寒さではないし、足が伸ばせないくらいは大したことではない。今ヒュッテに泊まっている人たちの窮屈さに比べれば…。たぶん、布団1枚に3人、いや今日の混雑からすれば4人ということもありうるだろう。暴風雪の恐怖からは免れるが寝苦しさはこちらの比ではないはずだ。

子供たちの様子が気になって何度も体温を確認した。息子はマット1枚で寝ていてそばには濡れたザックがあったので冷え切っていないか心配になるのだ。娘が陣地を占領するものだから、息子は下手をするとマットから外れて直にテントのシートの上に寝てしまうこともありえた。そうなると地面の冷たさがダイレクトに伝わってしまう。しかも息子は爆睡しているのでその冷たさに気づかないかもしれない。そうこうするうちに冷え切ってしまって…。そんな不安が頭をよぎるので、しょっちゅう息子の位置を確認したりマットの中央に戻したりした。

娘はパタゴニアのジャケットに体をくるませるようにして寝ていて、シュラフがずるずると下がっている。寒そうだが、シュラフを上げるのは大仕事で、息子同様爆睡している娘を相手にそれを行うのは至難の業だった。とりあえずは大丈夫そうなので、できる範囲でシュラフをずり上げるという作業を何度か行った。

風は相変わらず一定の間隔で吹きすさんでいた。そして、ひときわ強い突風が吹いたとき、何かの塊がテントの上からドサッと落ちた。雪の塊だ。よく目を凝らすと風がモロに当たっているテントの壁面に雪がへばりついているのだ。もちろん上部にも積もっており、それが重みと風の強さで落ちたのである。いよいよ大変なことになったな、と思った。いったい外はどんなことになっているのか。見る勇気はなかった。この日のことを誰かが(この時のカールのどこかのテントに泊まっていた人だ)ブログでこんな風に書いていた。

<テントの換気口から外を見ると一面が真っ白な世界。見なかったことにしてまた寝た>

笑ってしまったが、確かにこの現実はどうしても認めたくないほどひどいものだった。 ふと思いついてテントの入り口のジッパーを開けてみた。恐る恐る前室の様子を伺う。前室と地面には10センチほどの隙間があるのだが、そこが雪で埋まっていた(ToT)

当然ながら登山道も雪で埋まっているはずだ。朝になって気温が上がればすぐに解けてしまうだろうが、逆にこの悪天候が続けばさらに積もってもはや脱出不可能になるのでは、などと考えてしまう。いや、でも絶対に下山する人はいるだろうし、大勢いれば雪はなくなるかも、などとも考える。こんなことを繰り返し考えながら時間をつぶした。


唐突に、ホリエモンならどうするか、なんてことも考えた。暇なもんで。ま、ホリエモンが好き好んでこんなところに来るとは思えないが、まあ、それは置いておいて、彼ならこの事態をどう切り抜けるか。金を使ってね。ホリエモンならヘリを呼ぶだろう。当然民間のヘリだ。明日、ヘリが飛べるような状況になったらすかさず部下に命じてヘリを飛ばさせる。涸沢小屋の横のヘリポートに着陸させ、あとは全ての道具をヘリに積み込んでさっさとこの場を後にするだろう。そうして六本木ヒルズの屋上にあるヘリポートまで一直線だ。時間にして約1時間か。あとはエレベーターで降りるだけである。
200万くらいかかるだろうが、彼にとっては痛くも痒くもないだろう。
沢渡に置いてある車は部下かアルバイトに取に行かせる。10万も出せば喜んで取ってきてくれるだろう。金があればそんなことも可能か。
ここに閉じ込められて生死の淵をさまようことと比べると、やはり地獄の沙汰も金次第なのかも…。
ま、それでは自力で下山するという喜びというか、このピンチを自力で切り抜けたという満足感みたいなものは得られないだろうし、そんなことするやつは山屋ではない、と蔑まれるだろう(蔑まれてもホリエモンは動じないだろうが)。
なんていうことを徒然に考えて過ごした(よくもまあくだらないことを考えるよなあ)。

その間も暴風雪は吹き荒れていた。やがてテントの外がゆっくりとだが明るくなってきた。だが、風は止む気配はない。それでも夜が明けたとなると、活力が沸きあがってくる気もした。

さて、今日はどうするか。というよりどんな一日になるのだろうか。

金曜日, 10月 20, 2006

涸沢の試練 その5


娘の「デスノート」を半分ほど読み、持ってきたバーボンをほとんど飲んでしまうと次第に眠くなってきた。9時頃だったか。ランタンの灯りを消し、ヘッドランプも消していよいよこの辛かった一日に終止符を打つべく眠りについた。
息子のシュラフを腰まで上げ(小さくてそこまでしか上がらない)、ダウンのジッパーを一番上まで上げて横になる。

数時間は眠ったろうか。

突然の風の音で目が覚めた。涸沢はカール状になっていて、その下部は沢に沿って谷間になっているのだが、その峡谷の方角から地鳴りのような轟音がしたのだ。なんだなんだ、地震か落石か?風の音?という思考が働いたその刹那、轟音の主がテントを襲った。まるで特急電車が至近を通り過ぎたような轟音と風でテントを揺るがした。ポールがしなり、フライがはち切れんばかりにはためく。前室のフライも風に翻弄されるように音を立てて暴れた。

一瞬、何が起ったのかわからなかったが、天候が悪化していることだけはわかった。風は、吹き荒れている、というより、一定の時間を置いて谷から山頂へ吹き抜けていく感じだった。約1分おきに20秒ほど吹く、そんな感じだ。吹くときは先に書いたように谷底から怒りに満ちた地鳴りのような音響があり、その数秒後に我がテントを襲う、というパターンだった。だが、吉祥丸は何をすることも出来ない。外に出て引き綱のテンションを確認しようとも思ったが、この暴風と寒さの中に出ていくのは正直嫌だった。まあ、ドーム型のテントは風に強いし、モンベルだからポールもフライの生地も頑丈だろう、などと自分に言い聞かせるようにしながらテントがもつことを祈った。

それでも何度かひどく力強い暴風にテントが軋むと、これはやばいのではないか、と思った。4人が入ったテントごと飛ばされることはないにせよ、ポールが折れたらおしまいだ。テントはぺしゃんこになり、最悪、この場から逃げなければならなくなるかもしれない。本当に最悪の場合はヒュッテに逃げ込むとしても、そこまでの距離をどうやって行くのか。自分はまだしも、ふかふかでぬくぬくのシュラフで寝ている子供たちのことを思うといたたまれなかった。何とか持ってくれよなあ。風もそろそろ止めよなあ。そんなことばかり考えていたらもう眠るどころではなくなってしまい、でも他にすることもなく、ひたすら一定のリズムで繰り返す暴風を恨めしく思いながら、横尾で泊まっていたら…などと後悔するのだった。


風は、だが吹き続けていたわけではない。ときおりパターンを外れて止むときがある。風が止むとあたりはシーンとなって、ああ、終わったのかも。さっきの風が最後で、今もしかしたら頭上には雲の切れ間が広がり、みるみるうちに星空が顔を出し、明るい月光がこのテント場を照らし始めているのではないか、そうして明日はモルゲンロートが拝め、予報通り晴天になるのでは、などと思ったりした。だが、思考がそこまで進むと、決まってそんな考えをあざ笑うかのように例の地鳴りが遠くで響くのだ。そして数秒後に、今度はそんな甘い考えをした罰だぜ、とばかりにこれまでで一番力強い暴風がテントと吉祥丸を翻弄し、ビビらせるのである。

そのまま何時間経ったろうか。妻の携帯の電源を入れて時間を確認する(この山行で吉祥丸は大事な石と時計を忘れてしまったのだ)。

1時半!

もう4時頃にはなっていると思った吉祥丸は一気に落ち込んだ。あと何時間こんな思いをしなければならないのか。

しかしなあ、テン場にはテントが200以上はある。これだけの風が吹いているのだから、一個くらいは張り綱が甘かったりしてぺしゃんこになったり吹き飛ばされたりするのもあるのではないか、などとも考えたが、とても人様のことを心配している余裕はないのであった。


そのうちテントに打ち付ける音が変わった。サラサラシャリシャリという乾いた音だ。そう雪である!本格的に雪が降ってきたのだ。

積もるのだろうか。積もったらどうやって下界に降りるのか。アイゼンなんて持っていない。そもそも雪のシチュエーションなど想定外だ。
だが、そもそも、冬山の装備もなくこの時期に入山すること自体無謀だったのかも。装備もなく、雪に閉ざされたこの状況って、もうすでに遭難しているんじゃ…。

暴風雪に叩きつけられた吉祥丸の思考は限りなくネガティブになるのであった…。

恐怖の長い夜はまだ明けない…。

火曜日, 10月 17, 2006

涸沢の試練 その4


娘は本気で泣いていた。
涸沢カールのど真ん中、暴風雪に吹かれながらわんわん泣いていた。
いったんヒュッテで休んだあと、再びこのすさまじい風雪の中に駆り出されたのだから、ショックと寒さで辛かったのだろう。娘が登山中に本気で泣くのは当然ながら初めてのことだ。
可哀想に思いながらも吉祥丸はとにかく早くテントを設営するしかなかった。

辺りは次第に暗くなってきた。
場所を決めるとザックを降ろし、グラウンドシートを探す。が、見つからない。焦る。一瞬グラウンドシートなしで設営するかとも考えたが、浸水や寒さや岩のゴツゴツ感解消など、あとあとのことを考えるとやはり必要だろう。落ち着いて、もう一度探した。あった。すかさず広げる。続いてテントを引っ張り出して広げた。思ったより風で飛ばされなかったが、突風が一回でも吹けばどうなるかは容易に想像できた。

ポールをテントにはめ込み立ち上げる。これが出来れば設営はほぼ完了だ。妻と息子に手伝ってもらう。妻が要領がわからずにいると息子が「こうするんだよ」と教えていた。先にも書いたが、この時息子はTシャツの上にフリース一枚、その上にレインウエアという薄着だった。外気温は0度前後だろうし、この風雪では体感温度はもっと低かったろう。良く元気でいてくれた。感心し、頼もしく感じると同時に再び申し訳ない気持ちになるのだった。

テントが立ち上がると、泣いている娘を先頭に中に入らせた。強風に対する重しにするためであり、彼らをその強風から避けさせるためである。思いザックも中に放り込んだ。これで少しテントが安定した。あとはフライをかけて、引き綱で固定すればOKだ。

不思議と吉祥丸は寒くなかった。手はかじかんでいたけど。
でも、テントの中では相変わらず泣いている娘の声と、寒さ寒いと言っている妻の声が聞こえた。この時妻は歯が鳴って仕方がなかったらしい。確かにマットもシュラフもないテントの中では風はないものの地面の冷たさが直に伝わってくるのでかえって寒かったのかもしれない。

そのうちマットを引き、シュラフを出し、着替えが終わったのか、テントの中も落ち着いてきたようだ。

吉祥丸もなんとか引き綱を張り終え、テントの中に潜り込んだ。「お疲れ様」と妻。妻はまだ着替えていなかった。子どもたちは一番暖かいシュラフに2人で入ってマンガを読み始めている。娘もようやく落ち着いたようだ。妻が「寒い」という。着替えていないのだから当然だ。早く着替えるように言って自分もぬれた雨具を脱いだ。
着ているTシャツも脱ぎ、乾いたTシャツを着る。ダウンジャケットを出してその上に着た。吉祥丸はこれで何とか寒さはしのげた。このダウンは持っていこうかどうしようか迷った物だったが、持ってきて助かった。余計かなと思いながらもまさかのためにと思って持ってきて助かった衣類は他にもある。今回はそういう面ではなぜか用意周到だった。スポーツタオルや息子のスパッツなど、また、面倒くさい思いをしながらもシュラフや着替えを全てビニール袋に入れておいたので、濡れずに済んでよかった。これらが濡れていたら本当に死活問題だった。

妻も着替えを済ませると、何とか人心地つき、吉祥丸も夕飯の支度とビールを飲みたいという余裕が出てきた。

テントの中は外と別世界で、風雪は静かで(この時の風雪は単なる序章に過ぎなかったのだ)、乾いた衣類が気持ちよく、次第にぬくぬくしてくると、活力が湧いてくるようだった。


さらにあたりはすっかり暗くなっていて、テント内もヘッドランプだけの明かりだったのでランタンに火を灯して前室に置いた。テント内が一気に明るくなる。暖かい、サラサラと乾いている、明るい…これらがいかに重要かを身にしみて感じた。逆にこれらが失われると、人間というのはあっという間に活力を失うんだなあ、と思った。

そうなると現金なもので腹が減ってきた。
さっそく夕飯の用意をする。キャンプ一日目の夕飯は豪華にちゃんこ鍋。そのために重い材料を運んできたのだ。でも、この状況ではキャンプ初日に乾杯!とはいかないけど。

食事が出来るとみんなで食べた。子どもたちも意外に食欲があった(これだけの行程をこなしたのだから当然か)。
吉祥丸はビールから焼酎へ。うまいねえ。これで明日は晴れれば言うことないな、なんて思っていた。まったく考えが甘いのだ。

温かい食事をとると体もさらに暖まり、ようやくほっとできた。涸沢までの道のりではテント設営→夕飯の用意と、憂鬱になっていたが、それらが全て終わってあとは酒を飲んで寝るだけである。リラックスできない方がおかしい。今日の反省などして…、あ、そういえば今思いだした。テントで人心地ついたとき、吉祥丸はみんなに謝ったのだった。「今日はこんな登山になってしまってごめん。パパの計画が余った。これからはもうこういう計画は立てないよ」。今はのど元過ぎて忘れてしまったが、この時は本気でもう低山だけにしよう、なんて思っていたのだ。そういえば、登りの途中で娘がヒンヒン言っていたときにも「ごめんな。これで最後だから。もう無理矢理山には連れて行かないよ」と言っていた。心底そう思ったのだ。吉祥丸の勝手な思いでこんな苦行に付き合わされる子供や妻の気持ちを思うといたたまれなかった。最初から乗り気ではなかった娘にとってはなおさらだろう。そんなわけでこれで最後、宣言をしてしまったのだ。娘はその言葉に驚いていたようだが、それで元気を出して歩きだしたの事実だ。もっとも、あとから「あと一回くらいは登ってもいいよ」なって言ってくれたけど。吉祥丸も今では「ま、あと2~3回は行けるかな」なんて思ってるけど。


さて、しばらくするとみんな疲れたのか眠りに入った。息子は最後までヘッドランプでマンガを読んでいたが、そのうち寝てしまった。吉祥丸はなんか寝られず、ヘッドランプとバーボンを片手に娘の「デスノート」を読んだ。あたりは静かで、とりあえず今日の予定は全て終わっており、バーボンはおいしく、ほどよい酔いが全身に回っている。大変だったど、今のこの時間は何とも贅沢で充実しているなあ、楽しいなあ、などと思っていたのだった…。

山の神が怒り狂ったようなさらなる暴風雪が吹き荒れるのはその数時間後だった。

日曜日, 10月 15, 2006

涸沢の試練 その3


本谷橋から涸沢までの約3km、700mの登りは、これまでの登山の中で一番きつかった。
まずザックが重い。雨がいやらしい。加えてこれまで9km歩いているので疲労も蓄積されている。それよりも何よりも不安が大きかった。
何時間で着くのかが読めないのだ。1時間半なのか、誰かが言ったとおり3時間かかるのか、真っ暗になったらどうやってテントを張ろうか、それよりそもそも登り切ることが出来るのだろうか。
こんな不安とともに登ったのは初めてだ。

富士山の時と同じように一歩一歩、短く、しかし確実に登っていく。

行程の多くは息子と登った。息子は比較的元気だった。途中で手が冷たい、と訴える。触ると氷のようだ。さすったり息を吹きかけたりする。どうやら雨具の下はTシャツ1枚のようで、これじゃあ、冷えるわけだ。すぐさま長袖のフリースを着させる。そして吉祥丸のフリースのグローブを出してはめてあげる。大きくてダボダボだが、寒いよりはましだろう。少し元気が出たようだ。

吉祥丸は素手だった。
吉祥丸は歩くとすぐに末端まで血液が循環して手足がポカポカしてくるのだが、子供や妻はそうではないらしい。保温に気を使わなければならないのである。

今思ったが、結局、息子はTシャツにフリース1枚、その上に雨具という格好で、涸沢の吹雪の中、テント張りを手伝ったのだった。もう1枚着させるんだったなあ。またもや後悔。


娘と合流したときに案の定、またヒンヒンが始まった。すると通りがかりのおじさんが励ましてくれ、酸素を提供してくれた。少し長めに補給させてもらう。これで気分的にも楽になったのか、少し元気が出たようだった。このおじさんは涸沢に着いてからも何かと気をつかってくれたそうで、ほんとに頭が下がる思いだ。この場を借りてお礼を言います。ありがとうございました。

登りは相変わらず辛かった。苦しい、と言った方が正しいか。特に息子の手袋を直したときにストックを忘れたと思って引き返したときが最悪だった(実際は娘が持っていた)。下って探して見つからず、再び登り返した。ここでちょっと焦ってスピードを上げたため、左右の腿の上部が悲鳴を上げた。違和感とともに痛みが伴い、ヘタに力を入れるとつりそうになってしまったのだ。
こうなると俄然スピードが落ちる。先を行く妻や娘、ちょっと前の息子のスピードに全然ついていけなくなって、あとは一人で登ることになった。

雨は止まず。ザックはびしょびしょ。腿は爆弾を抱えているようで、怖々前に進んでいる感じ。
最悪ビバークすることを考え、テントを張れる場所を探しながら歩いていた。

S出しのガレ場でヒュッテが見た。見えてからが長い、とガイドブックには書いてあったので、見えても嬉しくなかった。ただ、着実に進んでいるんだということは感じられた。

10歩くらい進んでは立ち休み。それを繰り返しながら登った。幸いこの日は登山者が多く、いくら吉祥丸が遅くても、後方には後から登ってくる登山者が絶えなかったので、その分不安は軽減されていたと思う。

段差は激しくないものの、登りは延々と続く。平坦な箇所はない。常に登りだ。立ち休みをするといくらか回復するので、それを繰り返しながら何とか登っていった。

息子の姿が15mほど先に見えるがとても追いつけない。とにかく早くテン場についてテントを張って休みたかった。ヒュッテについても雨の中テントを張る作業が残っていると思うと憂鬱になった。

そのうちまたヒュッテが見えてきた。今度はかなり近い。もうすぐだもうすぐだ、と自分に言い聞かせながら登る。
やがてヒュッテまでの道のりがすべて見渡せる場所まで来た。直線にして200mほどか。しかし最後の急登だ。立ち休みの頻度を上げながら登る。

と、雨が雪に変わっているのに気がついた。雨具のフードに当たる音がサラサラという乾いたものになった。雪!嘘だろう、という気持ちだった。この寒さ、高度、時期からすれば確かに雪が降ってもおかしくないのだが、吉祥丸が登っている今この時に降らなくても、と思うのである。だが、無情にも横殴りの雪が目の前にあった。


だが、ここまで来たのだから仕方ない、テントを張りさえすれば人心地つくはずだ。
ふと上を見ると妻と娘の姿が見えた。
彼女たちはもうすぐ着くだろう。俺を待っているはずだ。早く行かなきゃと思うのだが、やはり一歩一歩しか進めない。最後は数歩ごとに立ち休みした。

そしてとうとう…。

ヒュッテ到着!「パパ、こっちこっち、早く!」息子が待っていてくれた。時間はわからない。見ている余裕などなかった。たぶん、5時過ぎだったと思われる。
しかし、ゆっくりなどしていられない。すぐにテントを張らなければならないのだ。

と、ここで息子が建物の陰に消えてしまった。建物の中に入ったのかなと思ったが、吉祥丸はテン場に向かった。すぐにテントを張らなければならないからだ。

が、テン場は何百というテントで埋め尽くされ、はるか遠くに行かなければ設営する場所がなさそうだった。そして、テン場はまさにふきっさらしの場所なので、これまでの数倍の強さの風雪が吹き荒れていた。3人は見つからない。たぶん小屋の中にいるのだろう。呼びに行かなければ来ないかもしれない。

まったく、この時の気分をなんと例えればいいのか…。

3人は来ないし、あまりにも風が強いので、実はこの時、テント泊をあきらめ、小屋に素泊まりすることにしたのだった。

テン場を後にし、小屋に戻る階段を登っていると、3人が顔を出した。やはり小屋の中で待っていたのだという。しかも妻は吉祥丸のために涸沢名物のおでんを買っておいてくれていた。しかし、いくら待っても吉祥丸が来ないので慌てておでんを平らげ、外に出てきたというわけだった。あの辛い登りのあとで、なお吉祥丸のことを気遣ってくれる妻にはほんと頭が上がらない。しかも、妻はことあるごとに(登り着いたときやテントを張り終えてテントの中に入ったときなど)、ご苦労様、大丈夫?と気遣ってくれた。こんな苦行に連れ出した張本人になぜこんなに優しいんだろう、と思うのである。そしてただひたすらに感謝するのである。
3人の姿を見たら、やはりテントを張ろうという気持ちになった←ころころ変わるなよなあ

そうして、いよいよ暴風雪の涸沢のまっただ中で合流した吉祥丸一家は、とにもかくにも、テントを張るのであった。だが、このテント張りの15分ほどが、この最悪の山行のなかで最も苦痛に満ちた時間となるのだった。

金曜日, 10月 13, 2006

涸沢の試練 その2


横尾までは娘もヒンヒン言いながらもなんとかついてきた。レトルトカレーとハヤシライスも平らげた。

そこでさらなるやる気を出させるため、とっておきの「デスノート」「星のカービィ」を取りだす。喜ぶ子どもたち。この後、彼らが喜ぶのはいつになったか…。今思うと、テントに入って寝袋にくるまり、ようやく寒さとの戦いが終わってぬくぬくしながら再びこれらの本を開いたときではなかったか。

まあ、それはさておき、やる気が出た吉祥丸一家は、いよいよ、本日の山行の核心部へと入っていったのだった。

初めは平坦な道だった。樹林帯に入っても緩やかな登り傾斜で、特に問題はなかった。ただ、雨は相変わらず降っており、ときおり止むような気配がするものの、そのたびに期待は裏切られた。左側にはそびえ立つような屏風岩。雨でなかったらさらに大迫力だったろう。今は山頂の方がかすんで見えない。

しばらく行くと、息子がトイレと言い出した。戻るには行きすぎている。涸沢まで我慢させよう、と思った。が、これは今考えるとあまりにも無謀な考えだ。この場所から涸沢までは約4時間かかったのである。息子の膀胱が持つはずもない。だが、吉祥丸は大丈夫だと思っていた。このあたりがリーダーとして失格だなあと思わずにいられないのである。

結果的にこのトイレは吉祥丸が持っていた簡易トイレで事なきを得るのだが(この簡易トイレは吹雪のテント泊で家族の命を救った)、やがて泣きが入ってくる息子にどうすることも出来ない父なのだった。

妻と娘と合流して息子のトイレを済ませると、さらに雨の中を進んだ。このあたりから雨が本降りになってくる。ザーザー降りではないものの、速乾性の服では乾くのに間に合わない雨量だ。ザックもびしょ濡れだった。直前まで迷って結局買わなかったザックカバーを恨めしく思う。

ほぼ2時間かかって本谷橋に到着。2時15分。さすがに吉祥丸もここで上下のレインスーツを着た。他の3人は上高地から上下を着ていた。

ここでショッキングなことが。妻が降りてきた登山者に「ここから涸沢まではどのくらいか」と聞いたのだが、返ってきた答えが「3時間」!
吉祥丸はあとせいぜい1時間半だろうと見当をつけていたので、愕然とする。コースタイム的には横尾から涸沢まで3時間であり、本谷橋は中間地点だから、まあそんなもんだろうと思っていたのだ。

ただ、ここから急登が始り約700mの登りなわけだから、3時間というのも正しいのだろう。

さて困った。ここから3時間かかったら5時半になってしまう。暗くなるだろうし、そんな中でテントを張って、さらに夕飯のちゃんこを作って食べて、というのは辛い。今から引き返せば4時過ぎには横尾に着くからゆっくりできるだろう。明日あらためて涸沢に挑戦というのも難儀だけど、雨、疲労、高所でのキャンプ等々を考えると、やはり引き返した方が無難かも。


とはいえ、せっかくここまで来たのに引き返すのもなあ。「せっかくだから症候群」というのがこういう時の元凶なのだが、それはさておき、どうするか。

妻と考えるが「ここまで来たんだから」と、いったんは登り始めた。が、これが結構きついんである。重いザックを背負っている吉祥丸は「これはやばいのではないか」と思った。この状態で3時間も登れるのだろうか、登ったとしても、その後のテント設営やら食事の用意やらを考えると憂うつになった。何より真っ暗になってしまったら最悪ビバークも考えなければならない。やばいのではないか、そんな思いが交錯して、あらためて「引き上げるか」と考えた。

だが、妻にその旨を伝えると、当然ながら反発された。当たり前だよなあ。ここまで来ていながら、というより、吉祥丸の計画が安直だったのだ。それでも天候や体調の急変とかで変更するのならまだしも、他人に3時間と言われて挫折するんでは、メンバーは誰を頼っていいのかわからなくなる。痛い足を押して頑張っている妻や、もくもくと登っている子どもたちに申し訳なかった。

結局、多数決で(山で多数決は危険。リーダーの意見に従わなくてはいけない、ということを言いたかったが、そのリーダーの決断が確固たるものではないのだから仕方なかった)登ることになった。こういうとき娘は意外に「どっちでもいいよ」と言う。で、途中で不満を言い始めるのだ。でも、みんなを気遣ってか、「どっちでも」という娘が微笑ましかった(もっとも、この先、翌日からは娘は断固として「帰る」を貫き通したが)。

それにしてもこの場での妻の一言には堪えた。自分の情けなさに嫌悪した。家族をこんな目に遭わせてしまったことを猛省した。それでもついてきてくれる家族を見ていると胸が張り裂けそうだった。いつもそんなことは思わないが、この時ばかりは家族のありがたさをしみじみと感じたのだった。申し訳ない気持ちと感謝の思いで一杯だった。無事に下山したら何でもしてやろう、などと思った。そしてあらためて山を甘く見てはいけない、リーダーはもっとしっかりしなくては(計画においても精神的にも)と思った。

そうして、頼りないリーダーのもと、4人はこの先まさに苦行となる山道に歩を進めていくのだった。

水曜日, 10月 11, 2006

涸沢の試練 その1


よく「死ぬかと思った」などと口にするが、これは多くの場合、それほど大変な目にあったという形容でしかない。だが、今回の吉祥丸一家の涸沢山行は文字通り「死にそうだった」のである。 ←う~ん、やっぱりちょっとおおげさかな。

写真を見てもわかるとおり、どこが紅葉の涸沢じゃ!って感じなのである。冬山じゃん!装備が整っていなければ死んじゃうじゃん!って感じなのである。

というわけで今回の山行は自戒を込めて詳細に記録しておく必要があると思うのでめちゃめちゃ長くなるかもしれないが、何とか思い出しながら書いておきたい。

天気図と天気予報は2週間前からチェックしていた。もっとも、涸沢行きの日の天気予報が発表されるのは1週間前。その予報によれば(刻々と変わっていたが)金、土は雨か曇りだが、日、月は晴れる見込みが高かった。

もともと金曜の夜に沢渡に入り、土曜日早朝に上高地に入って、その日のうちに涸沢に到着する予定を組んでいた。
天気は木曜の時点で台風が温帯低気圧に変わった。予報も土曜日の午後から雨が曇りに。日、月は晴れの予報だった。これなら行くしかない。

金曜の午後8時前に出発。環八が混んでいたので環七から中央高速を目指した。雨の中を、それでも撥水加工したウインドウで快適に飛ばした。

午後11時ごろに松本ICに到着。そこから約1時間で今日の目的地・沢渡のパーキングに着いた。

0時5分、駐車場入庫。この時のために用意したビールをあおる。続いて焼酎。

娘と妻も起き出して、3人でしばし歓談。こんな時間が楽しい。時間は遅く、明日はなるべく早く起きたかったが、他の人の穂高登山の話などして盛り上がる。

そのうち妻、娘が眠りにつき、吉祥丸も1時半ごろ眠くなった。雨は相変わらず降り続いている。

起きたのは5時半ごろ。空はどんより。雨もぱらぱら降っている。起きたときからバスに乗り込む早起きの登山者が大勢いたが吉祥丸一家はゆっくりと支度する。子供たちの機嫌を悪化させないためだ。
6時半にはみんなが起き、用意をして、上高地までのタクシーに乗り込んだのが7時ごろ。タクシーの運転手が「今週末は最高ですよ。雨も午後には上がるし、明日明後日は快晴で紅葉もきれいでしょう」まどとこちらが思わずにやけてしまいそうなことを言う。大正池を通り越しいやが上にも気分は高まった。

7時15分ごろ上高地バスターミナル到着。

雨具を着込んで出発。7時35分だった。 いよいよ北アルプスへの旅が始まる。雨が降っていても吉祥丸の気分は上々だった。

やはり通常のコースタイムには遅れて、明神に着いたのが8時55分。気温10度。ちょっと休憩し、先を急ぐ。
徳沢到着10時15分。12度。横尾には11時40分に着いた。14度。

まずは昼飯、と思ったら早速姉弟ケンカが始まった。娘はケンカにかこつけて「もう今日は登らない、ここで泊まる」と言い出す。結果的にはここで泊まったほうが良かった(後から振り返ってみると、やはり登ったほうが経験値的には良かった)のだが、吉祥丸は当初の予定通り先に進むことにする。12時40分。このとき、吉祥丸の予定、というより感覚ではなぜか2時半から3時に着く計算になっていた(実際には5時間弱かかった)。そしてこの計算の甘さがこの先の悲劇を招くのだったが、この時の吉祥丸一家はそのことを知る由もない。

木曜日, 10月 05, 2006

迷っている

本来なら明日の夜に出発のはずなんだが、天気が思わしくない。
明日は一日中雨。明後日、明々後日は曇り。最終日に太陽が見られるか、といったところ。

迷うなあ。雨は避けられるかもしれないが、曇りではせっかくの紅葉が興ざめだろうしなあ。

でも、他のチャンスはないかもしれないし。ただ、娘は感動しないだろうなあ。だったらもっとゆるいキャンプにするか。それとも燕岳とかにするか。でも、きつい登りだから娘はもっと嫌がるだろう。

う~ん、迷うなあ。

天気よ、回復してくれ~!

↑初めて文字の大きさと色を変えてみました。


今日は二日酔いだったが息子と良く遊んだ。逆さまに持ち上げて天井を歩かせたり、ザックの中に息子を入れたり、風呂で水鉄砲したり、リビングにタオルケットでタープを張ったり、トランプやラスイチをやった。怒らなかった、と思う。息子も笑顔が多かった。楽しかった。

ようやく二日酔いが治ってきた。

明日は照る照る坊主を作ろう。いや、今から作ろうか。

月曜日, 10月 02, 2006

いよいよ穂高挑戦か

今週末に涸沢カールに行く計画を立てている。

初めての穂高連峰。

ま、山に登るというよりカールに滞在して紅葉を満喫しようというのが主な目的になりそうだけど。

妻も娘も具合があまり良くないので消極的計画にならざるを得ないのだ。
もっとも、どの程度危険な山なのかがわからない以上、いたずらにリスクを高める必要はないので、これでいいとも思っているのだが。

二日目にカールの上部まで行ってみて、息子がまだ登りたい、と言うようだったら連れて行こう。
かなりの緊張になると思うけどね。

問題は天気とみんなのやる気だ。

スリング&ザイル&カラビナのアンザイレン道具は今回はパス。やはり吉祥丸にはまだ難しそうだ。
ほんとは扱ってみたいんだけどね。でも、金もかかるしなあ。残念だけど。

まあ、今年最後の大がかりな山のイベントを心から楽しむ、これを目標としましょうか。

となれば、あとは準備準備。飯や装備の用意。これも楽しみなんだよねえ(^^;)

ただ、木金の休みにはやることがある、仕事の一部と、本棚の修理と、クルマのナンバー灯の付け替えだ。

水曜日, 9月 27, 2006

富士登山その8?9?~完結編~


だらだら書いても仕方ないので今回で「富士登山2006」を完結します。
息子の高山病で完全撤退か一部登頂へ向かうか…。
吉祥丸の決断は、まず8合目まで降りて長時間の休憩。その間に息子の高山病が回復すれば再登する、というものだった。

登りの途中でベテランらしき人の「高山病はほんの10m下っただけで改善することもあるよ」とのアドバイスが頭にあったからだ。

娘は納得できずに「登りたい」と泣いた。だが、吉祥丸は半ば強引に(半分ヤケ気味に)付き合わせた。心の中ではなんとか息子の高山病が治りますように、と願いながら…。

でも、8合目に下りながら「ここをもう一度登ってくるのは至難の業だなあ」と思ってもいたりした。

8合目到着。しばらく息子の様子を見る。30分くらいいたろうか。息子は良くならない。ばかりか「パパのせいで苦しい思いをする」というようなことまで言い出した。こりゃもうだめだな、と思いましたね。
息子がというより吉祥丸がだ。回復を待つよりもう降りちまおう、と思ったのだった。

で、3人に宣言。娘と妻は登頂せよ。息子は吉祥丸と下山だ。

娘は喜びましたね。妻も内心は登頂したいと思っているようで不服は言わなかった。

そしてここから別行動となったのだった。

下山は楽、とは言わないまでもスムースにいった。息子も途中何度か苦しそうにしたが、7合目を過ぎたあたりから劇的に改善しだして、6合目の手前あたりでは飛び跳ねるように下っていた。
体力は残っていたんだよね。高山病にさえならなければ登頂できたのに。これはもう吉祥丸の作戦ミス以外何ものでもない。

午後1時頃、約3時間で無事下山。その後エス丸の中でラーメンの昼食。3時くらいに妻から登頂の電話が入る。おめでとうを言って切る。この後、吉祥丸と息子は下界の温泉に行って極楽気分を味わうのだが、下山した娘&妻とのランデブーに失敗し、せっかくの「祝登頂」が台無しになってしまったことは詳しく書かない。

こうして吉祥丸一家の富士山登山は終わったのでした。

が、 まあ、初の富士山登山はその後の吉祥丸一家にとって実に大きな影響をもたらした。
その後は「高山登山」が主になっていくのだ…。

写真は8合目。もくもくと急成長する積乱雲と同じ高さの場所で休憩する吉祥丸一家。

火曜日, 9月 26, 2006

有意義な講習


先々週の休日に(いつの話や!)クライミングジムに行った。

息子は大喜び、娘もそれなりに楽しんでいたようだ。妻は見学。吉祥丸はロープで登っている子供を確保する「ビレイヤー」の役をやった。

そのために、インストラクターからロープと確保器の使い方を教わる(500円)。

これが非常に有意義だった。2種類の確保器の使い方を教わったのだが、かつて「不快だったモンベルのクライミングの兄ちゃん」が確保器とロープをこれ見よがしにかちゃかちゃやっているのを見て、どれほどのもんじゃ、と思っていたのである。どれほど高度な技術なんじゃと思っていたのである。

それが教わったらな~んだ、簡単じゃん。誰にでもできる技術だった。

このクライミングジム行きは、吉祥丸としては先週の息子のウサを晴らすためと、ロープ技術が奥穂を登るときにどれほど必要な(可能な)技術なのかを見極めるためのものだったのだが結果的には正解だった。

息子は4時間登りっ放し。吉祥丸は右手の親指付け根にマメを作った。

少し自信がついたかな。ただ、実際に奥穂行きのためにロープやカラビナを買うかはもうちょっと考えようか。

そういえば山と渓谷社から出ている「穂高岳」というDVDを購入した。絶景の穂高を見て娘たちにやる気を起こさせるのと、奥穂へ登るルートの険しさを見てみて、ロープを使うかどうか決めるためだ。

まあ、DVD見ても行きたくないというのなら、1人で行こうかな。

月曜日, 9月 18, 2006

へえ~。


今日(実際は昨日)、わざわざ町田まで遠出してモンベルのインドアクライミングに挑戦しようと思ったら、着いたのが1時近くで、挑戦できるのが4時50分だと。4時間近くも何してろっちゅうんじゃ!
こんなに混雑するなら予約制にするとか、もう少し客のこと考えろよなあ。接客した兄ちゃんも、いかにもフリークライマーでございます、って感じで、初心者に対するホスピタリティが感じられなかった。
息子は「やりたい」と泣くし、こっちはそんなに待てない&モンベル気分悪しでちっとも楽しくなかった。 (写真は2年前の娘の様子。息子は小さすぎて出来なかった)

さて、そんな中、「へえ~」と思ったことが一つ。

エス丸の中で息子が「山が好き」と言ったので(まあコレは当然か)、娘にもダメもとで聞いたら「山は好き」だと。え、好きなの? と思わず聞き返したら、「頂上は好きなんだけど、登るのは嫌」。なるほど。

でも、ちょっと安心、というか嬉しかった。山のあの景色に感動していたらしいのだ。

息子はどちらかというと景色より、岩登りや走り降りのようなアスレチックイベントを楽しんでいるのだが、娘は景色がいいらしい。なんか娘らしくておもしろい。確かに山の絶景の数々は娘の感性に響くんだろう。

嫌がるのを半ば無理矢理連れて行ったことを反省することもあったが、ムダではなかったのかもしれない。だったらいいんだけど。
この後に予定している紅葉の涸沢~穂高の景色はさらに美しいと思われるので喜んでもらえるといいのだが…。

さらに。

今日のインドアクライミングが不発に終わったことで、せっかくだから近くのクライミングジムに行こうと娘を誘ったら、意外にもOKの返事。辛いことでなければいいようなのだ。息子はもちろんOK。雨でサッカーが中止だったら挑戦だ。

吉祥丸としても「確保」の仕方を教えてもらえるようなので、憧れのロープワークの一端を会得してこようと思う。

水曜日, 9月 06, 2006

登山前の日記

茶臼岳~朝日岳登山の前に以下のの日記を書いていたので載せておく。


金峰山をやめて茶臼岳~朝日岳

本日は仕事。もうすぐ終わる。本当は仕事の予定がなかったので明日は、今日の夜出発して金峰山を登ろうと思っていたのだが、今日中に出るのはやや困難なので(木曾駒ケ岳のときは強行したけど)、金峰山はあきらめた。金峰山は駐車場が狭い割に人気の山なので、かなり早い時間に到着していないと駐車場に停められなくなる。結果、みんな車道の脇に停めるので、延々と車の列ができてしまうのだ。

そういうわけだから夜出発、車中泊を計画していたのだが、仕事になってしまったので困っていた。
茶臼岳~朝日岳プランは遠距離なので今度の連休のために取っておいたのだが、ロープウエイの始発が8時半という比較的遅い時間からしか動かないこともあって、自宅をゆっくり出発できる(それでも5時半には出たいが)。しかも、駐車場は広い。

実はこれを書いている前にもどちらにするか迷っていたのだが、やはり茶臼岳~朝日岳にしよう。
金峰山から見る絶景も捨てがたいが、茶臼岳も悪いわけではないだろうし、なにより、朝日岳は「ミニ穂高」(ニセ穂高が正しい)とも言われているだけあって急登や岩場、クサリ場が頻出するという。3000mか2000mかの違いはあるが、その道程は穂高にそっくりなんだという。とすれば奥穂高挑戦の前に一度登ってみるのは当然だ。

そうだね。茶臼岳~朝日岳にしよう!

東北道でアクセスが容易だし、帰りも渋滞の可能性は少ないだろう。ちょっと距離はあるけどね。
帰路に那須の温泉に浸かって疲れを癒し、夕飯はおたる寿司のテイクアウトで寿司パーティだ。
今8時半。9時半までには終わるだろう。首都高で帰ってガソリンを満タンにしておくこと。
そういえば今日は久々に洗車をした。前回から数週間経っているがやはりCG1が効いているのだろう、実に楽な洗車だった。楽なのはホイールの部分に顕著に表れる。今日は娘が手伝ってくれたが、娘でも簡単に汚れが落とせるのだ。

娘に「デス・ノート」の7巻を買ってあげる。洗車のお礼と明日の登山のお礼、いやお礼じゃないな、ご褒美かな。ま、こんな余禄がないと行くと言ってくれないので。

それと、明日の行程は90km/h平均で走ろうと思う。超エコ運転でどれだけ燃費が伸びるか調べたいのだ。

となると、150キロあるから約3時間半はかかるとして、やはり5時半までには出たいなあ。明日起きれるかなあ。子供たちは起きるかなあ。それよりミニ穂高はどんな山なんだろう。くじけるのか、恐怖でひきつるのか、楽しめるのか…。少し不安、でもかなり楽しみだ。

火曜日, 9月 05, 2006

茶臼岳~朝日岳登山


富士山、木曾駒ヶ岳レポートが終わらぬうちに次の山に登ってきた。

朝日岳(1896m)はニセ穂高と呼ばれているらしく、岩場やクサリ場などがあってプチ穂高を体験できるという。
ここをなんなくこなせれば穂高征服も射程圏というわけだ。

結論から言うと、楽勝だった(^^)/
しかも家族全員楽勝。

富士山や木曾駒ヶ岳の八丁坂の登りに比べれば拍子抜けするほどだった。

ただ、やはり標高差がない(200mほど)ので、そのあたりが不安ではあるが(涸沢~奥穂高の標高差は700mしかも3000m級)。


写真上は茶臼岳山頂から見る朝日岳(中央)。やたらと遠く見えるがぐるっと左側を巻くようにして登って約1時間強で着いた。

左の写真は茶臼岳へと登る岩場。急なようだが危険は少ない。落石に注意するくらいか。ただ、穂高の岩場はこんなもんじゃないんだろうなあ。

金曜日, 9月 01, 2006

木曾駒ヶ岳登山~徹夜で山登りするアホ篇~

前日の仕事が遅くなったからといって徹夜は無謀ですよ。この歳になって。

実は中止も考えたんだけど、首都高を走っているときも考えていたんだけど、やはりあの景観は捨てがたかった。どうしても見たかったし、それにはこの週末しかないと思われた。ま、こういう余裕のないスケジュールが一番危険なんだけど。

午前0時半出発。駒ヶ根のバスターミナル駐車場に着いたのが3時半。あれこれしてうとうとしたのが4時10分ごろ。バスに乗り遅れるとロープーウエイも2時間待ちとなるので、4時40分に起きて用意を始める。そうこうするうちにどんどんバス待ちの列が伸びてしまう。とにかく吉祥丸だけなんとかザックを用意してまずは一人で並んだ。

すでに100人は並んでいるだろうか。休日だけあって大混雑だ。この先のロープーウエイの渋滞を思って憂鬱となる。眠気はなかったが、さすがに体がきつかった。

やがて子どもたちが用意を終えて一緒に並んだ。5時半にバス乗車。結局ロープーウエイでは30分ほど待たされて、千畳敷駅に着いたのは6時半を過ぎていた。

が、駅を出て目の前に広がっている千畳敷カールの美しさといったら!

もう疲れも吹っ飛ぶほどの絶景!あ、いや、疲れは取れませんでした。この疲れは奥が深かったもんで(^^;)

ところが子どもたちは早起きしすぎでグロッキー気味。2600m地点という場所もあってやや高山病のような症状。子供にとってこの絶景はなんの癒しにもならないようで(確かになあ)、こうなったらこの場所で大休止して回復を待つしかないか…。娘などは「もう帰りたい」というようなことまで言い出す始末でこの先の山行を思ってさらに憂鬱になってしまった。ま、この絶景も見たし、帰ってもいいか、とまで思い始めてしまった(ほとんど投げやり状態)。

しかし、そのまま地面で少し寝た娘が、寝たことで気分が良くなったのか「行ける」と言い出したので父は心底ほっとしたのだった…。

*富士登山との同時レポートはまたもや、つづく(^^;)

写真は2900m直下で設置した我が家のテント。左上に写っているのが、石で我が家の陣地を拡張しようとしている息子

富士山登山~その7 さあ山頂へ?篇~

まずは写真説明。中央に見える凹状のくぼみのところが頂上だ。
ここは9合目の山小屋。その屋根越しについに頂上が見えた。直線距離にして約300m弱。あとちょっと。

だが…。

昨夜この山小屋に泊まっているときから吉祥丸は頭痛が発生。ゆっくりと寝られなかった。息子も同様だったようで夜中に何度も寝言のような悲鳴?を上げていた。息子がこんな寝言を叫ぶことはないので、体調不良が容易に想像できた。恐れていた高山病である。

幸い女チームは大したことなかったようで熟睡できたそうだ。翌日、きれいな御来光も見られたけど、男チームはグロッキー状態。息子は遂に嘔吐した(食べていなかったので何も出なかったが)。御来光の前には、晴れていたので遠く3000m下方の静岡の街のきらびやかな夜景も見えたのだが、カメラに写そうという気力すらないほどにヘタれていた。

吉祥丸はそれでもあれこれと雑事をするうちなんとなく不快感が解消されて、よし行くぞ!という気持ちになったものの、息子は相変わらずだった。

さて、ここで引率者は決定しなければならない。進むべきか後退するべきか。

息子の回復を待って進むのがベターと思われたが、高山病なので高度を下げなければ、待っているだけではまず回復しないだろう。

一方、娘は登頂の際のプレゼントが目の前にあるため俄然行く気になっていた。
だが、吉祥丸にとってはあくまで家族全員の登頂が目的だった。一人の脱落者のために全員が引き上げる、それもまた家族の絆を深めるのでは、と思っていた。反面、一人の脱落者の思いを背負ってあとの何人かが富士の頂を制する、というパターンもある。

さてどうするか。

つづく(^^;)

土曜日, 8月 26, 2006

鹿児島県長島 夏休み!


富士山登山が中途半端で、さらに木曾駒ケ岳レポートも始まっていないのに、夏休みが終わってしまった。

夏休みは5日間。毎年妻の両親が住む久留米に帰るが、昨年みんなで行った鹿児島の長島という内海がめちゃくちゃきれいで、かつ、魚はおいしい、そして珊瑚クルーズや海ほたる見学、満天の星空、早朝の定置網等々、魅力たくさんの場所で感動したので、今年もここに行った。2泊。楽しかった~!

というわけで報告は後日(^^;)

写真は宿の目の前にある桟橋の、船との隙間から見える小魚たち。念仏鯛という魚で、これが入れ食いで釣れた。見釣りで入れ食い、かな~り楽しい!

土曜日, 8月 12, 2006

木曾駒ケ岳 2006.8.5~6


富士山登山を書いていながらまたまた脱線するが、先週の土日に木曾駒ケ岳に行ってきた。
しかも、初めて山の上(2800メートル地点)でテントを張ってキャンプした。翌朝高山病の症状が出たが登山キャンプは実に楽しかった。椅子がなかったり靴に履き替えるのが面倒だったりしたがテント山行の醍醐味を満喫できた。その分、下から15キロほどの荷物をしょって登らなければならなかったけど。しかも徹夜で登ったものだからかなり堪えた。

この報告はまた後日書く。

写真は千畳敷カールから見上げる宝剣岳。

富士山登山~その6 人生初の生身3000メートル越え~

前回は「クライマーズ・ハイ編」とか書いておきながら、そこまでいかなかった。クライマーズ・ハイみたいになったのは確か元祖7合目を過ぎた辺りだったから、まだまだ先の話だった。でも、一応書いておくと、疲れが疲れでなくなり、疲労を感じなくなっていくらでも前に上にと進めるような気分のいい状態になったのだ。

確かに鼓動は早く足の筋肉は悲鳴を上げているのだけど、精神的には実に充実した状態とでも言おうか。文字通り「ハイ」な状態なのである。

ただ、そうはいってもこれまでに経験したことのないきつい登りが続いた。そして、初めて筋肉が悲鳴を上げたのが元祖7合目と、8合目の終了間際だった。歩いているときに「ピキッ」って感じで右腿の裏側のどこかの筋肉の一つがつりそうになったのだ。そのまま登ったら当然つってしまう。で、しばらく休んで、次からは右腿に負担をかけずに左腿を酷使して登った。でもそうすると今度は左足が悲鳴を上げるので、こわごわ右足も使う。何とか大丈夫だ。ごまかしながら元祖7合目に到着したのだが、同じような症状が再び8合目の直前で起きた。ここでもごまかしながらなんとかクリア。幸いなことに、翌日を含めて以後はこの症状は現れなかった(夜中に足をつったけど)。

元祖7合目を越えた辺りで3000メートルをクリアした。当たり前だが飛行機を使わずに3000メートルの高地に生身で立ったのは初めてだ。感慨もひとしおと思いきや、エス丸で高度を稼いでいたためにあまり実感なし。ただ、周囲の景色は圧巻だった。一面に広がる黒々とした溶岩の斜面、どこまでも青い空、動きが目まぐるしい真っ白な雲。はるか下方には上ってきた6合目や7合目の山小屋が見える。その高度感!

ところで、この登山の2日後に吉祥丸の実家に行ったら、父親が富士山登頂経験者だったことをカミングアウトした。これには一同呆然驚愕。しかも富士山登山でいちばん標高差がありかつ長距離の「御殿場口」と思われる所から登ったというのだから驚いた。20代だったそうだが、やはり若いってことはすごいんだねえ。

さて8合目からは子供もあまりぐずらなくなった。ただ、息子がちょっとグロッキー気味になり、その分わがままを言い出したけど。知らないおじさんが「顔が青いし高山病かもしれないよ」と教えてくれた。その後は深呼吸をさせ、水分を頻繁に取ることでしのいだ。

あとはごまかしごまかし。

そしてとうとう、本日の宿がある9合目まで登ってきたのだった。

まだつづく…。

日曜日, 7月 23, 2006

富士登山~その5 これってクライマーズ・ハイ?編~

登り始めてすぐ目に付くのがハイマツと名前のわからない真緑の植物。後で知ったが、オンタデというらしい。7合目のちょっと上辺りまではこの草があった。赤や黄色ではなく緑や黒の原色の世界。これはいつもの登山と違うと実感した。ま、高い木がないから当然なんだけど。ちなみに岩陰にひっそりと可憐に咲いていた白い花はフジハタザオだった。

ちょっと歩くと環境省が2億円かけて作ったというバイオトイレがある。一回200円。この先富士山のトイレはどれも200円だった。だが、駐車場のそばのトイレですましていたのでここはスルー。6合目の山小屋を目指す。

30分ほど登ると簡単に6合目に到着。が、「ここからが本番」との看板が。そりゃそうだよなあ。ここで娘のために金剛杖を買う。1000円。息子にはやや大きく、ちいさいサイズもあったが、いつも息子はストックを使わないのでいらないと判断した。
杖には合目ごとに焼印を押してもらうことができ(200円。頂上は300円)これが結構励みになるとネットに書かれていたので、娘にやる気を出させるためにも購入した。そもそも今回の登山で心配だったのが娘のやる気だった。いつもの登山は半ばいやいや参加している感じだし、実際登ってみてもわずか数百メートルほどで「帰りたい」とつぶやくほどだ。それが3776mともなればどんな気持ちで臨んでいるのか、推して知るべしだろう。
出発の際の車の中でも吉祥丸が「さあ、出発だ」と言ったのに対し「ハアア…」とため息をついただけだったもんなあ。ただ、娘には登頂の暁にはハムスターと「Bonte」というイラストの本を買ってあげる約束をしていた。娘はその約束を唯一の励みにがんばろうと思っている様子だ。ご褒美のためにがんばるというのは感心しないが(あげるほうもあげるほうだが)、動機は何であれ、結果は娘にとって必ずプラスになると父は確信していたのだった。

6合目を通過して百メートルも行かないうちに息子が「トイレ」。危ない危ない。これがあと数百メートル進んだ後だったらにっちもさっちも行かなくなるところだ。息子と一緒に引き返して200円のトイレを使う。実はこの後も一回、同じような場面があった。そのときは8合目から20mほど登ったときだった。息子のトイレタイミングがうまくいくというのは僥倖であって、こうした面から見ても、今回の富士登山はほぼ全ての面がうまくいったといえる。ただ一つ、高山病を除いて…。

富士山登山~その4 いよいよ出発編~

細かいことをいちいち書いているとなかなか進まないのでなるべくシンプルに書きます。

富士宮口駐車場についたのは午後11時30分。あたりは結構明るい。夜空を見ると雲が多いもののところどころ晴れ間があって月も出ている。満月だ。気温は16度。Tシャツでは寒い。が、星もところどころに見えていい感じ。夜景も見えた。気分は良い。平日だからか駐車場も空いていて、なんと登山口の目の前に停めることができた。登山口までわずか3秒!これは幸先がいい。車内でこの時のために持ってきたビールを飲む。妻と息子は途中から床で寝ている。この「床で寝る」ということができるのがエス丸のすごいところだ。3列目を収納して2列目を目一杯下げると約1畳分の平らで広大なスペースが出現する。キャンプ用のマットを敷いてシュラフにくるまるとちょっとしたベッドである。妻と息子2人なら十分なスペースだ。だからかどうか、二人とも高速に入ったころから熟睡している(^^:)

娘が起きて吉祥丸と並んで座り、あれこれ話をする。何を話したか覚えていないが、明日の登山の緊張もある中、娘と話しながら月明かりの車内でビールを飲んでいるのは、とてもなごめる時間だった。
やがて会話も途絶えがちになり、眠気も襲ってきて12時半ごろ就寝。

翌日、というかその日は4時50分に目が覚めた。外を見ると、おお、晴れている! 多少雲があるものの、梅雨の真っ只中でこの天候が保てるなら僥倖だろう。もっとも、山の天気は全く予想がつかない。このあとも何度かあったが、それまでは快晴だったのにあっという間に雲が立ち込めてきて真っ白な世界になったり、その逆に、数メートル先も見えない霧だったのがふと見上げると抜けるような青空が出ていたり。その目まぐるしい変化は、決して不快でなく、むしろこれが高山の魅力なのかも、と思ったのだった。

ところで、今回の登山で印象的だったのが、この空の美しさだ。空の青さも雲の白さも下界とは全く異質な美しさだった。標高が高いだけに飛行機の窓から見る空に似ている。なんか汚されていない美しさ、って感じだった。これまでのどんな登山でも経験できなかった眺めなんである。登頂よりも(登頂していないけど)この空の眺めを見るために、もう一度登りたいと思うほどだ。

さて、車内でコーンフレークとバナナの朝食(これなら子供も確実に食べると思った)をとり、いよいよ出発したのが6時半だった。標高2400mの看板の前で4人並んで写真を撮る。後にも先にもこれが4人で撮った唯一の写真となる。このあとはそんな余裕がなくなっていくのである。単に忘れていたということもあるが。

さあ、いよいよ出発だ、ってまだ2400mかいッ!

富士山登山~その3 いよいよ登り始める編~

13日(木)午後8時23分に自宅を出発した。道路はガラガラ。環八を用賀まで走り、すんなりと東名に乗る。東名も順調。目指す御殿場ICまでは1時間ほどのドライブだ。

が、実はこの数時間前まで富士山に登るルートについて迷いに迷っていた。初心者が富士山に登るルートは主に3コースあって、1つは「富士宮口」、もう1つが「須走口」、そして「河口湖口」だ。河口湖口はツアー客が利用する人気コースだけど、歩きづらくやや行程が長く、なりより混んでいるという。なので、初めからこのコースは除外していた。

富士宮口はスタート地点が2400mあり、3つのコースのうち最短距離で登れる。須走口のスタート地点は2000mだから400mも違うのだ。これはいつも吉祥丸たちが登っている山の標高くらいの差だ。このハンディは大きい。

また、高山病のことを考えると3000mあたりで一泊というのが最適らしい。しかし、翌日さらに720m(剣が峰までなら776m)も登るのは辛くないか?少しでも前日に高度を稼いでおいたほうがいいのではないのか?となると、須走口は距離が長い分不利だ。一方、富士宮口は岩場が多く急登もあり登りづらいという。でも、息子は岩場が好きだし娘も意外と岩場はこなす。かえってだらだら登るほうが不得手だったりするので、この点では富士宮口に一票、だ。

さらに、須走口の場合、高速の料金と山小屋の料金が高くなる。富士宮口に比べて1万円くらい高いのだ。これも須走口を敬遠した大きな理由だった。

富士宮口なら3460mに山小屋がある。ここに泊まれば翌日は300m弱で頂上だ。高山病さえクリアすればこのルートは魅力的である。もちろん高山病を甘く見ていたわけではない。そのために木曜日から出発したのだし、その行程においても常に深呼吸を心がけるなど、なんとか高地に順応しようとした。

だが、結論から言うと高山病は手強かった。というかやはり甘く見ていたのだ。高山病は2000mを超えた高地で起こり始め、3500m地点では確か80%くらいの人が罹患するという。しかも完璧に高地順応させるには一週間くらいは必要らしい。そういうことを知識として学んでおきながら、「でも何とかなるだろう」という思いが吉祥丸の中にあったのだ。実際、9合目(3460m)まで登ったときは皆平気だったので、「やっぱり大丈夫だった」と思ったものだった。しかし吉祥丸は忘れていたのである。高山病は「高地に達してから4時間~12時間後に襲ってくる」ということを。

登り始めてすぐ高山病の症状を訴える人もいるが、その翌日の朝起きたとき(つまり4~12時間後)に頭痛がしたりすることが多いという。結局、我々も全員がこのパターンにはまった。ただ、息子を除く3人はその症状が軽かったのでなんとかなっただけなのである。深刻な症状を訴えた息子は当然ながらリタイアとなった。そういう意味では息子のリタイアは吉祥丸の責任だろう。酸素のより薄い3460mで一泊することのリスクを甘く見ていたのだ。もしかしたら3000mで一泊しても同じような症状だったかもしれない。でも、460mの酸素濃度の差は標高差以上に大きかったと思われる。

富士宮口なら東名、須走口なら中央なのだが、吉祥丸は環八を走りながら中央高速へのルートは通り過ぎ、用賀へと向かった。結局、最後まで迷ったが、富士宮口にした。吉祥丸はここで致命的な選択ミスをしてしまったのだ

って、まだ東名の入り口かい!早く先に行けっつうの!

黒木目シフトノブ


富士山登山の記録を執筆中ではありますが、ささやかなドレスアップ、黒木目シフトノブを装着したので報告します。アルファード用の純正品。もちろんぴったり収まりました。エス丸のよりも細く、その分シフトチェンジがやりやすく思われ、なんか楽しい。

インパネ部の木目は縦でシフトノブのは横。気になる人もいるかも知れないが吉祥丸は全然気になりません。2168円の投資でこの満足感は大きい。これでクルコンの見通しがつけばなあ。もっとも、いまは資金がないけどね。

それにしてもなんで最初からこの手のノブが装着されてないんだろう。やっぱりコスト削減なんだろうな。

富士山登山~その2 準備編~

準備なんかいいから早く登り始めろ!というお叱りは無視するのであります。なにせビックイベントなもんだから忘れないように細部まできちんと記録しておくのだ。

ただ、準備といってもザックやレインウエアは前からそろっているので、富士山のために買った物はあまりない…と思っていたらけっこうあった。

まず妻の登山靴。いままではアプローチシューズで登っていたので、これでは底が柔らかすぎて疲れてしまうだろうとの判断から、新しい本格的な登山靴を買い与える(偉そう?)つもりだった。そのために1年前からモンベルのポイントを貯めまくった。6000ポイント(1ポイント1円)はあったのではないかな。単純計算で60万円の買い物をしたということだ。ま、実際は2000ポイントは入会特典だったけど。
恵比寿のモンベルのアウトレットコーナーで登山靴を探す。が、狙っていた物が「かかとが当たって痛い」というので急遽ワンランク高い靴にした。加えて子供用の速乾性Tシャツを二人分買った。これで全員2日分のTシャツが確保されたことになる。だが、結論から言うと、子供たちは2枚目のTシャツを使わなかった。寒くて山小屋で着替えなかったのだ。

しめて1万6000円。1万円ほどの出費となった。妻はこのあと自分で登山用の分厚い靴下を買った。
あとは何を買ったか。直前になって酸素缶、妻と子供たちの軍手、エネルギー補給のためのゼリーや粉末ジュースを買った。全部で4000円くらいい。なんだかんだいってけっこう金がかかっているのである。

あとは何?吉祥丸は自分のために何を買った?買ってないねえ。本当は吉祥丸もTシャツや靴下や軍手が欲しかったけど我慢した。あるからね。

あとは何だっけ?ないか。わかりました。こうしてあとは前日の食料などの買出しを加えていざ出発となったのであります。

木曜日, 7月 20, 2006

富士山登山~その1 プロローグ~


なぜ富士山だったのか。登った後で考えてみると、やっぱり日本一高い場所に家族で立つ、という経験がしたかったのだと思う。
いつもどこかで目に入る富士山。マンションの廊下や駅のホームや行楽地や他の山からも見える。そんなとき、ああ、あのてっぺんに登ったんだなあ、と思えるのは家族それぞれにとって自信にもなるし、そのたびに登頂の喜びがしみじみわき上がってくるようで非常に意義のあることに思えたのだ。

幸いにも登山の経験は低山ながら積んできた。装備も充実している。ネットには溢れるほどの情報もある。子供たちの体力的もたぶん大丈夫だろう。そんなこんなで、よしやってみるかと思い立ったのが今年の初めごろかな。以来、富士登山のシーズンにあたる7月の平日に休みの取れる日(1日しかない!)に目標を定めて計画を練ってきた。

混んでいるのが嫌だったので平日にしたのだが、1日しかないということはその日の天候が悪かったら(しかも梅雨の真っ只中)、この計画は頓挫してしまう。なんとも脆弱な計画なのだが、そこは結構楽観的で「多分晴れるだろう」なんて軽く考えていた。

結論から言うと天候には恵まれた。雨には降られなかったし(霧には囲まれた。下方からものすごい勢いで押し寄せてくる霧を口を開けて飲み込んだりした。ひんやりしてうまかった)、3460mから障害物なしで下界も見られたし、夜景もご来光も抜けるような青空や真っ白な入道雲も見られた。じつは吉祥丸と娘は「晴れ男女」なのだ。でも、これは幸運だった。翌日からまた梅雨の天気に逆戻りしたので。まさに梅雨の晴れ間の一点をついて登れたのである。

天候とともに最後まで気がかりだったのが高山病だ。これは酸欠によって起こる病気、というか症状で、主に頭痛、眠気、吐き気、嘔吐、あるいはそれら全部が現れる。有効な治療法は唯一下山することで、酸素缶(一応用意したが)などでは気休めにもならない。

結論から言うとみんな高山病になった。が、妻はわずかな症状しかなく軽かった。娘は2日目の朝に「気持ち悪い。もう登れない~」と訴えたが、二度寝すると治った。吉祥丸も1日目の夕方から頭痛に悩まされたが、娘同様二度寝で治った。最悪だったのが息子。夜中に何回か起きて苦痛を訴えた。翌日も気持ちが悪いらしく不機嫌なまま。朝はご来光も見られず吐いた。吐いたと言っても昨晩から何も食べていないので胃液くらいしか出ない。

というわけで結論から言うと、登頂できたのは妻と娘だけ。吉祥丸と息子は無念の(息子はそうでもなかったが)下山となったのだった。

高山病に関してはしつこいくらいにネットや本で勉強したのになあ。だから登頂できなかった悔しさよりも、収集した情報を生かせなかったことのほうが何倍も悔しかった。富士山登山のプランナーとして失格だったなと思わずにいられない。登山責任者としては全員を無事に登頂させることが最大の責務だろうから(あ、いや違うか。全員を無事に帰還させることが最大の責務で、そのあとに全員の登頂があるのですね)、しかし吉祥丸はその計画においてしくじった。

この続きはまた。いつ書けるかわからないけど(^^;)

(この記録は徒然に書いているので通常の登山記録とは違います)

(写真は5合目=2400mの駐車場。日本一高い駐車場かな? エス丸も緊張気味?)

月曜日, 7月 10, 2006

黒木目シフトノブ

黒木目のシフトノブをディーラーに注文した。
アルファードMS、ASの純正品だ。今の本皮巻が嫌いなわけじゃない。単なる気分転換である。

2000円強で買えるし気分によって簡単に付け替えられるのがミソ。近場は木目、遠出は皮巻という具合である。ま、こんないじりしかできないんだけど(ToT)

掲示板にクルコンのキモとなるカブラーが余っているとの書き込みが。譲ってもらって、大作業をすることができれば、クルコンがつくのだろうか…。

もう少し情報収集してからかな。それとも素直に教えを請うか。

金曜日, 7月 07, 2006

エアコン不具合解消

ディーラーがエス丸を取りに来てエアコンのガスの入れ替え作業を行った。午後6時に返しに来たが、その日は忙しくて乗れなかった。

で、今朝乗ってみたら、

おお!全然静かじゃん!

これまではフル回転で回っていたファンが約30分の試運転中1度も(!)回らなかった。これが通常の状態なんだ。めちゃくちゃ静かじゃ~ん!

いやーヨカッタヨカッタ。ちなみにオートエアコンの設定温度も適正になった気がする。いままでは26度でも効きすぎて寒いくらいだったのが、24度の設定でちょうど良く、暑くもなく寒くもない状態を維持できている。これこそオートって感じだ。

あとはクルコン問題が解決し、アルミやサスペンション、エアロがうまくいけばうれしいんだけどなあ、って欲張りすぎか^_^;

火曜日, 7月 04, 2006

ETC不払い法?

先日の土曜日、首都高の某入口ランプでこと。
そのランプはレーンが2つあって1つはETC専用。もう1つが「一般/ETC」となっている。
吉祥丸はETCのあのバーが嫌いなので(いつも直前まで上がるかどうかハラハラする)、空いていれば「一般/ETC」のレーンを通ることにしている。

で、この日も「一般/ETC」を通ったのだが…。
通り過ぎても「ポーン、料金は**円です」という声がしない。ETCカードはその直前に挿したばかりで、ちゃんと緑色のライトが点灯している。おかしいなと思いながらも単なるナビの音声エラーかなとこのときは考えていた。

が、あとでETCの履歴を調べてみたらこの時の支払い履歴がない!

これってタダで走行したってこと?

一瞬、ラッキーって思ったけど、高速の入り口ってNシステムなどがあって、その気になれば料金不払い車両の特定なんてたやすいだろう。ま、630円くらいで追跡したりはしないと思うけど、こっちに落ち度はないのに「不払い車=けしからん」という感じであとから言われるのも嫌だなあ。といってこっちから言いに行くのもアホらしいし。

とりあえずはこのまま放っておくけどね。

エアコンの異音

掲示板で盛り上がっているのがエアコンの作動時の異音。
確かにうるさい。気になりだすと気になってしょうがない。
計ってみたら10~15秒ごとにブォ~ンとファンが回り始め、それが30秒以上続く。

まあうるさいぐらいは仕方ないか、と思っていたら、ガスが入りすぎての異常なので放っておいたらゆくゆくはエアコンの故障も考えられる、との意見も見られた。

故障となると放ってはおけない。しかも、気のせいか燃費が悪くなったように感じられる。以前と同様の走りをしているのに1割以上も悪化しているのだ。エアコンを常時ON状態ならそんなものなのか。
いずれにせよ前にもディーラーには連絡済みだったがもう一度、担当のYさんに連絡する。と、案の定「本社からの連絡がない」とのことでなんとも対応できない状態だと申し訳なさそうに言われた。だめかなと思っていいたら、「ネットで見られたとのことですが、どこのネットでしょう?」と言う。で、これこれしかじか、とサイトの名前と場所を教えると「チェックしてみます」、とのこと。

その後、すぐに返事があり、なんと「工場長とも話して、ガスを入れ替えてみてみましょう、ということになりましたので、やらせてください」と言う。へぇ~と思いましたね。売ってしまった後は面倒なことは極力しないものと思っていたので、この積極的な姿勢にはちょっと感動しました。「やってみましょう」ではなく「やらせてください」という言葉にも誠意を感じた。いいねえYさん。株が上がったよ。

水曜日に半日預けて作業してもらうことになった。さてどうなるか。

土曜日, 7月 01, 2006

久しぶりの洗車

雨が続いていることもあってなかなか洗車ができないでいた。
日記を見ると6月8日が最後の洗車だったから約3週間ぶりだ。
雨も多く降ったしやはり汚れていた。

CG1のおかげでサッと拭くだけで落ちるけど、輝きが落ちたような気がする。3週間前にコーティングしたのだが、やはりもっと定期的にしないと効果が出ないのかも。
でも、ホイールも含めてサッと拭くだけっていうのは嬉しいなあ。

ところでクルコン装備がちょっと遠のいてから、掲示板やブログを見るたびに他人のエスが羨ましくなる。
Sパッケージにしておくんだった、とか、いろいろ考えてしまう。
贅沢だよなあ。わずか数ヶ月前は新車を買った喜びで一杯だったのに、さらに上の車を夢見ている。
欲望に限りはないいってことだね。恐ろしい…。

木曜日, 6月 29, 2006

シール剥がし


先週土曜日にリアウインドウに貼ってある環境シールを剥がした。
すでに駐車場証明シールも剥がしてあるので、これでリアはスッキリとなる。

環境シールは当初、残しておこうかとも考えたのだが、他にいじることがないし(^^;)、どうもこの「燃費基準達成」だとかの表示が欺瞞のように思えてきて嫌だったので、やはり剥がすことにした。

22年度燃費基準+20%を達成するには今のエスティマの重量と燃費の関係では無理なのだそうだ。
しかし、これにオプションをいくつか(スライドドアやムーンルーフ)足して、総重量が重くなると、その分燃費は悪くなるものの、重量と燃費の関係から22年度燃費基準+20%を達成してしまうというのである。

簡単に言えば、燃費は悪くなっているのに基準はクリアしてしまうという、いわば数字のマジックである。

エコラン重視のドライバーとしては(それならカローラ乗れよという批判はさておき)、こうしたマジックの上で獲得した燃費基準達成シールをこれ見よがしに貼っておくのはいかがなものか、と思ったのである。

なんて理由は見た人にはわからないだろうから、ただのかっこつけくらいにしか見られないんだろうけどね。

シールは簡単に剥がせた。ただ、剥がすときはビリビリと剥がれるのだが、下地の糊の部分がなかなか落とせない。消しゴムを使ってもダメだった。そこで登場したのがスプレータイプの「シール剥がし」。これをふきつけて布で拭き取る。一回や二回では取れない。コツは「シール剥がし」で糊を溶かし、溶け出した糊を布で拭き取る、という感じ。一回に溶かせる量は多くないので、計10回くらいかかった。
でも、仕上がりは完璧、ピカピカです。塗装部分につかないように気をつけたくらいで力もいらなかった。

この「シール剥がし」は10年ほど前にホームセンターかなんかで買ったもので、以来今回を含めて10回くらいしか使ってないけど、いざってときに役立つので一家に一本あってもいいかも。

火曜日, 6月 27, 2006

また土日のこと?

今回の土日にはあまり書くことがない。どこにも行かなかったし、あまり印象に残る出来事もなかった。イベントを考えるのだが、あまりうまくいかなかった。

土曜日は妻が環境問題のセミナーに出かけてしまったので、3人で実家に行く。そこでパーティと思ったが、結局テレビばかり見てしまい、建設的なことが出来なかった。

日曜日は何も予定がなく、エス丸の環境シールを剥がしただけだった。ただ、あまりスッキリとしなかった。いや、きれいに剥がせたことは剥がせたのだが、本当に剥がす必要があったのか、ちょっと後悔、というほどではないけど、スッキリしないのだ。

夕飯はイカ刺しを買って日本酒でクイッと、なんて考えていたが、結局、さばくのに時間がかかってしまい、しかもうまく出来なかった。味は良かったんだけど…。

息子とは双六を作って遊んだ。これはけっこう盛り上がった。娘ともハムスターのことや富士山登山のことなど、いろいろ話した。ま、そういう時間が(それ程長い時間じゃないけど)貴重なんだけどね。

金、土、日のこと~その4~

ホタルはキャンプ場では見られない。車で5分ほどのところに「清和県民の森」というところがあって、そこがホタルの保護区のようになっており、無料で見られるようになっている(ただし駐車場代300円がかかる)。

あいにく雨がぱらぱらと降ってきた。ホタルは雨だと出てこないのでちょっと焦った。でも、日が暮れて辺りが暗くなるにつれ、ポッと灯るように銀色の光が!最初に見つけたのは妻だった。

やがてあちこちで光り始める。飛びながら光り、消えて、また先の方で光るのもいる。羽音は全くしない。この羽音がしない、というのが古来からホタルが人々に親しまれてきた隠れた要因ではないか、とふと思ったりした。これがハエやハチや、ましてや蚊のような羽音が聞こえたら興ざめどころか気持ち悪いもんなあ。

いつの間にか辺りはホタルだらけ。いつ見ても幻想的な雰囲気だ。
と、息子が一匹捕まえた。手のひらの中で灯る。得意げな息子。ところがこのホタルがいつまで経っても逃げない。結局、小川の入口のところでようやく飛び立ったが、今度は吉祥丸のズボンに張り付いた。しばらくその場所で灯っていて、後に息子は学校に提出する日記の中で、この時のことをこう記した。

<ホタルがお父さんのズボンにくっついてぴかぴかズボンになりました>

キャンプ場に帰って夕飯の支度と思ったが、BBQが遅い時間だったこともあって、みんなお腹が空いていないようだった。もとより吉祥丸は酒とつまみがあればいいので(^^;)

一応、薪は用意しておいたものの、雨が降っていて焚き火もできないので、みんなでお菓子をつまみながらUNOをやった。娘の1人勝ち。最後は息子との一騎打ちになったが、そこはお約束で父の負け。

暗いと眠るのも早い。娘、息子、妻の順番でテントに入る。吉祥丸は焼酎タイム。だんだん激しくなる雨音をBGMに杯を重ねる…といきたいところだったが、すぐに雨が土砂降りになってきてそれどころではなくなった。テントに水が侵入することはないものの、明日の撤収の際の汚れを考えると、少しでも水の流れを良くしておいた方が賢明なので、雨具を着て、サイト周辺の水はけを調整する。雨具を着ていてもびしょびしょになったが、こんな作業が実はけっこう楽しいのだ。
作業の出来に満足して再び飲み始める。ふと見るとアマガエルがタープの下に雨宿りに来ていた。

翌朝。

目を覚ますと雨はやんでいた。先に起きたのは息子。外に出て、「パパ、起きて遊ぼう。焚き火と花火」と言う。さすがに花火は朝やってもつまらないので、これは中止。その代わり朝食のための火を確保するために焚き火をすることにした。
が、昨夜の雨で薪も湿気っている。枯れ葉や小枝には着火するのだが、薪にはつかない。 ティッシュも使ったが、いかんせんティッシュだけでは太い薪には着火しない。
挑戦すること1時間。どうにもこうにも湿気った木には勝てず、最後の手段で、ガスコンロの力を借りることにした。ガスコンロの火で下から強引に乾かしながら着火させようというのである。
結果的にはこれが大正解。ガスコンロの強力な火力には湿った薪も勝てずにとうとう完全に着火した。

あとはその火のパワーに任せて次々と湿って薪をくべていくだけだ。シューシューと水蒸気を出しながらも薪は燃えていった。そこに登場したのが息子とマシュマロ(^^;)

だが今度は火力がすごすぎて(煙もすごくて)焼くに焼けない。ようやく火にマシュマロを近づけられてもあっという間に焦げてしまう(写真は煙いので目を隠しながらマシュマロを焼く息子)。
でもまあ、けっこう喜んで食べていた。

その後、娘と妻も起きてきて、焚き火を使ってホットサンドの朝食。吉祥丸は焚き火でまたもや汗をかいたのでビール!

朝食の後は特に予定もなくのんびりタイム、と思ったが、どうも空の具合がおかしい。なので、テントを早めに撤収することにした。昨夜の雨の中の奮闘もあって、さほど汚れていない。日が差しているうちにひっくり返して干した。

子どもたちは息子が虫取り、娘はケータイ。ケータイ?
自分のが持てないので父母のもので遊んでいるのだ。娘にとってはもう虫や自然よりもケータイなんだねえ。

撤収に思いの外時間がかかってしまい、結局11時頃になってしまった。天候はさらに怪しくなっきたので、降ってくる前に食べてしまおう、ということでカレーとハヤシライスの支度を始める。といってもレトルトなので温めるだけだけど。

子どもたちはぺろりと平らげた。で、食べ終わって最後の片づけが済んだところでいよいよ雨が降り出してきた。絶好のタイミング(^^)

すぐに本降りになる。長居は無用なのでオーナーに別れを告げてキャンプ場を後にした。

途中、農協の直販店に立ち寄って妻は安~い野菜を買い込み、子どもたちは父からソフトクリームがふるまわれた。

帰路は渋滞もなく、2時半頃には帰宅してしまった。このくらい早く帰るとなんか余裕があって精神的に楽だ。ゆっくりシャワーを浴び、またまたビールを飲んで、ようやく土日が終わったのでした。

日曜日, 6月 25, 2006

金、土、日のこと~その3~

今日はもう日曜日なのに先週の出来事を書いている(^^;)
でもいいのだ。誰が読むわけでもないしね。

さて、父はBBQの火熾し、子供はイベント参加の前に、今回のちょっとした私的イベント、火起こし体験をしたんだった。「火起こし器」なるものを自作したので、それを使って無のところから火を起こしたかったのだ。火起こし器の原理は摩擦。吉祥丸が作ったのは巻き上げ式といって、ひもを支柱に巻きつけて上下に動かすことで支柱を回転させ、下に置いた木との摩擦で発火させるというものだ。出来上がってから一度もテストをしてなかったのでこれがぶっつけ本番。

まずは娘がトライ。が、あまりうまく回せない。次に息子。これもうまくない。次に吉祥丸。これはうまくいった。が、なかなか続かない。妻もうまくいかなかった。結局、煙は出たものの着火には至らず、あげくまたまた姉弟喧嘩が始まってしまって雰囲気が最悪に。どうも、下に置いた着火させるための木の構造がうまくなかったようだ。仕方がないので次回に再挑戦ということで、今回はライターでつけることになった。

キャンプ場のイベントは今年から木の実などを使ったプレート作りが加わり、娘はこれに挑戦することに。息子はキャンドル作り。で、父は炭の様子を見ながら、近くにうようよいたトカゲ(カナヘビ)を捕まえた。

イベントが終了し、炭も真っ赤に熾ったところで、BBQの開始。肉好きの娘は焼き係を買って出て、焼いては食べ、食べては焼いていた。それにしても暑い!日差しも出てきて、タープはあるものの、炭の熱が加わり実に暑い!吉祥丸は汗だくになって食べ、かつ飲んだ。

BBQが3時ごろに終わると、次なるイベント、カヌーだ。一艇に4人が乗って、みんなで順番に漕いで(当然ながら吉祥丸はいつも漕いでいた)川を進んでいくのである。この日は結構増水していて汚れが目立った。それでもいったん川の中に漕ぎ出すと静寂が辺りを支配する。周囲の景色も自然が残っていて美しく、空にはトンビが旋回していて、鳥の鳴き声とオールが水をかく音しか聞こえずなんともいい雰囲気である。と、約10メートルほど先の水辺にくちばしが黄色い鵜のような鳥を発見。「捕まえろ!」と叫んで(無理を承知で)進んでいくと、その水鳥がいきなり川の中に潜ってしまった。「潜って逃げたぞ!」というわけでどこから顔を出すか目を凝らしていると、10メートルほど先で顔を出した。再びこちらが近づこうとすると、またまた潜る…。そんな追いかけっこを4、5回繰り返すと、とうとう最後は長時間の潜行でずっと先のほうに行ってしまった。水鳥のこちらを見る表情が馬鹿にしたような迷惑そうな様子で、とてもユーモラスだったし、「あ、あそこに出た!」「早く、早く!」なんて叫びながらの追いかけっこは、漕ぐ人は疲れたが(吉祥丸のことです)、結構楽しかった。

川から上がると汗まみれになっていたので、息子とシャワーを浴びることにする。6分間300円。一応予備のお金は用意しておいたが600円も使うのはもったいないので、なるべく6分ですませるため、腕時計のストップウォッチ機能を使って息子とがんばった。お世辞にもきれいとはいえない狭いシャワー室で、二人でお湯をシェアしながらシャンプー&ボディを「あと3分!」なんて言いながら洗っていく。意外とこんな時間がどんなイベントよりも楽しかったりする。

さっぱりしたところでいよいよホタル見物に出発だ!

木曜日, 6月 22, 2006

金、土、日のこと~その2~

さて土曜日。登山ではないのでゆっくりと7時に起床。クーラーBOXに食料やビールを入れ、さらに他の荷物をエス丸へ詰め込む。

全てを積み終え(寝ていた娘を含む)いざ出発!

今日の目的地は千葉県・君津市の「オートキャンプフルーツ村」だ。このキャンプ場はサイトや眺めはイマイチなんだけど3年連続で来ている。理由は、1:近くの川で蛍が見られること。2:カヌーができること。3:キャンドル作りなど子供が喜ぶイベントがあること。最近のキャンプは単にテントに寝てBBQを食べて、というだけでは飽き足らなくなってきているのだ。

さて、京葉道は珍しく大した渋滞もなく、キャンプ場到着は11時。サイト選びは雨が降ってもいいように水はけの良い場所が第一条件だ。いい場所はないかと散歩がてらキャンプ場を散策していると、川の近くのサイトにアヒルを発見。と、アヒルのほうでも人間を発見。こちらのほうにやってきた。人懐っこい、というのは大間違いで、実は攻撃しにやってきたのだった。
ターゲットはなぜか娘一人。逃げると追う犬ではないが、娘が逃げれば逃げるほど、追っかけていく。小型の犬ほどの大きさなので動きも早く、足も速い。
実はこのアヒルは2年前にもいて(実際は2代目だそうだ)娘を追いかけた。このときは逃げ回った娘が最後にはひっくり返って泥だらけになるという悲惨な思い出がある。
で、今回もやられました。あ、いや、転んだわけではないけど、噛まれた。ふくらはぎに赤い内出血ができてしまった。災難な娘。なぜ娘だけを襲ったのか、はいまだに謎だ。

サイトが決まると、テントの設営。モンベルの登山用テントは小さく軽い。タープも小さくて設営は楽だ。

設営が終わった時間は2時。さっそく昼食、のはずだったが、キャンプ場の都合でキャンドル作りが2時からに。仕方がないので子供たちはそのまま参加して、吉祥丸はその後のBBQのための炭熾しを始めた。

と、時間がない。続きはまたあとで。