翌日の晴天に賭けて、当初の予定通りもう一日涸沢で過ごすことも考えたが、もしも再び(というかそのときも風雪は止んでいなかったが)昨夜のような降雪に見舞われたら、今度こそ孤立してしまう可能性が高かった。吉祥丸や妻だけならまだしも、子供たちのことを考えるととても「賭ける」なんてことはできない。下山できるうちに下山したほうがいいだろうと思った。そして下山すると決めたならここに長居は無用だ。そしていったん下山するなら娘の希望通り今日中に自宅まで帰ってしまいたい。ここから上高地までは約16km。行きは9時間かかったが、下りであることを考えれば休憩を入れて6時間あればなんとかなるはずだ。もっとも、暗くなってしまうのは避けたいので、そうすると10時か11時には出発したい。
その旨をみんなに言い渡す。妻は午後に出ればいいという意見だった。今日中に上高地は難しいし、途中でもう一泊するなら慌てて出発することもない、まだ衣類も乾いていないし、というものだ。
しかし、娘は「今日中に帰りたい」と言う。息子はそれほど駄々はこねなかった。吉祥丸は…。いざ帰ろうとなったら無性に今日中に帰りたくなった。濡れた衣類とともにもう一泊するのは、ましてやずぶ濡れのテントを収納→組み立て→収納という手間がとても面倒に感じられたのだ。間に合わない場合は仕方ないとして、なんとかいけるとろまで行きたかった。
結局、ここに長居することのリスクを妻に説明し、できるだけ早く下山することにした。
まず、妻が乾燥室に行って服を取ってくる。その間にテント内の片づけを行う。乾いた服が戻ってきたら着替えを済ませてテントを出る。という段取りにした。
難儀したのが昨夜大活躍した簡易トイレの中に入っていた薬だ。水を固める成分らしいのだが、これが濡れたザックの水分に反応して破け、ゼリー状の液体となってそこら中にこびりついてしまったのだ。しかもティッシュで拭いたくらいでは落ちない。結局ほとんど取れないまま収納してしまった。
このころになるとテントのずれがいよいよ激しくなってきて、風の抵抗をもろに受け、そのたびにテントが大きくかしぐようになってしまっていた。テント内を整理して重しのバランスが崩れるといよいよ危なくなってきた。すぐにでも畳まないとこのままでは強力な突風がふいたら倒れてしまいそうだった。実際、風によってテントが浮き上がりそうになり、息子と必死に押さえたものだ。もっとも、息子はけっこう楽しんでいたようだったけど(^^;)
みんなをせかして撤退を急ぐ。テントを畳むのを待っていたら凍えてしまいそうだったので、一足先に3人はヒュッテの中へと向かった。一人で作業をする吉祥丸。その後ろには雪に覆われた北穂高岳がそびえ立っているはずだったが、その姿を観賞している余裕などなかった。いま考えるとちょっとだけでも手を休めて振り返ってみたら良かったのにと思うが、このときはまだ風が強く、ポールを外したテントは一枚の布になって下手をすると風で飛ばされてしまう恐れがあったので、本当に余裕がなかったのだ。見たいとも思わなかったなあ。