水曜日, 10月 31, 2007

槍ヶ岳登山 その8

まずは左の写真。天狗池からの逆さ槍。定番中の定番写真だ。少しアンダーめに補正した。美しさは見ての通り。東鎌尾根の上に若干雲が見えるが、スーパー快晴の中、この景色の中にいたこと、そして写真に残せたことに感謝したい。


さて、いろいろあった槍ヶ岳登山だが、遂に最終日をむかえた(って2泊だけど)。夕べは頭痛と吐き気に苦しみながらもやがて寝てしまった。夜中に窓を叩く風の音で目が覚めたが、あれこれ考える余裕もなく、まあ、明日も晴れだろう、などと根拠のない楽観の中で再び目を閉じるのだった。

4時頃、自炊のために上がってきた人たちの話し声や雑音で目が覚めた。
頭痛と吐き気は治っていた。
しばらくして、狭い寝床でストレッチなどをしてから自炊場に向かった。
そういえば昨日は膝が痛かったが、すっかり治っている。まあ、今日は下るだけだから多少ガタがきていてもごまかせそうだけど。
自炊の人によれば小屋の朝食の時間に合わせていたら御来光を見逃してしまうという。5時半頃が食事だから確かにそうだ。ま、この人は大喰岳から槍が燃える姿を見たいらしく、それなら5時には出発しないとならないから朝食なんて待っていられないか。
この後知ることになるが、この山荘にいると槍が燃えている姿を見ることができない。燃えている槍と同一線上にいるからで、つまり自分も槍と一緒に燃えてしまうのだ。

さて、吉祥丸も朝食を取ることにする。ところがこれが大失敗した。雑炊のレトルトに味付けにと思ってお茶漬けの元みたいなのを一袋入れたのがいけなかった。塩辛くなって食べられたものじゃないのだ。
結局これも荷物となった。

食欲もそんなに無かったので、昼飯というか行動食のレトルトチキンライスにお湯を入れ、出発の準備にかかった。時間は5時20分頃かな。
山荘でポカリスエット(250mlで300円)を買って水で薄めた。小屋の兄ちゃんに昨夜の寝床の変更の礼を言ってザックを背負うと、外に出て、上の写真のような御来光を堪能した後、いよいよ下山に取りかかった(5時53分)。

いったん下山になるとなんかあっけない。 昨日あれほど苦労して登った坂をあっという間に下ってしまう。みるみるうちに高度が下がって、振り向くと小屋が遠くになってしまっていた。

下っているのは吉祥丸ともう1人くらい。適度な間隔があるので、ほぼ一人でカールを独占しての下りだ。
頂上に立ったことの達成感もあり、今日中には家族に会えることの喜びもあり、そして空はどこまでも青く、膝も痛くない。なんかこの上ない充実感で一杯だった。
何度も槍を振り返りながら休みを取らず下り続けた。

坊主の岩小屋で合掌。無事登頂できたことを感謝した。そしてとうとう槍とのお別れだ。カールを横切って方向が変わると槍が姿を消すことになる。ここでも何度も振り返って感謝の言葉と別れの言葉を口にした。

天狗原分岐が近づくとまだ7時という事もあり、ちょっと色気が出てきた。昨日行けなかった天狗池を往復できるのではと考えたのだ。でも、どのくらいかかるものなのかわからなかった。往復50分とどこかのサイトには書いてあったような気もするけど、ちょっと不安だった。
カールを横切った向こう側というのは知っている。が、カールにはモレーンが2本くらいあって、そのモレーンの裏側にあるのか、はたまた、さらに向こうに見える横尾尾根の奥に行かねばならないのかがわからなかったのだ。

ちょうど山慣れたような人が降りてきたので、天狗池はどの方向でどのくらいかかるのか聞いてみた。すると昨日行っていたようで30分くらいかな、と言う。場所はあの森の奥、と指を差すのだが、どうにもわからない。
でもまあ、時間もあることだし体調もいいので行ってみることにした。結果は…行って良かったと思う。逆さ槍の映る天狗池ってどんなところだろうってずっと思っていたし、いい写真も残せたし。ただ、何度も行くようなところじゃないかな。しかも行程がちょっと堪えた。ザックをデポして空身で行ったにもかかわらず、へたった。
時間は往復50分。池での撮影に10分、計1時間の散歩である。が、標高差が200mあった^^;
結局、モレーンを越えて、さらに森の中を登山(!?)することになるのである。おまけに道を間違えて浮き石だらけの岩稜帯に入ってしまって往生した。
猿は近くに出てくるし、ストックで追い払いながらまだ着かないのか、まだ登るのか、って独り言を叫びながら?登っていった。

ようやく天狗原に着いて、岩の合間をちょっと行くと、眼下に池があった。それが上の写真。最初に見たときは、え? あれがそうなの、って拍子抜けしてしまった。なぜかもっと立派な池を想像していたのだ。実際の天狗池はよくいえば質素で素朴、そして健気。悪く言えば貧相、ただの水たまり? だった。
しかも進行方向の横に現われないで下に出てくるところがいやらしい^^; なぜなら逆さ槍を撮るためにはさらに池の畔にまで下らなければならないからだ。でも下りました。ここまできたんだからしょうがない。景色は最高だったけど。そういえば、ここにくるまでにいったんお別れした槍に再び会えた。もちろんここでも槍が見えている。

SDカードの容量の残りが少なく4枚しか取れなかったが、池には吉祥丸1人。何とも贅沢な時間を過ごしたのだった。

帰りは下りなので楽だった。道も間違えなかったし。途中で何組か空身の人とすれ違った。随分下ったところで、ストックではなく杖ではないか、と思えるような老婦がよろよろと力なさげに岩を登ってきて「まだでしょうか」と聞く。正直、よくこのおばあさんがここまで来れたな、と思った(連れはいたが)。それほどよろよろだったのだ。しかも、その場所からは樹林帯の登りが待っている。でも、まだまだありますよ、とは言えず、もうちょっとですかねえ、でもとってもきれいでしたよ、と励ました。あのおばあさん、池に行けたのだろうか。行けたとしても池まで下れたのか。いやいや、池まで行けたとしてもその後どうしたんだろう。肩まで登ったのか。それとも槍沢ロッジまで行ったのか。大丈夫だったろうか。

カールを横切る際に槍と最後のお別れをして、デポしてあった地点に戻ったのが8時17分。再び登山道に戻りテントを置いてあるババ平まで一気に下るのだった。

あと1回で終わる予定^^;

土曜日, 10月 27, 2007

槍ヶ岳登山 その7

あれから一ヶ月以上も経ったというのにいまだに左足の裏が痛い。両足親指の爪は真っ黒だ。正確には爪の裏が内出血している。靴擦れは回復した。しかしまあ、つくづく弱い体だ。というか鍛えてないんだなあ、と思う。もうちょっとしたら低山に紅葉狩りに行きたいが、この一ヶ月何もしていないので、かなりきつくなると思う。
さて、槍沢カールを俯瞰しながらビールを飲み干した吉祥丸は、前記の通り、この先の進むべき道程を思案していた。で、結局はもう一度穂先に登って息子や妻が登れるかどうかを確かめよう、ということになった。時間は2時。往復1時間と見て3時。いい時間でしょう。

登り終えて素泊まりの宿泊手続きをした。部屋の名前「駒鳥」と番号を書いた紙を渡される。「靴も持っていってください」と言われた。靴をちゃんと管理していないと、間違って履いていかれるケースがあるんだろう。人は少ないようでどうやら1畳分は確保できそうだ。が、炊事場の場所を確認して驚いた。槍ヶ岳山荘は広いので、自炊のための炊事場に行こうとすると、吉祥丸の今いる寝床から廊下を渡って階段を上り、また廊下を進んでさらに階段を登らなくてはならない。けっこう遠いのだ。山荘内でもアップダウンするのは嫌だった。
ところが、この炊事場のすぐ横にも同様にカイコ棚のような寝床があるのである。ここに寝られたら楽ではないか。さっそく、受付の兄ちゃんに交渉した。だめかなと思ったが、「あそこの布団は干していないので多少湿っているかもしれません。それでもよければ」という返事。一瞬、富士山でのじめじめ布団の恐怖がよみがえったが、逆に言えば、あれを経験しているんだから大丈夫だろうと思った。雨具もあるし、防寒着はフリースとダウン持ってきている。というわけで、「大丈夫です」と答え、移動させてもらった。新しい寝床は「双六」。上下で12人が寝られるだろうか。それが対面(確か「常念」だった)にもあるので計24人くらい寝られる。が、今は吉祥丸だけだ。新しい人も結局来なかった。独り占めである。恐る恐る布団を触ってみたが、富士山のときと比べれば全然マシであった。

隣の炊事場で湯を沸かしまずはカレーヌードルを食べた。うまい。ここには窓があって外が見える。どうやらカールに面しているらしい。階段を登った分だけ高い位置から常念が見えた。そのうち壁一面を覆っているような大きな木戸があることに気づき(初めは壁だと思った)、ガラガラと開けてみると、なんと目の前に穂先がで~んと見えるではないか。これは特等席である。ラーメンをすすりながら穂先に登っている人を眺めていた。


と、穂先が焼けてきた。夕日である。スリッパのまま外に出て、裏手にある見物台のような岩に向かう。そこには夕日見物の人たちが7~8人いた。と書いてきて、ちょっと時系列の間違いに気づいた。最初にこの見物台に来たときはまだ夕日が沈む前で、もうちょっとかかるなと踏んだ吉祥丸は、いったん戻ってラーメンを作ったのだった。だから上記のラーメンに関する記述は間違いである。まあ、誰も読まないから関係ないけど。
ラーメンを食べている途中に夕焼けが本格化し出して、ちょっと残したまま慌てて再度飛び出したのである。

いつの間にか下のほうには雲海が広がっていた。焼ける槍、本当に綿のような雲海、まぶしすぎる夕日。極上の風景を堪能しながら充実感に浸った。でも、やはり心の隅には「みんなが一緒だったらなあ」という思いがあるのだった。
サンセットを見届けると炊事場に戻って夕食を作った。そういえば夕日を見ているときに「○番から○番までの方は夕食ができました」というアナウンスがあった。食事つきだとこういうときに不便だ。せっかくの最高の場面をゆっくり堪能できないではないか。

吉祥丸の夕飯は白米にマーボー丼を乗せたもの。シンプルだったがうまかった。焼酎と一緒に流し込む。そのうち自炊の人たちが次々とやってきて、部屋が一杯になる。といっても夫婦2人と単独の人3人くらいだった。吉祥丸は寝床に帰って酒の続きだ。今度はバーボン。同時に酸素発生器を作動させる。

疲れていたのか眠たくなり、バーボンはあまり飲めずに眠る。
が…。すぐに眼が覚めた。頭痛と吐き気に襲われたのある。高山病である。懸命に酸素を吸った。傍から見たらこっけいな格好だったろう。酸素の出口は小さいのでそこに口をすぼめてちゅうちゅうというかすーすーしているのである。
でも、効果はあった。そのうち頭痛はしなくなった。でも吐き気が治らない。高山病だったと思うが、このときは飲みすぎだと考えていた。もう山では飲まない、なんて思った。トイレが遠いので吐きに行くのも面倒だし、3000Mの山小屋でゲーゲーしている図というのも情けなかったので我慢するのだが、けっこうきつい。何度も寝返りを打っては残り少なくなった酸素をひたすら吸っていた。
やがて吐き気もおさまり、すうっと眠りについたのであった。
こうして槍ヶ岳の頂上を制した吉祥丸の一日は終わったのである。

木曜日, 10月 11, 2007

槍ヶ岳登山 その6

しかしなんとまあ天気がいいのだろうか。
360度、見渡す限り一片の雲もなかった。真っ青な空。遮る物のない絶景…。
想像してはいたが、最後のはしごを登り終えて眼にした光景に、文字通り息をのんだのだった。

槍の肩にザックを置いて、ストレッチで体をほぐした後、水とカメラだけを腰に下げていよいよ山頂に向かった。
三点確保がどれほど必要になるのか。また高度感はいかほどなのか。けっこうドキドキした。
で、いきなり三点確保の岩場になる。慎重に登れば簡単だった。登り終えるといったん反対側に乗っ越す形で「小槍」の脇に出る。この小槍を見たとき、少しビビった。燕で見た子槍がこんなに間近に迫っているのだ。かなりの迫力だった。そしてその下は結構な絶壁だった。ちゃんと立っていれば危険はないが、槍の穂先にいるんだと感じられる場所である。
その後、再び三点確保で登り、一つ目のはしごに取り付く。ここもたいして問題はなかった。
さらに岩に取り付けられたボルトを頼りに登ることになるのだが、ここが強いて言えば難しかったか。吉祥丸は強引に体を引き上げたが、体の小さな女性や子供はちょっと往生する箇所かもしれない。

あとは2つのはしごを連続で登るだけだ。2つ目はやや長く緊張するが、一歩一歩、一手一手しっかり意識しながら登れば問題ない。問題なのはこのはしご登りが意外に疲れるということだ。とはいえ、坂道と違って疲れたから休憩というわけにはいかない。でもかなり息が上がるのである。まあ、下を見なければ問題ないでしょう。見てる余裕もなかったが。

結果的に2往復したのだが、怖さはあまり感じなかった。しっかり緊張して登れば問題ないレベルである。下りもクサリ場があったがクサリはほとんど使わなかった。岩に相対して降りるほどでもなく、そのままズルズルと降りていく感じだ。片道約20分。地上3000Mのアスレチックである。

で、頂上。

ふと見るとこれまで何度もネットや雑誌で見ていた山頂の祠があった。ああ、この位置にあったのか、と納得。なぜか勝手に登りのはしごの近くにあると想像していたのだ。

山頂は思っていたより広かった。ちょうどブーメランのようにくの字型になっていて、広さは8~10畳ほどか。登ったときは7~8人いたが、十分に場所のスペースはあった。

何はともあれ写真を撮りまくる。何枚撮っても撮り飽きない。目の前には雄大で美しい景色が広がっていた。

人が少なかったので長居した。50分くらいいたろうか。それでも飽きることはなかった。
槍に登るのは4度目という夫婦に会ったが、これほどの天気でかつ無風なのは奇跡だと言っていた。槍の山頂は天気が良くても風が強いのが当たり前で、のんびりなどしていられないのが普通なのだそうだ。
まったく最高のシチュエーションではないか。



昨夜の弱気のことや家族のことなどを考えながら、槍の頂上を満喫すると、ようやく腰を上げた。

約20分で肩に。クサリはほとんど使わない。そういえば、登りも下りも岩が暖かかった。なんか槍に祝福されながら、登っていいよ、と言われているような暖かさであった。が、ちょっと日陰の岩を触るとひんやり冷たい。それは、調子に乗るなよ、一歩間違えるとやばいぞ、という槍からの警告にも思えた。

肩に着いて前記のようにこの先どうするか迷ったが、結局、なにはともあれビールで乾杯することに。もしかしたらこの先まだ歩くかもしれないので350mlにしておく。500円。ちなみに500mlは750円だった。高いけど、払う価値はある、かな。


カールに面したベンチでグビッとやる。うまいなあ。マジでうまい!

見上げると槍。目の前には常念岳。遠くに富士山。真下にはカールがどこまでも続いている。風はなく、快晴の下、ビールを片手にひたすらまったりするのであった。

写真:上は頂上。祠と青空。
その下はテン場から見る槍と山荘。左手前は公衆トイレだ(100円)。
その下はテン場。あまりこの写真はネットでも見ない。狭いけど整地されている。階段状になっていて30~40くらいは張れるようだ。 奥は大喰岳。
一番下は「キッチン槍」。山荘に入ってすぐ右にある。生ビールやカレーもあったが遠慮した。

月曜日, 10月 08, 2007

槍ヶ岳登山 その5

槍が見えた時点で吉祥丸の腕時計の高度計は2600Mになっていた。ということはあと400Mで槍の肩に着くということだ。距離は1500M。まだあるなあ、というのが正直なところだったが、槍も見えることだし、いよいよラストスパートと考えれば足も進むというものである。

もっとも、肩についても終わりではないというのが萎えるところだ。頂上はそこから200M弱。しかもこれまでとは違う岩場の急登である。

が、そんなことを今から案じても仕方ない。とにかく肩に着くことだ。穂先に登れるかどうかはそのときに残っている体力で決められるだろう(実際は穂先への登りは、なんというか「別腹」だった)。

ここから8分ほど登るとヒュッテ「大槍JCT」の道標があり、さらに11分登ると坊主の岩小屋に着いた。播隆上人はこの岩の中で最高50数日間も過ごしたという。とてもまねできないが、彼の信念が槍ヶ岳をこれだけ身近なものにしたのも事実だから、彼の功績には敬意を表さないわけにはいかないのである(実際の彼の信念はちょっと邪道?のようだが)。このときには休憩する下山者がいたのでできなかったが、帰りにここを通ったときには合掌して安全に穂先に登れたことを感謝した。

岩小屋を越えると、いよいよ穂先が近くなる。殺傷ヒュッテも近くなる。が、依然として肩は遠い。

それでも「あのカーブを超えたら休憩」とか、「あそこまでいけばかなり楽になるはず」などと思いながら一歩一歩進んでいくと、だんだん槍が目前に迫ってきて、さらにいつの間にか殺傷ヒュッテを追い越してしまっていた。
そして、しばらく登り、何十回目かの「あのカーブで休もう」と思っていたカーブに着いたときだ。ふと上方を見上げると、もう次のカーブはなく、あとの山道は一直線に山荘のある肩に続いているのだった。

えっ、これで終わり? というのが素直な感想だった。いや、決して体力的に余裕のある「もう終わり?」ではなく、山道はまだまだ続くだろうという絶望の中に見えた希望、とでも言おうか。だから、嬉しいと同時にほっとする感情のほうが大きかった。体力的に限界になっていたのは、一目散に山荘に登って行けず、あとわずか数Mを残して立ち休みをして休憩を取らなければならなかったことでも明らかだろう。
とはいえ、ようやくなんとか槍の肩に到着したのである。
時刻は10時7分。ババ平を出てから3時間46分が経っていた

さあ、あとは穂先の往復だ!

写真説明:一番上はヒュッテ大槍JCT。まだあとひと登り、といった場所だ。
2番目は岩小屋。中は人が3人くらいが入れるほどの広さ。でも風雨はしのげそうにない。上からの雨ならまだしも、間口は広いので。
3番目は追い越した殺傷ヒュッテ。後方に常念岳が見える。ここまでくればあと一息、である。
一番下の写真は最後のカーブから槍ヶ岳小屋を見たところ。あとは一直線に登るだけなのだが、それがうまくいかない。

金曜日, 10月 05, 2007

息子とフライ作り


槍から帰って息子孝行をしようと思い、前から約束していたフライ作りを教えた。

ちょっと前に朝霞ガーデンに釣りに行ったとき、本当はおじいちゃんからもらった釣竿とリールを使い、ルアーで一尾釣りたかったんだけど、一抹の不安があったのでフライも持っていったのだ。

で、案の定、ルアーでは釣れず、フライの出番となった。フライボックスをいじっていると息子が覗き込んで歓声を上げた。「これパパが作ったの?」初めて見るフライの美しさに感動したようだった。しかも、フライだと結構釣れるのである。当然の結末と言うか、フライの作り方を教えることを約束したのだった。

そして久しぶりにフライ作りのデスクを開けた。実はこのデスクの上はパソコンのモニターが置いてあって、容易には開かなくなっている。FFをしなくなってこのデスクはモニター置き場と化していたのだった。もちろん、デスクの中に何があるか、息子は見たことがなかった。その息子の前でデスクを開ける。そこにはかつて吉祥丸がちまちまと買い集めたフライ作りの道具やマテリアルが所狭しと溢れていた。
喜ぶ息子。やはり、こういう何かを作る作業というのは男心をくすぐるのだろう。プラモデルと同じような感じかもしれない。しかも目の前には数多くの部品がずらっと並んでいるのである。

とりあえず基本を教えると、真剣になって作り始めた。うまくいかないが、初めはそんなもの。出来上がりも決して美しくはないものの、フライは美しければ釣れるというわけではないからね。むしろ不細工なフライのほうが釣れたりするものだ。

吉祥丸も忘れていたフライ作りの楽しさを思い出して何本か作った。ビートルというカナブンを模したフライを作ったら息子に感動された。そんなわけで、あっという間にフライが増えた。

息子は自家製のフライボックスを作り、そこに作ったフライを入れた。

息子は吉祥丸がいないときも母親にモニターをどかしてもらって一人で作っているようだ。よしよし。
またD40にクローズドレンズをつけて接写すると、これまでうまくいかなかったフライの写真が綺麗に撮れた。これも嬉しかった。

フライ作りの楽しさは出来上がったフライで魚釣りができることだ。これがプラモ作りだと、作ったプラモを飾って眺めるしかできない。

さあ、これらのフライをいつ使おうか。 写真は初めて息子が作ったフライ。ビーズヘッドの赤虫フライだ。

木曜日, 10月 04, 2007

槍ヶ岳登山 その4


ババ平を出たのは6時21分。大曲(水俣乗越)までは平行移動。そこから登りが始まった。ただ、傾斜はきつくない。ゆっくりゆっくり、徐々に徐々に高度を上げていく感じだ。当然、その分距離が出る。
前方を見ると、はるか遠くに登山者がいるのがわかる。「あそこまで行くのか~」やや萎えるところである。本当はあそこまでどころか、さらにその先に登りが待っているのだが、視認できない登りは実感がわかない。むしろ遠くに見える小さな登山者が、この先の困難を予想させて辛くなるのだ。

とはいっても、登るしかない。やることは一歩一歩足を踏み出すことだ。

やがて大きなカーブとともに槍沢のカールが見えてくる。が、槍ヶ岳はまだだ。このあたりから方位の関係で日陰がなくなった。いきなり暑くなる。半そでのTシャツ一枚になるが、ふと思い直して、長袖のTシャツの袖の部分だけを両腕に通した。日焼け止めを持ってこなかったので、こうする以外にない。格好悪いけど、この晴天ではあっという間に焼けてしまうに違いない。歩きにくいということはないので、このスタイルで登ることにする。

1時間ほど登ると、天狗原分岐に出た。ここで、ここまでほぼ一緒に登ってきた登山者がザックを置いて天狗原のほうに向かった。おそらく天狗池で逆さ槍を撮るのだろう。「そうか、そういう選択肢があったか」と思ったが、じつはこの時点ですでにバテバテだった吉祥丸は、さすがに寄り道をする気力はなかった。といって帰りに寄れる保証もなく、またこの天気が明日も続くとは限らないので、逆さ槍を撮るのは今しかチャンスがないかも、などと後悔するのだが、もう分岐から登ってしまった。戻るのは論外なのでそのまま登ることにする。

分岐から45分ほど登ると水沢に出る。最後の水場だ。最初はどれが水場かわからなかった。前にいた夫婦は沢の水を汲んで飲んでいた。吉祥丸もその水を汲みながら、いくら水沢でも沢の水はどうかな、と思い、ふと見上げると岩とハイマツの間から水が流れ落ちているのが見えた。明らかに岩の間を染み出た湧き水である。こっちだ! そう確信した吉祥丸はそこまで登って水を飲んだ。冷たい。うまい。ペットボトルを満杯にし、さらに飲んだ。ペットボトルには粉末のアミノバイタルを入れる。これがうまくて、このあとの登りを大いに助けてくれた。

が…。ちょっと進んだところでこの水を飲もうとしたら手が滑った! 冷えたペットボトルは水滴を持ち滑りやすくなっていたのだ。手から落ちたボトルは斜面を転がり、3M下くらいで止まった。ガレ場の落石が発生しやすい場所だ。だが、放っておくこともできない。この先水なしではそれこそ生命にかかわる危機だ。仕方がないので恐る恐る取りに行く。やはり浮き石だらけでズルッといったら盛大な落石を発生させそうだ。ゆっくり足場を確保しながら下る。ようやくボトルを回収、今度は登りだ。これも気を使いながらゆっくり慎重に登って、ようやく元の場所に戻ったときは10分くらいロスしてしまった。こ山ではんな大したことのない崖っぷちでも水を飲むときに注意しなければならない、そんな当たり前のことに気づかされた。アクシデントではあったが、これで気合が入ったのも事実。そしてちょっと進むと…。

槍が見えた!

ふと振り向くとそいつはそこにいた。まだだいぶ遠いけど、今まで見たどの槍より大きかった。

これでがぜんやる気が出た。不思議と歩きも軽快になる。
あとはこの槍を見ながらひたすら登るだけだ。

写真説明:上の写真はババ平から少し進んだところ。まだ平坦な道だ。でも景色は最高。天気も最高だった。
次の写真は天狗原ジャンクション。「JCT」という表現が使われているのがかっこいい。
3枚目は一目見てわかるとおり野生の日本猿。大人で座っている座高で60cmくらいか。近づくと警戒したが逃げなかった。ナナカマドの実か何かを茎の根元からバリバリ食べていた。
最後の一枚は槍が見えたところ。画面右側から歩いてきて左に抜ける場所。槍沢カールの入り口だ。ここから槍を正面左に見ながら登っていくことになる。ゴールは見えているのだが、見えているだけに? なかなか進まない。ちまにみここから槍ヶ岳山荘まで距離1500mの表示があった。

槍ヶ岳登山 その3

まずは初日。沢渡でバスに乗って(この時もワクワクじゃなかったなあ)、上高地に着いたのは7時半ごろだった。初秋の平日の上高地は観光客もいないし登山客も少ない。肌寒く、重いザックを前に気持ちが萎える。

軽くストレッチをしていざ出発。

この山行は吉祥丸にとって初めて一人での山歩きとなるので、子供や妻のいない自分のペースというものが、いわゆる普通のコースタイムと比べてどうなのかを知るチャンスだった。

前回の涸沢では明神まで1時間半かかっているが、どんなもんだろうと思いながら、でも、別段急ぐわけでもなく歩いていたら、なんと38分で着いてしまった。コースタイムは50分だから結構早い。気をよくした吉祥丸は休憩も取らずに次の目的地、徳沢へ。42分で着いた。これもコースタイムより20分程度早い。横尾には51分で着く。いや実に速いペースなのだ。急いでいるわけでもないのだが。

横尾でおにぎりを食べる。あまりに速いペースだったので、この先早く着きすぎるとやることがないなと考え、ここで30分くらい休んでしまった。


10時21分横尾出発。30程度で槍見河原到着。久しぶりに肉眼で見る槍。遠い。

そこから10分ほどで一ノ俣の橋。ネットでさんざん見ていた橋が目の前にあるというのはなんか感動する。

さらに10分ほどで二ノ俣の橋。ここからやや登りになる。

槍沢ロッヂの標高が1820Mで、横尾が1610Mだから、約200Mの登りだ。ちなみに、ババ平は2080M。ということは、今日は後470M登らなければならない。もっとも、次の日はさらに1200M登るのだ。底まで考えると憂鬱になるのだが、とにかくひたすら前進するだけだ。

ちょっと登りが辛く感じられた頃「もうすぐ槍沢ロッヂ がんばって」の看板が。でもこの「もうすぐ」というのがどのくらいなのかが非常に気になった。ただ「もうすぐ」と言われても5~25分くらいの幅があると思う。「あと10分」と言われた方が実際は20分かかっても、この時の精神状態的には楽になると思うのだが…。

それはさておき、結局、ここから10分でロッヂ到着。11時43分。上高地から5時間はかかるとふんでいたが、実際は休憩を入れても4時間とちょっとで来てしまった。俺って健脚? なんて思いながら結構満足でしばし休憩。

今日はあと30分くらい登るだけだから気は楽だ。カップラーメンを食べベンチで一眠りする。起きてもやることなし。さっさとババ平に行ってテントを張っても良いのだが、あまりの天気の良さで、たぶん、日陰のないテント場は地獄ではないかと想像したのだ。
2時間ぐらいうだうだして、1時42分ロッジ出発。結構シビアな登りにハアハア言いながら36分でババ平到着。ネットでおなじみの光景が広がっていた。

しばし休憩の後、テントを張る。
さらに今日のディナー、キムチ鍋を作り、そしてビール!

翌日の登りを考えると気が重くなったが、天気もいいし、ビールも鍋もおいしく、この時はなかなか満足の気分だった。

で、夜。前記のように暗くなるのである。

そうしながらも寝てしまった。でもぐっすりとは眠れない。何度か目を覚ます。3時過ぎだったろうか、チャリーンと鈴を鳴らしながら誰かが通った。まだ真っ暗である。槍沢ロッヂからだと思うが、随分早いなあ、と感心してしまう。同時に鈴の音がこの世のものではないようで、播隆上人ではないか、などと震えてしまった。

また寝てしまって起きたのは5時。5時半に出発しようと思っていたのにこのていたらくだ。でも、最後の2時間はぐっすり眠れた。寝起きも良かった。急いで支度を始める。

が…。作った朝食「キムチ雑炊」がいただけなかった。朝っぱらから食えないし辛いし、量が多すぎた。完全に失敗。ジプロックにつめて置き去りにすることに決めた。

この日はテントと寝袋、マット他を置いて登ることを決めていた。情けないが、どうしてもテントをかついで登れるとは思えなかったのだ。この判断は正解だったと思う。

だが、いざテントを置き去りにしようとする段になって、なんかそれを見ていたやつが「お、あいつ空身で行ったぞ。盗もう」なんて思うんじゃないか、とか考えて行けなくなった^^;

実際はそんなことないのに被害妄想になってしまう。と、もう一人の人も空身で行くらしく、テントのジッパーを閉めて歩いていった。ほっとした吉祥丸もジッパーを閉めて(念のためジッパーの位置を記憶して)、いよいよ、槍への道に一歩を踏み出したのだった。

写真説明:上の写真は上高地バスターミナル。人もまばらで寂しい。バックには焼岳が見えた。
次の写真は横尾から見る前穂東壁。天気がいいのでバッチリ見えた。
その下は槍沢ロッヂの広場に設置されていた望遠鏡。槍が見えるというので見てみたら、これがすごい望遠鏡で、穂先に立っている人が見えた。感動すると同時に本当にここに行けるんだろうか、と不安になる。
一番下の写真はババ平。閑散としていた。

槍ヶ岳登山 その2

槍の穂先に立ってからほぼ2週間が過ぎた。相変わらず左足裏の骨が痛いし、両足の親指の爪が変色している。筋肉痛はなくなったが、吉祥丸の体にとって実にハードな山行だったと改めて思う次第である。というか筋力、体力不足に過ぎないんだけど。

さて、2週間も経つと、喉元過ぎればなんとやらで、あの時の苦しさを半分以上忘れてしまっている。
いい気なもんで、いまは「次は軽量テントで勝負だ」とか、「なんであんなにいい天気だったのに南岳までの稜線歩きをしなかったんだ」とか考えてしまうが、 これはあの時の状況を少しでも思い出せば実にいい加減な考えであることに思い至る。

とにかく苦しかったのだ。一人ということもあり、また未知の道ということもあって常に漠然とした不安があって疲れを増幅させていた(と思う)。
そんなわけで、槍の肩に立った時の考えは三つだった。
1、このまま槍ヶ岳山荘に素泊まりする
2、南岳まで行って南岳山荘に素泊まりする
3、ババ平まで下ってテント泊する

3の選択肢なんて今考えると、なんてもったいないと思うが、その時は「早く家に帰りたい」「金がもったいない」という二つのジレンマがあった。
ババ平まで下っちゃえば明日の行程が楽で、さらにそれだけ早く家に帰れる、と考えたのだ(午後一番に沢渡まで行ければ渋滞なしで帰れると思った)。

あの最高の天気の中でこんな事考えちゃうんだから、今にして思えば悲しいが、前回も書いたように、やはり一人は寂しいのであった。

で、2の選択である。実は穂先に登って気をよくしたときは「よし、南岳まで行ってやろうか」と考えたのだ。時間は12時前だったし、十分行ける距離である。で、目の前にある飛騨乗越と大喰岳を見てみた。
まあ、行けるかな、と思ったのも束の間、山荘入り口からテント場までのわずかな坂道に足の筋肉が悲鳴を上げてしまったのだ。
こりゃだめだ、と思いました。同時にちょっと調子に乗って欲を出した自分を戒めた。ここまでヒーヒー言って登ってきたことを忘れたのか、行けるわけないだろ、って感じです。ただ、何度も書くが、今にして思えば行けたかな、と…。
あの時は南岳まで3時間かかるとふんでいて、それが躊躇する原因でもあったのだけど、よくよく考えてみると、ここまではコースタイム以下で歩いてきているのである。3時間といわず、2時間、いや2時間を切って行けたかもしれないのだ。もっとも、この時の吉祥丸にそんな考えは浮かばず、早々に2の選択肢は消え去ったのだった。

でも、あの天気での南岳までの稜線歩きは、おそらくもうないかもしれない。千載一遇のチャンスを逃したのかも…。まあ、山におけるこういう後悔はみんなしているんだよね。今更しょうがないので、次回にとっておくことにしようか。

さて前置きが長くなった、って、今までは前置きかい!

まずは写真説明。一番上の写真は、横尾から30分くらいか、槍見河原で見える穂先。遠いなあ、本当にあのてっぺんまで行けるのだろうかという不安にかられる場所である。一方、帰りの場合は、いやあ、しかし、本当にあのてっぺんまで行ったんだなあ、昨日のこの時間にはあのてっぺんにいたんだぜ、すげえなあ、と思うことになる場所でもある。

次の写真は槍沢ロッヂまでの河原沿いの道で見える美しい梓川。ほんとうにきれいだった。イワナも一杯いるんだろうなあ、こんなところでFFできたら最高なのに(雰囲気だけでなく良く釣れると思うので)、と思わずにはいられない景色である。マジで美しい流れだった。

その下は色づいたナナカマドの実。この赤と紅葉とそのバックに槍の穂先、という写真は紅葉の時期の定番カットである。

最後の写真はババ平にあるトイレ。あまりネットでも見たことなかったのでアップしておいた。カギがかからないが、あまり不自由はない。中にいるとがさごそ音が出るので、外の人にも「あ、入ってるな」とわかるからだ。でも女性は不安かもしれないが。中に竹の棒のようなものがあったので、もしかしたらそれをつっかえ棒のようにしてカギ代わりにするのかもしれない。
いずれにせよ、このトイレにはお世話になった。この行程中最も使用したトイレだった。