月曜日, 12月 31, 2007

ログハウス

27日にこの冬休みの最大のイベント、ログハウスに泊まった。場所は山中湖。ビッグフットの体験宿泊である。
初めての木の家はとても贅沢な空間だった。
建てたばかりなのだろうか、トイレも風呂もキッチンも、設備も調度品も電化製品も何もかもがピッカピカでモデルハウスのようだった。

で、木の家の感想。フローリングを素足で歩けました。外は零下5度くらいなのに、風呂上りの(酔っ払いの)足にはほかほか過ぎるくらいだった。暖房を付けっぱなしにしてあったということもあるけど、この快適さは素晴らしいと思った。

もっとも、翌朝はさすがに冷たくて靴下を履いたけど。

息子が吹き抜けのリビングから二階によじ登ったり降りたり、楽しそうだった。吉祥丸が手伝ったのだが、計何回上り下りしたろうか、10回じゃききません。

本当は料理もしたかったけど、朝夕の食事も用意されていて、これはこれでおいしくて楽しかった。
レストランでは薪が燃えていた。夕食時はベロベロだったらしい。椅子の上で眠ってしまったとか。とか、というのは覚えていないからだ。相変わらずです。

息子と夜の11時半ごろまで外の雪で遊んだり、翌朝も雪でオブジェを作ったりした。

娘も意外にすっきりと目を覚ました。これもログの効果か。
こんな家に住みたい、と思う吉祥丸なのであった。

ところが、その後に訪れたホンカのモデルハウスを見て唖然。前にも見ているのだが、やはりモノが違うのです。例えば同じゴルフ場でも、ビッグフットが河川敷なのに対し、ホンカはバブリーなオーガスタみたいなものか。同じログハウスでもデザインや作りなどにそれほどの違いがあったのだ。値段も違うけどね。でも、建てるならホンカだなあ、と思ってしまうのだった。どっちにしろ建てられないけど^^;

その後、今度は富士吉田のPICAへ。トレーラーキャビンに泊まるのだ。が、やはりぴかぴかのログと比べてアラが目立ちすぎ。趣向が違うとはいえ、ちょっと抵抗も。さらに夜が冷えた。この寒さに毛布一枚でっせ。いくら暖房がんがんとはいえ寒くて眠れませんでした…。

ただ、みんなで作った(娘は体調が悪く寝ていた)餃子はうまかった。ニラを入れるとまろやかになることをこの前発見し、今回も実践した。
歯の根の部分が炎症を起こしているらしく痛くて興醒めだったが、まあ、楽しい夕べであった。

翌朝、息子と時ならぬ雪合戦が始まった。最初は単なる散歩のつもりだったが、それがいつの間にか戦いに。結局1時間以上戦って息子は全身びしょびしょ。吉祥丸も濡れた。本気でやっていたから、暑くなって長袖Tシャツ一枚で戦っていた。息子も楽しかったらしく大満足の一時だった。

PICAを後にして向かったのは河口湖。実家へのお土産だ。
そして次は昼飯のほうとう、もとい、吉田うどんを食べに行った。地元ではほうとうとは呼ばないらしいのだ。

林の奥にある安普請の店へ。ネットで探しておいた店だ。かけうどん300円。河口湖の御土産店+食堂では600円だった。

味も良かった。が…、ここにD40を忘れてきてしまったのだ! 気づいたのは地元に帰ってきてから。すぐに店に電話したら「あ、カメラですね、ありますよ」との返事。さらに「すいません、すぐに追ってお渡しできなくて」という信じられないほど素晴らしい対応。こちらの住所名前をFAXして送ってもらうことに。よかった、けど、一瞬肝を冷やしましたよ。

そういえば息子のスノーブーツも片足がなくなっていた。う~ん、今年最後の厄落としか。

4時には帰宅して、荷物の整理など行い、再び出発。ホルモン焼きの夕食を食べに行くのだ。
場所は池袋。これもネットでチェックしていた。味は…、とろけるフォアグラ、とか、ネットでは言っていたのにけっこう硬かった。いつも地元の肉屋で買うホルモンのほうが10倍はうまい。ちょっと期待はずれだった。でもまあ、すっかり酔っ払って帰宅したのだった。

昨夜はロースとビーフやスパゲティやベイクドポテトやサラダなど豪勢な夕食。
そして今日は大晦日。今年もいよいよおしまい。鴨鍋を食べて、ぬる燗を飲み、息子と遊んで、紅白&行く年来る年なんぞを見ながら年が明けるんだろう。

来年はどんな年になるのか。

と、今日はまだ障子の張り替えと洗車とPCの大掃除があったのだった…。

木曜日, 12月 27, 2007

冬休みは目の前

相変わらず「ポケデコ」が息子と吉祥丸のブームだ。他に遊びはないものかと思うが、まあ仕方ない。これはこれで楽しい? 特に息子はおもしろいらしく、今日は腹を抱えて笑っていた。こんなに楽しそうな息子もめったに見ないから、よしとするべきか。

さて明日から冬休みだ。休み中に考えなければいけないことは多いが、とにかく休みを満喫しよう。

まず明日から2泊の旅行。初めてログハウスに泊まる。ログのフローリングは暖かく、冬でも素足で平気だという。本当か? 大いに疑問だが、そんなログの実力を見極めようと思っている。
妻が気に入って購入への道に進むこともちょっと期待しているが、こればっかりはたとえ妻がその気になってもちょっときついか。

2泊目は恒例のトレーラーキャビン。みんなで餃子を作ってパーティだ。
場所は山中湖と富士吉田だが、特にイベントはないのでのんびりできるかな。
家族の顔を良く見て、怒ることなく、楽しく過ごしたい。

そうそう、2日目と3日目の昼食のメニューが決まっていない。3日目の夕食も。夕食はホルモン&
焼肉という裏ワザもあるのだが…。ただ、そのためには帰宅時間をずらさないとならない。11時にチェックアウトすると、そのまま帰宅したら早く着きすぎて夕食という感じじゃなくなってしまう。といって他に行くところもないし、天気は悪いみたいなので登山は論外だし。でもまあ、なんだかんだいって時間は経ってしまうかもしれないか。

問題は昼食だ。2日目はバーベキューという手もあるが、面倒か? 妻は消極的。脂っこいからね。でも、モチや手羽元ならどうよ。

3日目の昼食はせっかくだから地元のほうとうのうまい店なんかを探そうか。うん、それはいいかも。でもそういう店っていたずらに高いんだよなあ。たかがうどんなのになあ。

そういえば明日のチェックインが16時なので結構時間を持て余すかも。それまで何をやるか。忍野八海か。ホンカでもいいか。でもせいぜい1時間だろう。
天気はいいはずだから見晴らしのいいところにでも行くか。でも寒いから娘は嫌がりそうだなあ。

日曜日, 12月 23, 2007

川の字

この2日間、川の字になっている。といっても、妻は別。娘と息子と吉祥丸だ。
何で妻が別で川の字かというと、妻は風邪をひいているので寝室に隔離状態なのだ。

で、残された3人が川の字でビデオを鑑賞しているというわけ。

昨日はシュレック3、その前は銀魂を見た。

3人が狭いシングルの布団にくるまって寝ながらビデオを見る。
変な構図だが、幸せの構図でもある。

一昨日はそのまま3人で寝てしまった。これはさすがに窮屈だった。

昨日は娘が自分の部屋で寝た。楽しい一夜。


そうそう、娘がコンタクトにしたら見える見える! と言ってはしゃいでいた。顔つきもよくなり、機嫌もよくなる。息子と遊んだり、いつもの娘じゃないくらいハイテンションで上機嫌だった。

者がよく見えるということはこれほど人を変えるものなのか。
逆に言えばよく見えないというのは相当なストレスなんだなあ、と思った。

これまでそのストレスさらされてきた娘が可哀想だった。吉祥丸と妻は目がいい方なので、このストレスとは無縁だったのだ。

水曜日, 12月 12, 2007

近況

インフルエンザにかかった。A型。たぶん息子からうつった。
でもタミフル飲んだらすぐに治りました。
タミフルは驚くほど効く薬で本当に治るのもあっという間。なんかインフルエンザってすごく強敵なんだけど負けるときはあっさりしていて素直なヤツ、って感じでした。普通の風邪の方が断然いやらしい。

ただ、治っても2日間は外出禁止というリスクがあった。土日を挟んでいたからよかったけど、平日に罹ったら危ないところだった。

さてこの間、家族で食事をする機会が多かった。時ならぬ手巻き寿司だったり食卓も賑やかで、笑顔と会話が絶えない夕食だった。

息子とも風呂に入って遊んだり、なかなか楽しい週末であった。

詳細はでも、あまり思い出せないんだよなあ^^;

火曜日, 11月 27, 2007

ウォーキングと炭火焼とすき焼き

月曜日は仕事が休み。日中、妻は仕事で娘も息子も学校だから、自由な時間となる。
何をしようか前から考えていた。ビデオ三昧かウォーキング&温泉&ビールか。 槍ヶ岳以来歩いていないので体がメタボ状態極まっているはず、ということで歩くことにした。

ただし、温泉はこのところちょっと贅沢しすぎなので却下。歩いたあと、家で一人炭火焼をすることに。

土手を、いつもは往復するのだが、今回は歩いているうちに調子がよくなり、昼飯まで時間もあったので、ちょっと遠出をすることにした。川を渡って土手を「一周」することにしたのだ。

結局1時間12分かかった。上高地的には徳沢に着いたか着かないかくらい。大したことはないのだが、いや~歩いたって感じ。久々だからね。

この土手一周は実は前から考えていたが、さすがに遠いのではないか、とか、2時間はかかるだろう、ということで敬遠してきた。でも、いざやってみると意外に簡単なのだった。人間の足ってすごいんだよなあ。土手だから見晴らしがいいので、自分が歩いてきた場所が遠くに見える。めちゃくちゃ遠いんですけど。あんなところまで歩いたんだ。それでも片道3キロくらいなんだけどね。

さて、帰宅してシャワーを浴びると11時半。いい時間だ。

まずは炭熾し。といってもガス台の上でユニフレームのファイアーストーブに前回使った炭を入れて火をつけるだけ。
約5分で着火。あとは放っておけば自然に真っ赤になる。これが七輪の代わりである。

昨日買っておいためざしと手羽を出す。ついでにソーセージも。手羽に塩を振って、冷奴もあったのでまずは前菜に。そしてビール! キッチンに椅子を持ってきて、ささやかな宴会の始まりだ。

運動の後、シャワーの後のビールは格別にうまい。しかも昼間のビールはもっとうまい^^;

いい具合に炭が熾ってきたのでまずはめざしとソーセージから。すぐにいい感じで焼ける。
よだれを垂らさんばかりにまずはソーセージから。う~ん、ちょっと味が足りない? 焼肉のタレかなんかが必要か? でもまあこのパリッとした食感は炭火焼きならではだ。めざしもやわらかくてジューシーでうまいなあ。

焼酎に切り替え、食材もどんどん焼く。あまり煙は出なかった。途中、炭の勢いがなくなったので2回ばかり炭を足す。

肉ばかり食べていたのでたまねぎを切った。当初は半分のつもりだったが、うまいので1個食べてしまった。

ふと気がつくと顔が真っ赤だった。歩いて血行が良かったのだろう、酔いも早いような気がする。

最後はおにぎりで締める。妻が握っておいてくれたものだ。
醤油をたらしてじっくり焼いて…。マジうまいっす!

しかし、食べながら思ったが、こうした遊びというか贅沢というか、は家族がいてこそなんだよね。これが一人きりの生活でこんなことしていたら、さびしいに違いない。あと数時間で家族が帰ってくる、そうしたらここもいつものようににぎやかになるだろう、その間のちょっとした静寂のひと時を楽しむ…いや、実に恵まれた生活なんだなあ、としみじみ思いました。

ところで、なんで炭火焼をしたかというと、ビッグフットのHPでスローライフの提案として、ログハウスのテラスに座布団を敷き、七輪を置いて、めざしやししゃもなどをゆっくり焼きながら一人日本酒を飲む、というのがあったからだ。

だから本当はアウトドアでやりたかったんだけど、ベランダは論外だし(何回かやったことはあるけど)、外に出かけていってやるのは趣旨に反するので、キッチンとなった。いつかはテラスでやりたいなあ。


さて、この日の夕食はすき焼きだった。
なんかこの3日間、贅沢三昧って感じ? まあいいでしょう。そんなに贅沢でもない。このところどこにも出かけていないしね。1500円奮発して肉を買った、ということです。

これもうまかった。肉ももちろんだが、野菜や豆腐が絶品。すいとんもおいしくて…。今日のウォーキングで消費したカロリーは明らかにオーバーしてしまった…。 また歩かねば!

夕食をはさんで息子と遊ぶ。昨日のオセロの挟み将棋の続き。いろいろオプションというかハンディをつけて戦う。息子が勝つこともあった。

9時前にはベッドに行って息子とポケモンの「ミッケッ」をする。が、眠たくなってどうしようもない。ついにギブアップ。妻に任せた。でも、その後、息子も寝てしまったようだ。

で、3時に起きてこの日記を書いている。仕事のことを考えなくてはならないのだが、なかなか面と向かうことができないでいる。ま、明日からぼちぼち始めますか。

明日は大学時代の同級生と忘年会だ。おでんにぬる燗。またしたたかに酔いそうだ。胃腸薬を忘れないようにしよう。

月曜日, 11月 26, 2007

餃子と鍋の週末

土曜日は餃子、日曜日は鍋という夕食だった。贅沢三昧!?
日曜日にはあきらめかけていたpatagoniaのフリースも手に入り上機嫌。ほんとうはあと、ダウンセーターと靴下3つ欲しいけどがまん、ってあたりまえか。

夕食の前は娘の勉強を見たり息子とポケデコやオセロやオセロで挟み将棋などをして過ごす。自分のことはできないが、家族とのコミュニケーションは濃くできた。

土曜日はダブルベッドに4人で寝るという涸沢状態^^;
頭を交互に置き換えながら寝たが、やはりきつい。なんでそこまでして、と思うが。これも今のうちか。

鍋は妻がかねてから狙っていたすけそうだらを使ったちり鍋。食べ過ぎてしまった…。

明日、というか今日は歩かなくては。歩くのは槍以来だから、2カ月ぶりである。随分怠けてしまった。

火曜日, 11月 20, 2007

誕生日祝いの夕べ

日曜日にジンギスカンで42歳の誕生日を祝った。

なぜジンギスカンかはあまり意味がない。娘の肉が食べたいというリクエストがあったからだ。
息子はあまり肉が好きではない。ネギトロが食べたいと言っていた。最近食べられるようになったのだ。
今度はそうしよう。

いつも行くジンギスカンの店は相変わらずおいしくてかなり食べた。酒も飲んだ。酔っぱらって最後にはパパに勝ったら漫画を買ってあげるとか言って子どもたちと腕相撲をしたらしい。らしい、というのは覚えていないからだ。
二人を同時に相手にして、でも、こちらが勝ったらしい。やっぱり覚えていない。

帰りの車では眠っているのか酔っているのか訳の分からないことを言い出したので息子が辟易したという。

帰ってからは焼酎を飲み直しながらせんべいをボリボリ食べていた記憶がある。

ひどい酔っぱらいだが、本人は楽しかった。まあ、いい誕生日だったのではないか^^;

42歳…

誕生日がきて42歳! じゃあないんだよなあ。!はつかないでしょう、やっぱり。男の平均余命は81歳というからあと約40年。今まで生きてきた分をもう一度やることになるのか。長いようで短いような…。

今朝起きたら家族からのメッセージがあった。息子は山登りや釣りなどをしている絵を描いてくれた。妻は「低山や涸沢、奥穂に行こう」というメッセージ。娘は変なオリジナルのウサギ?の絵。家族の愛を感じた朝だった。

でも今日は仕事(ToT)
しかしそれももう終わりだ。帰ったら湯豆腐が待っている。ビールとぬる燗で誕生日を祝おう。
明日はジンギスカンの夕食を企画している。

火曜日, 11月 13, 2007

鍋、鍋、鍋!

日曜日。
この日の朝は息子と迷路のような箱を作った。ビー玉を転がしてゴールに持っていく遊びだ。

ところで昨夜実家から持って帰った鍋の命のダシ。
本当は次の日の朝に使うはずだったが、妻が忘れて朝食はパンだった^^;

ならばとこの日の夕食も鍋に決定!

ま、同じ量や材料だと重いので軽くうどんすきにしようかと、ジャスコに買い物に。
娘は部活で疲れて眠いと言う。3人で行くことに。

大雨でジャスコは渋滞。ようやく「軽」の場所に駐車した^^;

食品売り場を眺めていると「ヤリイカ一盛り380円」の特売が。小さいけど10パイはある。妻が刺身用であることを確認して購入。その代わりつみれは断念することに。

注文してあった椅子を運んで帰宅。

さっそくビールとヤリイカで乾杯。これがヒット! かなりいけた。みんなで食べてあっという間に完食。

鍋は結局あれこれ買ったらうどんが入らず。これもみんなでがつがつ食べて完食。吉祥丸はぬる燗。
おじやまで食べられないので。翌日の朝食とすることに。

で、翌朝。いつもは寝ている吉祥丸だが、頑張って起きてみんなと食べた。いや~しみじみうまい。
ダシがめちゃめちゃ効いている。なんたって2日分のダシだからなあ。

これからは「鍋は三日続けて」にしようか^^;

日曜日, 11月 11, 2007

実家で鍋

実家に行って鍋をご馳走になる。
父親がひげを生やしていた。なかなか似合う。妻や子どもたちの評判もよかった。

鍋はシンプルな材料。昆布でダシをとった。
娘は豚肉と鶏肉をたらふく食べ、さらに別腹でケーキを吉祥丸の分まで食べた。

父親が槍ヶ岳の写真を印刷してくれた。う~ん美しい! めちゃくちゃきれいに印刷できている。写真を撮った者の腕かカメラがいいのか、プリンターがいいのか印刷する者の腕がいいのか大いに議論となる^^;
先日、市役所前で行った娘の演奏の写真も印刷したが、それが外国のような雰囲気でなかなかよかった。

吉祥丸も食べ過ぎた。息子とは「将棋の駒デコ」で遊ぶ。喧嘩もなく、いつものように楽しい一夜だった。

帰りの車の中で息子とポケモンしりとり。うつらうつらしてしまう。

9時過ぎに帰宅。息子と布団に入って漫画を読んでいたら、寝てしまった。で、今4時半^^; 昔ならビールを飲みなおしたが、今は飲みたくない。というか飲めない。というか今日の夜も飲むので肝臓を休めたい…。

さて今日は何をするか。天気が悪いので外には行けない。注文したダイニングの椅子が届いているというのでジャスコに取りに行くことになるだろう。娘は漫画を買いたいと言っていた。この前子どもたちが続けて風邪をひいたとき、息子には漫画を買ったが娘には買わなかったことで、約束させられたのだ。

夕食は何にしよう。そうそう、朝食は今日の鍋のダシをもらってきたので、それで雑炊だ。楽しみ。

日曜日, 11月 04, 2007

槍ヶ岳登山 その9

アップし忘れていた1枚。雲海の上の山荘。槍みたいなのは避雷針か。フカフカに見える雲。その上は今日の晴天のなごりのような青空。夕日が沈む前の天上の粋な演出である。


さて、ババ平まで快調に下った吉祥丸はデポしてあったテントの回収を急いだ。テントは無事だった^^;
ババ平到着9:10。休憩入れて出発が37分だから、まあまあ早く回収できたといえる。

槍沢ロッヂまで28分。途中多く登山者とすれ違う。ああ、この人たちはこれから槍か南岳まで登るのか、そう思うと、昨日のつらさが思い出されてついつい彼らの身を案じてしまう。が、彼らは吉祥丸より体力があるかもしれないし、慣れているかもしれない。けっこう楽勝なのかもしれないから、あまり考えても仕方ないか。この日は土曜日ということもあって、すれ違い渋滞などあり、この先はなかなか思うようには進まなかった。

槍見河原で最後の槍。ああ、あんなに遠いところにある。あんなところまでよく登ったものだ。自分を誉めてやりたかった。 槍よさらば、そう心の中でつぶやいてその場を後にした。

11:12横尾到着。横尾は人でごった返していて座る余地もないくらい。横尾ロッヂの右側から降りてくる登山者は南岳か槍からと決まっているので、結構誇らしい気分で登山者の前を闊歩した。

それにしてもよく歩いた。ここまで来れば大丈夫。家に帰ることができるだろう。安堵とともに充実感がわき上がってくる。

だが、ここからの平坦な歩きが結構辛かった。登山シューズの底がかなり硬いタイプなので、岩場はOKなのだが、平らな道は不得意なのだ。やがて親指が下から突き上げられるような感じで当たるようになり痛み出した。さらに親指付け根の部分が靴擦れし出す。 すれ違う若い登山者の中にはサンダルで歩いている人がいる。一瞬、え? と思うが彼らは当たり前だが硬い登山靴を持っているのだ。横尾を過ぎたら履き替えるのだろう(サンダルはテントを張ってからも使える)。 吉祥丸も今度は(サンダルで歩くのは無理としても)スニーカーを持ってこようと思うのだった。

本当なら一気に上高地まで行きたかったが、痛いので、徳沢、明神ともにゆっくり休憩をとった。

そして14:23上高地着。
徳沢と明神で計30分休憩をとった割には早く着いた。

バスに乗ろうとしたら「切符売り場で切符を買え」という。こっちは疲れているのでバスの中で払いたかった(行きはそうだった)のだが、頑として受け付けない。痛い足を引きずって買ってきたら目の前でドアが閉まりバスは行ってしまった(怒)。
ま、次のバスにゆっくり座れたからいいけどね。

約20分、バスに揺られて、とうとう帰ってきました。エス丸(懐かしい)のところへ。

まず靴と靴下を脱ぎ、サンダルに履き替える。ザックを荷台に詰め込むと、用意してあったお風呂セットを掴んで、駐車場隣の上高地ホテルへ。

昨年の涸沢以来、1年ぶりの懐かしい熱い湯につかって疲れと汚れを落とした(露天の踊り場にゴッキーの死骸があって閉口した。フロントの兄ちゃんに注意した)。

入浴後はさらに隣の食堂に行き、生ビールとそばで一人打ち上げを行った。ビールはもちろんうまかった。 妻にメール。

車に戻る途中で缶ビ-ルを買って再び反省会。
昼寝しようとしたがなかなか眠れない。

ビールを飲まないで速攻で帰る選択もあったが(本当はそうしたかったが)、そうするとちょうど中央高速の小仏トンネルあたりで渋滞につかまりそうだった。なにしろここは休日だと夕方5時くらいから深夜まで渋滞するのだ。

ただし、この日は連休の初日だったためかあまり渋滞はしなかったようだ。この後、眠れない吉祥丸は8時頃に渋滞覚悟で帰宅を決めるのだが、結果的に渋滞には巻き込まれず12時前には無事家に帰り着くことができた。

家には写真のような飾りがあり、胸を熱くさせた。みんなに支えられて登った槍だったなあ、と改めて思うのであった。

翌朝には下の写真のように、息子が「おかえりなさい」を飾り付けていた。隅っこに山を登っている吉祥丸の絵があった。やっぱり家はいいなあ! しみじみとそう思えたひとときだった。


この日はたっぷりと家族サービスをしたのは言うまでもない。こうして吉祥丸の槍ヶ岳登山は終わったのでした。

ふう~。長かった^^;


水曜日, 10月 31, 2007

槍ヶ岳登山 その8

まずは左の写真。天狗池からの逆さ槍。定番中の定番写真だ。少しアンダーめに補正した。美しさは見ての通り。東鎌尾根の上に若干雲が見えるが、スーパー快晴の中、この景色の中にいたこと、そして写真に残せたことに感謝したい。


さて、いろいろあった槍ヶ岳登山だが、遂に最終日をむかえた(って2泊だけど)。夕べは頭痛と吐き気に苦しみながらもやがて寝てしまった。夜中に窓を叩く風の音で目が覚めたが、あれこれ考える余裕もなく、まあ、明日も晴れだろう、などと根拠のない楽観の中で再び目を閉じるのだった。

4時頃、自炊のために上がってきた人たちの話し声や雑音で目が覚めた。
頭痛と吐き気は治っていた。
しばらくして、狭い寝床でストレッチなどをしてから自炊場に向かった。
そういえば昨日は膝が痛かったが、すっかり治っている。まあ、今日は下るだけだから多少ガタがきていてもごまかせそうだけど。
自炊の人によれば小屋の朝食の時間に合わせていたら御来光を見逃してしまうという。5時半頃が食事だから確かにそうだ。ま、この人は大喰岳から槍が燃える姿を見たいらしく、それなら5時には出発しないとならないから朝食なんて待っていられないか。
この後知ることになるが、この山荘にいると槍が燃えている姿を見ることができない。燃えている槍と同一線上にいるからで、つまり自分も槍と一緒に燃えてしまうのだ。

さて、吉祥丸も朝食を取ることにする。ところがこれが大失敗した。雑炊のレトルトに味付けにと思ってお茶漬けの元みたいなのを一袋入れたのがいけなかった。塩辛くなって食べられたものじゃないのだ。
結局これも荷物となった。

食欲もそんなに無かったので、昼飯というか行動食のレトルトチキンライスにお湯を入れ、出発の準備にかかった。時間は5時20分頃かな。
山荘でポカリスエット(250mlで300円)を買って水で薄めた。小屋の兄ちゃんに昨夜の寝床の変更の礼を言ってザックを背負うと、外に出て、上の写真のような御来光を堪能した後、いよいよ下山に取りかかった(5時53分)。

いったん下山になるとなんかあっけない。 昨日あれほど苦労して登った坂をあっという間に下ってしまう。みるみるうちに高度が下がって、振り向くと小屋が遠くになってしまっていた。

下っているのは吉祥丸ともう1人くらい。適度な間隔があるので、ほぼ一人でカールを独占しての下りだ。
頂上に立ったことの達成感もあり、今日中には家族に会えることの喜びもあり、そして空はどこまでも青く、膝も痛くない。なんかこの上ない充実感で一杯だった。
何度も槍を振り返りながら休みを取らず下り続けた。

坊主の岩小屋で合掌。無事登頂できたことを感謝した。そしてとうとう槍とのお別れだ。カールを横切って方向が変わると槍が姿を消すことになる。ここでも何度も振り返って感謝の言葉と別れの言葉を口にした。

天狗原分岐が近づくとまだ7時という事もあり、ちょっと色気が出てきた。昨日行けなかった天狗池を往復できるのではと考えたのだ。でも、どのくらいかかるものなのかわからなかった。往復50分とどこかのサイトには書いてあったような気もするけど、ちょっと不安だった。
カールを横切った向こう側というのは知っている。が、カールにはモレーンが2本くらいあって、そのモレーンの裏側にあるのか、はたまた、さらに向こうに見える横尾尾根の奥に行かねばならないのかがわからなかったのだ。

ちょうど山慣れたような人が降りてきたので、天狗池はどの方向でどのくらいかかるのか聞いてみた。すると昨日行っていたようで30分くらいかな、と言う。場所はあの森の奥、と指を差すのだが、どうにもわからない。
でもまあ、時間もあることだし体調もいいので行ってみることにした。結果は…行って良かったと思う。逆さ槍の映る天狗池ってどんなところだろうってずっと思っていたし、いい写真も残せたし。ただ、何度も行くようなところじゃないかな。しかも行程がちょっと堪えた。ザックをデポして空身で行ったにもかかわらず、へたった。
時間は往復50分。池での撮影に10分、計1時間の散歩である。が、標高差が200mあった^^;
結局、モレーンを越えて、さらに森の中を登山(!?)することになるのである。おまけに道を間違えて浮き石だらけの岩稜帯に入ってしまって往生した。
猿は近くに出てくるし、ストックで追い払いながらまだ着かないのか、まだ登るのか、って独り言を叫びながら?登っていった。

ようやく天狗原に着いて、岩の合間をちょっと行くと、眼下に池があった。それが上の写真。最初に見たときは、え? あれがそうなの、って拍子抜けしてしまった。なぜかもっと立派な池を想像していたのだ。実際の天狗池はよくいえば質素で素朴、そして健気。悪く言えば貧相、ただの水たまり? だった。
しかも進行方向の横に現われないで下に出てくるところがいやらしい^^; なぜなら逆さ槍を撮るためにはさらに池の畔にまで下らなければならないからだ。でも下りました。ここまできたんだからしょうがない。景色は最高だったけど。そういえば、ここにくるまでにいったんお別れした槍に再び会えた。もちろんここでも槍が見えている。

SDカードの容量の残りが少なく4枚しか取れなかったが、池には吉祥丸1人。何とも贅沢な時間を過ごしたのだった。

帰りは下りなので楽だった。道も間違えなかったし。途中で何組か空身の人とすれ違った。随分下ったところで、ストックではなく杖ではないか、と思えるような老婦がよろよろと力なさげに岩を登ってきて「まだでしょうか」と聞く。正直、よくこのおばあさんがここまで来れたな、と思った(連れはいたが)。それほどよろよろだったのだ。しかも、その場所からは樹林帯の登りが待っている。でも、まだまだありますよ、とは言えず、もうちょっとですかねえ、でもとってもきれいでしたよ、と励ました。あのおばあさん、池に行けたのだろうか。行けたとしても池まで下れたのか。いやいや、池まで行けたとしてもその後どうしたんだろう。肩まで登ったのか。それとも槍沢ロッジまで行ったのか。大丈夫だったろうか。

カールを横切る際に槍と最後のお別れをして、デポしてあった地点に戻ったのが8時17分。再び登山道に戻りテントを置いてあるババ平まで一気に下るのだった。

あと1回で終わる予定^^;

土曜日, 10月 27, 2007

槍ヶ岳登山 その7

あれから一ヶ月以上も経ったというのにいまだに左足の裏が痛い。両足親指の爪は真っ黒だ。正確には爪の裏が内出血している。靴擦れは回復した。しかしまあ、つくづく弱い体だ。というか鍛えてないんだなあ、と思う。もうちょっとしたら低山に紅葉狩りに行きたいが、この一ヶ月何もしていないので、かなりきつくなると思う。
さて、槍沢カールを俯瞰しながらビールを飲み干した吉祥丸は、前記の通り、この先の進むべき道程を思案していた。で、結局はもう一度穂先に登って息子や妻が登れるかどうかを確かめよう、ということになった。時間は2時。往復1時間と見て3時。いい時間でしょう。

登り終えて素泊まりの宿泊手続きをした。部屋の名前「駒鳥」と番号を書いた紙を渡される。「靴も持っていってください」と言われた。靴をちゃんと管理していないと、間違って履いていかれるケースがあるんだろう。人は少ないようでどうやら1畳分は確保できそうだ。が、炊事場の場所を確認して驚いた。槍ヶ岳山荘は広いので、自炊のための炊事場に行こうとすると、吉祥丸の今いる寝床から廊下を渡って階段を上り、また廊下を進んでさらに階段を登らなくてはならない。けっこう遠いのだ。山荘内でもアップダウンするのは嫌だった。
ところが、この炊事場のすぐ横にも同様にカイコ棚のような寝床があるのである。ここに寝られたら楽ではないか。さっそく、受付の兄ちゃんに交渉した。だめかなと思ったが、「あそこの布団は干していないので多少湿っているかもしれません。それでもよければ」という返事。一瞬、富士山でのじめじめ布団の恐怖がよみがえったが、逆に言えば、あれを経験しているんだから大丈夫だろうと思った。雨具もあるし、防寒着はフリースとダウン持ってきている。というわけで、「大丈夫です」と答え、移動させてもらった。新しい寝床は「双六」。上下で12人が寝られるだろうか。それが対面(確か「常念」だった)にもあるので計24人くらい寝られる。が、今は吉祥丸だけだ。新しい人も結局来なかった。独り占めである。恐る恐る布団を触ってみたが、富士山のときと比べれば全然マシであった。

隣の炊事場で湯を沸かしまずはカレーヌードルを食べた。うまい。ここには窓があって外が見える。どうやらカールに面しているらしい。階段を登った分だけ高い位置から常念が見えた。そのうち壁一面を覆っているような大きな木戸があることに気づき(初めは壁だと思った)、ガラガラと開けてみると、なんと目の前に穂先がで~んと見えるではないか。これは特等席である。ラーメンをすすりながら穂先に登っている人を眺めていた。


と、穂先が焼けてきた。夕日である。スリッパのまま外に出て、裏手にある見物台のような岩に向かう。そこには夕日見物の人たちが7~8人いた。と書いてきて、ちょっと時系列の間違いに気づいた。最初にこの見物台に来たときはまだ夕日が沈む前で、もうちょっとかかるなと踏んだ吉祥丸は、いったん戻ってラーメンを作ったのだった。だから上記のラーメンに関する記述は間違いである。まあ、誰も読まないから関係ないけど。
ラーメンを食べている途中に夕焼けが本格化し出して、ちょっと残したまま慌てて再度飛び出したのである。

いつの間にか下のほうには雲海が広がっていた。焼ける槍、本当に綿のような雲海、まぶしすぎる夕日。極上の風景を堪能しながら充実感に浸った。でも、やはり心の隅には「みんなが一緒だったらなあ」という思いがあるのだった。
サンセットを見届けると炊事場に戻って夕食を作った。そういえば夕日を見ているときに「○番から○番までの方は夕食ができました」というアナウンスがあった。食事つきだとこういうときに不便だ。せっかくの最高の場面をゆっくり堪能できないではないか。

吉祥丸の夕飯は白米にマーボー丼を乗せたもの。シンプルだったがうまかった。焼酎と一緒に流し込む。そのうち自炊の人たちが次々とやってきて、部屋が一杯になる。といっても夫婦2人と単独の人3人くらいだった。吉祥丸は寝床に帰って酒の続きだ。今度はバーボン。同時に酸素発生器を作動させる。

疲れていたのか眠たくなり、バーボンはあまり飲めずに眠る。
が…。すぐに眼が覚めた。頭痛と吐き気に襲われたのある。高山病である。懸命に酸素を吸った。傍から見たらこっけいな格好だったろう。酸素の出口は小さいのでそこに口をすぼめてちゅうちゅうというかすーすーしているのである。
でも、効果はあった。そのうち頭痛はしなくなった。でも吐き気が治らない。高山病だったと思うが、このときは飲みすぎだと考えていた。もう山では飲まない、なんて思った。トイレが遠いので吐きに行くのも面倒だし、3000Mの山小屋でゲーゲーしている図というのも情けなかったので我慢するのだが、けっこうきつい。何度も寝返りを打っては残り少なくなった酸素をひたすら吸っていた。
やがて吐き気もおさまり、すうっと眠りについたのであった。
こうして槍ヶ岳の頂上を制した吉祥丸の一日は終わったのである。

木曜日, 10月 11, 2007

槍ヶ岳登山 その6

しかしなんとまあ天気がいいのだろうか。
360度、見渡す限り一片の雲もなかった。真っ青な空。遮る物のない絶景…。
想像してはいたが、最後のはしごを登り終えて眼にした光景に、文字通り息をのんだのだった。

槍の肩にザックを置いて、ストレッチで体をほぐした後、水とカメラだけを腰に下げていよいよ山頂に向かった。
三点確保がどれほど必要になるのか。また高度感はいかほどなのか。けっこうドキドキした。
で、いきなり三点確保の岩場になる。慎重に登れば簡単だった。登り終えるといったん反対側に乗っ越す形で「小槍」の脇に出る。この小槍を見たとき、少しビビった。燕で見た子槍がこんなに間近に迫っているのだ。かなりの迫力だった。そしてその下は結構な絶壁だった。ちゃんと立っていれば危険はないが、槍の穂先にいるんだと感じられる場所である。
その後、再び三点確保で登り、一つ目のはしごに取り付く。ここもたいして問題はなかった。
さらに岩に取り付けられたボルトを頼りに登ることになるのだが、ここが強いて言えば難しかったか。吉祥丸は強引に体を引き上げたが、体の小さな女性や子供はちょっと往生する箇所かもしれない。

あとは2つのはしごを連続で登るだけだ。2つ目はやや長く緊張するが、一歩一歩、一手一手しっかり意識しながら登れば問題ない。問題なのはこのはしご登りが意外に疲れるということだ。とはいえ、坂道と違って疲れたから休憩というわけにはいかない。でもかなり息が上がるのである。まあ、下を見なければ問題ないでしょう。見てる余裕もなかったが。

結果的に2往復したのだが、怖さはあまり感じなかった。しっかり緊張して登れば問題ないレベルである。下りもクサリ場があったがクサリはほとんど使わなかった。岩に相対して降りるほどでもなく、そのままズルズルと降りていく感じだ。片道約20分。地上3000Mのアスレチックである。

で、頂上。

ふと見るとこれまで何度もネットや雑誌で見ていた山頂の祠があった。ああ、この位置にあったのか、と納得。なぜか勝手に登りのはしごの近くにあると想像していたのだ。

山頂は思っていたより広かった。ちょうどブーメランのようにくの字型になっていて、広さは8~10畳ほどか。登ったときは7~8人いたが、十分に場所のスペースはあった。

何はともあれ写真を撮りまくる。何枚撮っても撮り飽きない。目の前には雄大で美しい景色が広がっていた。

人が少なかったので長居した。50分くらいいたろうか。それでも飽きることはなかった。
槍に登るのは4度目という夫婦に会ったが、これほどの天気でかつ無風なのは奇跡だと言っていた。槍の山頂は天気が良くても風が強いのが当たり前で、のんびりなどしていられないのが普通なのだそうだ。
まったく最高のシチュエーションではないか。



昨夜の弱気のことや家族のことなどを考えながら、槍の頂上を満喫すると、ようやく腰を上げた。

約20分で肩に。クサリはほとんど使わない。そういえば、登りも下りも岩が暖かかった。なんか槍に祝福されながら、登っていいよ、と言われているような暖かさであった。が、ちょっと日陰の岩を触るとひんやり冷たい。それは、調子に乗るなよ、一歩間違えるとやばいぞ、という槍からの警告にも思えた。

肩に着いて前記のようにこの先どうするか迷ったが、結局、なにはともあれビールで乾杯することに。もしかしたらこの先まだ歩くかもしれないので350mlにしておく。500円。ちなみに500mlは750円だった。高いけど、払う価値はある、かな。


カールに面したベンチでグビッとやる。うまいなあ。マジでうまい!

見上げると槍。目の前には常念岳。遠くに富士山。真下にはカールがどこまでも続いている。風はなく、快晴の下、ビールを片手にひたすらまったりするのであった。

写真:上は頂上。祠と青空。
その下はテン場から見る槍と山荘。左手前は公衆トイレだ(100円)。
その下はテン場。あまりこの写真はネットでも見ない。狭いけど整地されている。階段状になっていて30~40くらいは張れるようだ。 奥は大喰岳。
一番下は「キッチン槍」。山荘に入ってすぐ右にある。生ビールやカレーもあったが遠慮した。

月曜日, 10月 08, 2007

槍ヶ岳登山 その5

槍が見えた時点で吉祥丸の腕時計の高度計は2600Mになっていた。ということはあと400Mで槍の肩に着くということだ。距離は1500M。まだあるなあ、というのが正直なところだったが、槍も見えることだし、いよいよラストスパートと考えれば足も進むというものである。

もっとも、肩についても終わりではないというのが萎えるところだ。頂上はそこから200M弱。しかもこれまでとは違う岩場の急登である。

が、そんなことを今から案じても仕方ない。とにかく肩に着くことだ。穂先に登れるかどうかはそのときに残っている体力で決められるだろう(実際は穂先への登りは、なんというか「別腹」だった)。

ここから8分ほど登るとヒュッテ「大槍JCT」の道標があり、さらに11分登ると坊主の岩小屋に着いた。播隆上人はこの岩の中で最高50数日間も過ごしたという。とてもまねできないが、彼の信念が槍ヶ岳をこれだけ身近なものにしたのも事実だから、彼の功績には敬意を表さないわけにはいかないのである(実際の彼の信念はちょっと邪道?のようだが)。このときには休憩する下山者がいたのでできなかったが、帰りにここを通ったときには合掌して安全に穂先に登れたことを感謝した。

岩小屋を越えると、いよいよ穂先が近くなる。殺傷ヒュッテも近くなる。が、依然として肩は遠い。

それでも「あのカーブを超えたら休憩」とか、「あそこまでいけばかなり楽になるはず」などと思いながら一歩一歩進んでいくと、だんだん槍が目前に迫ってきて、さらにいつの間にか殺傷ヒュッテを追い越してしまっていた。
そして、しばらく登り、何十回目かの「あのカーブで休もう」と思っていたカーブに着いたときだ。ふと上方を見上げると、もう次のカーブはなく、あとの山道は一直線に山荘のある肩に続いているのだった。

えっ、これで終わり? というのが素直な感想だった。いや、決して体力的に余裕のある「もう終わり?」ではなく、山道はまだまだ続くだろうという絶望の中に見えた希望、とでも言おうか。だから、嬉しいと同時にほっとする感情のほうが大きかった。体力的に限界になっていたのは、一目散に山荘に登って行けず、あとわずか数Mを残して立ち休みをして休憩を取らなければならなかったことでも明らかだろう。
とはいえ、ようやくなんとか槍の肩に到着したのである。
時刻は10時7分。ババ平を出てから3時間46分が経っていた

さあ、あとは穂先の往復だ!

写真説明:一番上はヒュッテ大槍JCT。まだあとひと登り、といった場所だ。
2番目は岩小屋。中は人が3人くらいが入れるほどの広さ。でも風雨はしのげそうにない。上からの雨ならまだしも、間口は広いので。
3番目は追い越した殺傷ヒュッテ。後方に常念岳が見える。ここまでくればあと一息、である。
一番下の写真は最後のカーブから槍ヶ岳小屋を見たところ。あとは一直線に登るだけなのだが、それがうまくいかない。

金曜日, 10月 05, 2007

息子とフライ作り


槍から帰って息子孝行をしようと思い、前から約束していたフライ作りを教えた。

ちょっと前に朝霞ガーデンに釣りに行ったとき、本当はおじいちゃんからもらった釣竿とリールを使い、ルアーで一尾釣りたかったんだけど、一抹の不安があったのでフライも持っていったのだ。

で、案の定、ルアーでは釣れず、フライの出番となった。フライボックスをいじっていると息子が覗き込んで歓声を上げた。「これパパが作ったの?」初めて見るフライの美しさに感動したようだった。しかも、フライだと結構釣れるのである。当然の結末と言うか、フライの作り方を教えることを約束したのだった。

そして久しぶりにフライ作りのデスクを開けた。実はこのデスクの上はパソコンのモニターが置いてあって、容易には開かなくなっている。FFをしなくなってこのデスクはモニター置き場と化していたのだった。もちろん、デスクの中に何があるか、息子は見たことがなかった。その息子の前でデスクを開ける。そこにはかつて吉祥丸がちまちまと買い集めたフライ作りの道具やマテリアルが所狭しと溢れていた。
喜ぶ息子。やはり、こういう何かを作る作業というのは男心をくすぐるのだろう。プラモデルと同じような感じかもしれない。しかも目の前には数多くの部品がずらっと並んでいるのである。

とりあえず基本を教えると、真剣になって作り始めた。うまくいかないが、初めはそんなもの。出来上がりも決して美しくはないものの、フライは美しければ釣れるというわけではないからね。むしろ不細工なフライのほうが釣れたりするものだ。

吉祥丸も忘れていたフライ作りの楽しさを思い出して何本か作った。ビートルというカナブンを模したフライを作ったら息子に感動された。そんなわけで、あっという間にフライが増えた。

息子は自家製のフライボックスを作り、そこに作ったフライを入れた。

息子は吉祥丸がいないときも母親にモニターをどかしてもらって一人で作っているようだ。よしよし。
またD40にクローズドレンズをつけて接写すると、これまでうまくいかなかったフライの写真が綺麗に撮れた。これも嬉しかった。

フライ作りの楽しさは出来上がったフライで魚釣りができることだ。これがプラモ作りだと、作ったプラモを飾って眺めるしかできない。

さあ、これらのフライをいつ使おうか。 写真は初めて息子が作ったフライ。ビーズヘッドの赤虫フライだ。

木曜日, 10月 04, 2007

槍ヶ岳登山 その4


ババ平を出たのは6時21分。大曲(水俣乗越)までは平行移動。そこから登りが始まった。ただ、傾斜はきつくない。ゆっくりゆっくり、徐々に徐々に高度を上げていく感じだ。当然、その分距離が出る。
前方を見ると、はるか遠くに登山者がいるのがわかる。「あそこまで行くのか~」やや萎えるところである。本当はあそこまでどころか、さらにその先に登りが待っているのだが、視認できない登りは実感がわかない。むしろ遠くに見える小さな登山者が、この先の困難を予想させて辛くなるのだ。

とはいっても、登るしかない。やることは一歩一歩足を踏み出すことだ。

やがて大きなカーブとともに槍沢のカールが見えてくる。が、槍ヶ岳はまだだ。このあたりから方位の関係で日陰がなくなった。いきなり暑くなる。半そでのTシャツ一枚になるが、ふと思い直して、長袖のTシャツの袖の部分だけを両腕に通した。日焼け止めを持ってこなかったので、こうする以外にない。格好悪いけど、この晴天ではあっという間に焼けてしまうに違いない。歩きにくいということはないので、このスタイルで登ることにする。

1時間ほど登ると、天狗原分岐に出た。ここで、ここまでほぼ一緒に登ってきた登山者がザックを置いて天狗原のほうに向かった。おそらく天狗池で逆さ槍を撮るのだろう。「そうか、そういう選択肢があったか」と思ったが、じつはこの時点ですでにバテバテだった吉祥丸は、さすがに寄り道をする気力はなかった。といって帰りに寄れる保証もなく、またこの天気が明日も続くとは限らないので、逆さ槍を撮るのは今しかチャンスがないかも、などと後悔するのだが、もう分岐から登ってしまった。戻るのは論外なのでそのまま登ることにする。

分岐から45分ほど登ると水沢に出る。最後の水場だ。最初はどれが水場かわからなかった。前にいた夫婦は沢の水を汲んで飲んでいた。吉祥丸もその水を汲みながら、いくら水沢でも沢の水はどうかな、と思い、ふと見上げると岩とハイマツの間から水が流れ落ちているのが見えた。明らかに岩の間を染み出た湧き水である。こっちだ! そう確信した吉祥丸はそこまで登って水を飲んだ。冷たい。うまい。ペットボトルを満杯にし、さらに飲んだ。ペットボトルには粉末のアミノバイタルを入れる。これがうまくて、このあとの登りを大いに助けてくれた。

が…。ちょっと進んだところでこの水を飲もうとしたら手が滑った! 冷えたペットボトルは水滴を持ち滑りやすくなっていたのだ。手から落ちたボトルは斜面を転がり、3M下くらいで止まった。ガレ場の落石が発生しやすい場所だ。だが、放っておくこともできない。この先水なしではそれこそ生命にかかわる危機だ。仕方がないので恐る恐る取りに行く。やはり浮き石だらけでズルッといったら盛大な落石を発生させそうだ。ゆっくり足場を確保しながら下る。ようやくボトルを回収、今度は登りだ。これも気を使いながらゆっくり慎重に登って、ようやく元の場所に戻ったときは10分くらいロスしてしまった。こ山ではんな大したことのない崖っぷちでも水を飲むときに注意しなければならない、そんな当たり前のことに気づかされた。アクシデントではあったが、これで気合が入ったのも事実。そしてちょっと進むと…。

槍が見えた!

ふと振り向くとそいつはそこにいた。まだだいぶ遠いけど、今まで見たどの槍より大きかった。

これでがぜんやる気が出た。不思議と歩きも軽快になる。
あとはこの槍を見ながらひたすら登るだけだ。

写真説明:上の写真はババ平から少し進んだところ。まだ平坦な道だ。でも景色は最高。天気も最高だった。
次の写真は天狗原ジャンクション。「JCT」という表現が使われているのがかっこいい。
3枚目は一目見てわかるとおり野生の日本猿。大人で座っている座高で60cmくらいか。近づくと警戒したが逃げなかった。ナナカマドの実か何かを茎の根元からバリバリ食べていた。
最後の一枚は槍が見えたところ。画面右側から歩いてきて左に抜ける場所。槍沢カールの入り口だ。ここから槍を正面左に見ながら登っていくことになる。ゴールは見えているのだが、見えているだけに? なかなか進まない。ちまにみここから槍ヶ岳山荘まで距離1500mの表示があった。

槍ヶ岳登山 その3

まずは初日。沢渡でバスに乗って(この時もワクワクじゃなかったなあ)、上高地に着いたのは7時半ごろだった。初秋の平日の上高地は観光客もいないし登山客も少ない。肌寒く、重いザックを前に気持ちが萎える。

軽くストレッチをしていざ出発。

この山行は吉祥丸にとって初めて一人での山歩きとなるので、子供や妻のいない自分のペースというものが、いわゆる普通のコースタイムと比べてどうなのかを知るチャンスだった。

前回の涸沢では明神まで1時間半かかっているが、どんなもんだろうと思いながら、でも、別段急ぐわけでもなく歩いていたら、なんと38分で着いてしまった。コースタイムは50分だから結構早い。気をよくした吉祥丸は休憩も取らずに次の目的地、徳沢へ。42分で着いた。これもコースタイムより20分程度早い。横尾には51分で着く。いや実に速いペースなのだ。急いでいるわけでもないのだが。

横尾でおにぎりを食べる。あまりに速いペースだったので、この先早く着きすぎるとやることがないなと考え、ここで30分くらい休んでしまった。


10時21分横尾出発。30程度で槍見河原到着。久しぶりに肉眼で見る槍。遠い。

そこから10分ほどで一ノ俣の橋。ネットでさんざん見ていた橋が目の前にあるというのはなんか感動する。

さらに10分ほどで二ノ俣の橋。ここからやや登りになる。

槍沢ロッヂの標高が1820Mで、横尾が1610Mだから、約200Mの登りだ。ちなみに、ババ平は2080M。ということは、今日は後470M登らなければならない。もっとも、次の日はさらに1200M登るのだ。底まで考えると憂鬱になるのだが、とにかくひたすら前進するだけだ。

ちょっと登りが辛く感じられた頃「もうすぐ槍沢ロッヂ がんばって」の看板が。でもこの「もうすぐ」というのがどのくらいなのかが非常に気になった。ただ「もうすぐ」と言われても5~25分くらいの幅があると思う。「あと10分」と言われた方が実際は20分かかっても、この時の精神状態的には楽になると思うのだが…。

それはさておき、結局、ここから10分でロッヂ到着。11時43分。上高地から5時間はかかるとふんでいたが、実際は休憩を入れても4時間とちょっとで来てしまった。俺って健脚? なんて思いながら結構満足でしばし休憩。

今日はあと30分くらい登るだけだから気は楽だ。カップラーメンを食べベンチで一眠りする。起きてもやることなし。さっさとババ平に行ってテントを張っても良いのだが、あまりの天気の良さで、たぶん、日陰のないテント場は地獄ではないかと想像したのだ。
2時間ぐらいうだうだして、1時42分ロッジ出発。結構シビアな登りにハアハア言いながら36分でババ平到着。ネットでおなじみの光景が広がっていた。

しばし休憩の後、テントを張る。
さらに今日のディナー、キムチ鍋を作り、そしてビール!

翌日の登りを考えると気が重くなったが、天気もいいし、ビールも鍋もおいしく、この時はなかなか満足の気分だった。

で、夜。前記のように暗くなるのである。

そうしながらも寝てしまった。でもぐっすりとは眠れない。何度か目を覚ます。3時過ぎだったろうか、チャリーンと鈴を鳴らしながら誰かが通った。まだ真っ暗である。槍沢ロッヂからだと思うが、随分早いなあ、と感心してしまう。同時に鈴の音がこの世のものではないようで、播隆上人ではないか、などと震えてしまった。

また寝てしまって起きたのは5時。5時半に出発しようと思っていたのにこのていたらくだ。でも、最後の2時間はぐっすり眠れた。寝起きも良かった。急いで支度を始める。

が…。作った朝食「キムチ雑炊」がいただけなかった。朝っぱらから食えないし辛いし、量が多すぎた。完全に失敗。ジプロックにつめて置き去りにすることに決めた。

この日はテントと寝袋、マット他を置いて登ることを決めていた。情けないが、どうしてもテントをかついで登れるとは思えなかったのだ。この判断は正解だったと思う。

だが、いざテントを置き去りにしようとする段になって、なんかそれを見ていたやつが「お、あいつ空身で行ったぞ。盗もう」なんて思うんじゃないか、とか考えて行けなくなった^^;

実際はそんなことないのに被害妄想になってしまう。と、もう一人の人も空身で行くらしく、テントのジッパーを閉めて歩いていった。ほっとした吉祥丸もジッパーを閉めて(念のためジッパーの位置を記憶して)、いよいよ、槍への道に一歩を踏み出したのだった。

写真説明:上の写真は上高地バスターミナル。人もまばらで寂しい。バックには焼岳が見えた。
次の写真は横尾から見る前穂東壁。天気がいいのでバッチリ見えた。
その下は槍沢ロッヂの広場に設置されていた望遠鏡。槍が見えるというので見てみたら、これがすごい望遠鏡で、穂先に立っている人が見えた。感動すると同時に本当にここに行けるんだろうか、と不安になる。
一番下の写真はババ平。閑散としていた。

槍ヶ岳登山 その2

槍の穂先に立ってからほぼ2週間が過ぎた。相変わらず左足裏の骨が痛いし、両足の親指の爪が変色している。筋肉痛はなくなったが、吉祥丸の体にとって実にハードな山行だったと改めて思う次第である。というか筋力、体力不足に過ぎないんだけど。

さて、2週間も経つと、喉元過ぎればなんとやらで、あの時の苦しさを半分以上忘れてしまっている。
いい気なもんで、いまは「次は軽量テントで勝負だ」とか、「なんであんなにいい天気だったのに南岳までの稜線歩きをしなかったんだ」とか考えてしまうが、 これはあの時の状況を少しでも思い出せば実にいい加減な考えであることに思い至る。

とにかく苦しかったのだ。一人ということもあり、また未知の道ということもあって常に漠然とした不安があって疲れを増幅させていた(と思う)。
そんなわけで、槍の肩に立った時の考えは三つだった。
1、このまま槍ヶ岳山荘に素泊まりする
2、南岳まで行って南岳山荘に素泊まりする
3、ババ平まで下ってテント泊する

3の選択肢なんて今考えると、なんてもったいないと思うが、その時は「早く家に帰りたい」「金がもったいない」という二つのジレンマがあった。
ババ平まで下っちゃえば明日の行程が楽で、さらにそれだけ早く家に帰れる、と考えたのだ(午後一番に沢渡まで行ければ渋滞なしで帰れると思った)。

あの最高の天気の中でこんな事考えちゃうんだから、今にして思えば悲しいが、前回も書いたように、やはり一人は寂しいのであった。

で、2の選択である。実は穂先に登って気をよくしたときは「よし、南岳まで行ってやろうか」と考えたのだ。時間は12時前だったし、十分行ける距離である。で、目の前にある飛騨乗越と大喰岳を見てみた。
まあ、行けるかな、と思ったのも束の間、山荘入り口からテント場までのわずかな坂道に足の筋肉が悲鳴を上げてしまったのだ。
こりゃだめだ、と思いました。同時にちょっと調子に乗って欲を出した自分を戒めた。ここまでヒーヒー言って登ってきたことを忘れたのか、行けるわけないだろ、って感じです。ただ、何度も書くが、今にして思えば行けたかな、と…。
あの時は南岳まで3時間かかるとふんでいて、それが躊躇する原因でもあったのだけど、よくよく考えてみると、ここまではコースタイム以下で歩いてきているのである。3時間といわず、2時間、いや2時間を切って行けたかもしれないのだ。もっとも、この時の吉祥丸にそんな考えは浮かばず、早々に2の選択肢は消え去ったのだった。

でも、あの天気での南岳までの稜線歩きは、おそらくもうないかもしれない。千載一遇のチャンスを逃したのかも…。まあ、山におけるこういう後悔はみんなしているんだよね。今更しょうがないので、次回にとっておくことにしようか。

さて前置きが長くなった、って、今までは前置きかい!

まずは写真説明。一番上の写真は、横尾から30分くらいか、槍見河原で見える穂先。遠いなあ、本当にあのてっぺんまで行けるのだろうかという不安にかられる場所である。一方、帰りの場合は、いやあ、しかし、本当にあのてっぺんまで行ったんだなあ、昨日のこの時間にはあのてっぺんにいたんだぜ、すげえなあ、と思うことになる場所でもある。

次の写真は槍沢ロッヂまでの河原沿いの道で見える美しい梓川。ほんとうにきれいだった。イワナも一杯いるんだろうなあ、こんなところでFFできたら最高なのに(雰囲気だけでなく良く釣れると思うので)、と思わずにはいられない景色である。マジで美しい流れだった。

その下は色づいたナナカマドの実。この赤と紅葉とそのバックに槍の穂先、という写真は紅葉の時期の定番カットである。

最後の写真はババ平にあるトイレ。あまりネットでも見たことなかったのでアップしておいた。カギがかからないが、あまり不自由はない。中にいるとがさごそ音が出るので、外の人にも「あ、入ってるな」とわかるからだ。でも女性は不安かもしれないが。中に竹の棒のようなものがあったので、もしかしたらそれをつっかえ棒のようにしてカギ代わりにするのかもしれない。
いずれにせよ、このトイレにはお世話になった。この行程中最も使用したトイレだった。

木曜日, 9月 27, 2007

槍ヶ岳登山 その1



登頂からかれこれ一週間が経ってしまった。まだ足が痛い。
一週間前のいまごろはまだ行くかどうか迷っていた。いや、迷っていたといえば当日、諏訪ICにまで来てもまだ迷っていた。天候不順で、あるいは健康不安でというわけではない。今思えば単に「一人が寂しかった」からに他ならない。
なんとも情けないが、事実なのだから仕方ない。

この間読んでいた「槍ヶ岳開山」(新田次郎著)の中で、槍ヶ岳を開山する播隆上人は、登山は念仏修行と同じだと説いていた。いわく「一心不乱に念仏を唱えることが極楽浄土への道であり、登山も一心不乱になれるという意味ではこれに勝るものはない」。つまり山にいる間は虚心坦懐な境地でいられると言うのである。確かに歩いている間は何も考えていないと言っていい。せいぜい次の一歩か次の休憩場所、水分の補給や量などについて考えているに過ぎない。たいそうなことは考えられないのである。
問題は休んでいるときだ。特に夜。考える時間が有り余っている。一人でいる場合はなおさらだ。テン場に着いてテントを張り、食事の用意をして食べて、片付ける…と、もうすることがない。本を読むか日記を書くか、物思いにふけるかだ。で、この物思いがよくない、否、本来はとてもいいことなのかもしれないが…。
確かに一人で自分自身を見つめるのにこれほど適した環境はないだろう。

実は吉祥丸は行く前からこの時間を楽しみにしていた、今後の自分、家族について一人でじっくり考える時間としては最適ではないかと。
だが、実際はそれどころではなかった。上記のように諏訪ICに着いた時点でさえ迷っている始末である。それが携帯もつながらない大自然のど真ん中に一人ぼっちなのだ。不安と寂寥感に押しつぶされそうになったのである。

自分を見つめなおすという意味では、結果的にこの環境は良かったのだが、それは今思うこと。そのときは後悔の念で一杯だった。だから、帰宅してサプライズで垂れ幕があって「念願の槍ヶ岳登頂おめでとう! おかえりなさい」と妻や子供たちが書いてくれていたときには、めちゃくちゃ嬉しかった反面、気恥ずかしさもあったのだった。「いや、そんなにたいそうなことではないんだよ、じつはババ平で泣きそうだったんだから」…そんな思いだったのである。

それにしてもババ平での一夜ほど寂しかったときはない。本来なら一人で北アのど真ん中でキャンプ。星空。明日は槍ヶ岳…最高のシチュエーションではないか。でも吉祥丸は寂しくて気が滅入っていた。全く楽しくなかった。これはもう個人的な資質なのだから仕方ない。あるいは慣れか。

まあ、いずれにせよ少しは強くなった? いや、そうではなくて、自分がいかに情けない存在かを、そして家族の存在がいかに自分にとって重要かを再認識させられたのである。うん、やはり有意義な一夜だったわけだ。

このときの日記を記そう。

<20日の心の揺れはなんだろう。一人じゃ寂しいのだ。やっぱり一人は嫌いなんだよ、おまえは。それなのにみんなといるときは不満ばっかり。一人旅、とくにこういう孤独な旅は身にしみて自分のこれまでの独りよがりを反省するね。妻、娘、息子(原文では固有名詞。以下同)、無事に帰ったら好きなことをしてあげる。マンガでもDVDでも妻にももっとやさしくしよう。絶対に、心に誓う。
本心は早く帰りたいのだ。槍の登頂は、それはしたいけど、一人は嫌だ。この北アの真っ只中に一人きりというのは、それを楽しむ、という気持ちにはまだ(!?)なれない。家を出るときからこうなることはわかっていた。でも一度やりたかったんだ。そう、やらなければ絶対後悔する、やっておけばよかったって。でも実際にやってみて、実は精神的にも肉体的にもきついことがわかった。もうわかった。だから帰りたい…。
諏訪ICでの自分なんて笑っちゃう。自宅から190kmも来ていながら、帰ろうか、なんて思ってるんだ。というか調布ICに乗るときも、自宅を出るときも、やっぱり帰ろうか、なんて思っていた。これから始まる冒険を前にウキウキワクワクなんて心境じゃなかったんだ。妻!会いたい…。出張に行って離ればなれ、とはワケが違うね。なんだろうこの距離感は。ケータイが通じないからかもしれない。いまケータイで話ができたらどうか。う~ん、それよりやっぱり、歩いてしか来れない、という距離じゃないかな。その距離が寂しさをUPさせるんだと思う。
俺にとって一番好きな大切な瞬間がわかった。それは家族が無防備で足下に寝ていて、それを見ながら酒を飲んでいるときだ。ああ、こう書いていて涙が出てきそうになる。家族が寝ている間に飛び出して山に行くことではなく、その場で家族とともにいることが俺の幸福の頂点なのだ。帰ったら家族をもっと大切にしよう。やさしくしよう。いい夫、父でいよう>

全く情けないのである。が、これがオレなのだ。再認識できるという意味では、やはり山は素晴らしいと言わざるを得ないのである。

なにやら全然山行記ではないが、これは極私的日記だからいいのだ。

水曜日, 9月 26, 2007

槍ヶ岳の記録 まずはルートデータ


写真は槍ヶ岳頂上。祠の右手に先月登った燕岳が見える。
槍ヶ岳登山 ルートデータ  2007年9月20(木)~22日(土)

20日
上高地7:38→(38分)→8:16明神→(42分)→8:58徳沢9:02→(51分)→9:53横尾10:21→(33分)→10:54槍見河原→(11分)→11:05一ノ俣→(10分)→11:15二ノ俣→(19分)→11:34「もうすぐ槍沢ロッヂ」標識→(10分)→11:43槍沢ロッヂ13:41→(36分)→14:17ババ平

全行程 6時間39分  歩行時間 4時間17分

21日
ババ平6:21→(18分)→6:39水俣乗越→(42分)→7:21大岩→(11分)→7:32天狗原JC→(41分)→8:13水沢→(17分)→8:30槍沢(槍見える)→(8分)→8:38ヒュッテ大槍JC→(11分)→8:49坊主の岩→(78分)→10:07槍の肩
肩10:31→(18分)→10:49穂先穂先11:32→(20分)→11:52肩

肩までの行程 3時間46分

22日
槍の肩5:53→(82分)→7:15天狗原JC8:17→(30分)→7:47天狗池7:50→(27分)→8:17天狗原JC→(34分)→8:51水俣乗越→(19分)→9:10ババ平9:37→(16分)→9:53槍沢ロッヂ→(28分)→10:21二ノ俣→(8分)→10:29一ノ俣→(43分)→11:12横尾11:24→(50分)→12:14徳沢12:35→(48分)→13:23明神13:34→(49分)→14:23上高地

全行程 8時間16分 歩行時間 7時間23分(天狗池往復を除くと6時間28分)

火曜日, 9月 25, 2007

3180M!


槍ヶ岳に登頂した!

日本第5位の3180M!


でも標高よりも「槍に登った」という事実が嬉しいのだ。

天気も最高で実に有意義な山行だったが、単独行でもあり、いろいろ考えさせられる旅であった。


レポは後日。


写真は往復1時間かけて撮った「逆さ槍」だ。

日曜日, 9月 16, 2007

槍への道

21日から3日間の予定で槍ヶ岳に登るつもりでいる。初めての単独行。しかもテントを担いでの山行だ。行程40キロ。標高差1600m。累積標高差はさらに増える。

今の吉祥丸にとってそんな過酷な登山がはたしてできるのか。しかも、季節は秋。下手をすると雪が降る。でもなあ、行きたいんだよなあ、槍。いったいどんなところかこの目で確かめたいのである。
来年、という手もあるのだが、せっかくの連休だからなあ。

ただ、涸沢~奥穂という選択肢もあって、この場合はカールにテントを置いて空身での往復となる。こっちのほうが楽でしょう。奥穂まではちょっと長いが約700mの登りだ。こちらも捨てがたいルートではある。
昨年のリベンジという意味合いもある。

とはいえ槍は来年、息子と登りたい、そのための下見も兼ねているのだ。

う~ん、迷うなあ。

問題はあと二つある。一つは天気。もう一つは体調だ。天気はうまくいけば20日から回復し、絶好の登山日和となる可能性が高い。
体調は、今はあまりよくない。左手中指が腱鞘炎のようで痛くて力が入らない。岩登りに支障をきたすかもしれない。あと、肩から背中にかけての一部も寝違えたような痛さがあるのだ。

明日、医者に行く。治れば行くぞ!

さて、明日は休みなんだけど何をしようか。
午前中は医者に行った後、土手を歩く予定だ。歩いたまま「彩香の湯」に行く。ひと風呂浴びて、温泉で痛みの治療をし、そして湯上りのビールだ!

で、問題なのは、どこで飲むかである。そのまま銭湯で飲むのもいいが、できれば近くで焼き鳥か餃子で一杯やりたい。近くというのは、駅までの無料バスが銭湯から出ていて帰りに利用しようと思うからだ(帰りも歩いて帰るのは辛いからね。汗かくし)。

駅まで帰ってから飲むという手もあるか。でも、誰かに見られたらやだな。昼からやっているかわからないし。やっぱり銭湯の近くがいい。でもそうなると安楽亭か蕎麦屋しかないか。

それほど焼肉食べたくないし、ちょっと飲むのには高いか。蕎麦屋のつまみって、板わさ? う~ん、ぴんとこない。やっぱり中で飲むか。

帰ってきてからどうするか。妻は仕事でいない。3時過ぎに息子が帰ってくる。娘は部活があって夕方かな。
釣りか?
それとも妻のためにみんなで料理をしようか。カレーとナンにサラダ、なんていうのはどうだろう。

帰って妻と相談だ。
っていうか今夜は何を食べようか^^;

木曜日, 9月 13, 2007

燕岳 その4


燕岳頂上へのハイキング。振り返れば常に槍、穂高、そして北アの山々。
雲一つない超快晴。

至福の時間ですね。

下の写真は花崗岩の岩によじ登って遊ぶ息子。そんなことしてはいけないと思っていたら、近くにいたガイドらしきおじさんが、同行している子供に向かって「登っていいぞお」と言っていたので、息子にも許可した。

俄然、おもしろがる息子。2700mのアスレチックだ。


下の写真は下山途中の合戦尾根から燕山荘を振り返ったところ。
おとぎの国のような景色だった。

ただ…。このあとの1300mの下りが大変だった。膝、腿にきた。3回くらい転びそうになった。危ないなあ。

息子だけが元気で、飛び跳ねるように下っていく。一緒のペースで下っていた若い兄ちゃんも「すげえ! なんであんに速いんだ!」と唸っていた。
危ないのでもう少しペースを落とした方がいいのだが、息子は聞かない。まあ、安全な登山道だからいいでしょ、ということで放っておいた。


下山はほぼコースタイムで下れた。

駐車場に戻り、とうとう重い登山靴から解放されてビーチサンダルを履く。満足感とともに安堵の思いで満たされた。

帰りは有明荘で汗を流した。大きな露天風呂があった。「泳いでいい?」と聞く息子。他にも人がいたのでもちろんNG。ただ、その後、人がいなくなったときにOKを出してあげれば良かった。 あまり楽しみのない息子にとって心から楽しめる数少ないイベントのはずだからね。今度はもっと息子の気持ちを優先させてあげよう、と今は思うのだが、さてどうなるか^^;

というわけで吉祥丸一家の北ア2回目登山は終了したのだった。
次はどこに登ろうかなあ。

追:帰りの中央高速で35kmの大渋滞。結局帰宅したのは深夜12時を過ぎていた。これからは帰宅の計画も立ててから山行しなければ。お疲れ…。

日曜日, 9月 09, 2007

息子とキャンプ


初めて息子と2人でキャンプに行った。キャンプと言ってもオートキャンプ。場所は道志川沿いの「山伏オートキャンプ場」。
天気は雨の予報だったが、この日以外は2日続けて休める日がないので決行した。釣りには雨のほうがいいし、多少の雨ならキャンプだって平気だろうと判断したのだ。
結果は…。まあ正解だったんじゃないかな。ハプニングもあったけどそれもまた今となっては楽しい思い出だ。

ハプニングは息子にではなく吉祥丸に起きた。釣りで夜のバーベキューのおかずを調達するつもりだったがこれがなかなか釣れない。確かにハイプレッシャーの道志川だから無理もないのだが。そのために「道志川フィッシングセンター」で釣ろうと思っていた。釣り券1000円が流用できるらしいからだ。が、実際に行ってみると、釣り券が利用できるのはFFの人だけと判明。悔しいので本物の川で粘ることにした。

しかし…。訪れた道の駅裏から川に入ろうとしたら…。ぬかるみに足を取られてしまったのだ。しかも底なし沼のように膝下まで入ってしまって抜けない! なんとか脱出したものの靴は泥まみれになってしまった。
一挙に戦意喪失の吉祥丸。マジでこのまま帰ろうかとさえ思った。
でも、息子の「キャンプ場に帰って反省会をしよう」という言葉に励まされ、ま、こういうハプニングも楽しもうという気になったのだった。

結局釣れないまま、雨でびしょびしょになったので撤収。キャンプ場にチェックインした。客はさすがに少なくて吉祥丸たちを入れて4組ほどか。自由に場所を選んでいいと言うので川沿いの一等地にする。
雨は上がっていたのでさっそく息子とテントを張る。息子はわがままを言わず手伝った。そういえばこの旅行中、息子はいっさいわがままを言わなかった。とても従順だった。2人だけだからか。よくわからないが、癇癪を破裂させない息子はとても健気に見えた。

雨で枯葉や枯れ枝が使えないので、薪を買ってきて火種になる細かい木くずを採取した。結構時間がかかった。その間、息子はテント内でマンガ読書。

ようやく木屑が集まると、チャコスタを使って炭をおこす。が、最初の炭熾しは失敗で、全然火力が上がらない。といってもう一度木くずを使って火を起こすとなると、焚き火の火種を使ってしまうことになる。悩んだ末、もう一束薪を買うことにした。翌日、結局フィッシングセンターにも行くことになるし、なんかやたらと金が出て行く旅行だった。

受付まで行って薪を買う間、息子は火の番。その間、竹串とたまねぎを使ってアートをしていた^^;
焚き火のための木くずはあとで取るとして、再び着火させ、今度はしつこいくらいに薪をくべて炭を熾した。今度は完璧だった。

その後、焼き鳥とモツなどを焼いて食べた。大変だったけど腹を満たすことはできた。ここまでビールの消費量は1L。満足満足。ただ、雨が霧雨で横方向から降ってくるのには参ったけど。
焚き火をしてUNOをするつもりが、息子は眠たくなったようだ。時間は9時半。息子がテントに入って就寝した。吉祥丸はしばらくバーボンを飲んでいたが、そのうち眠たくなってしまう。しとしと雨のなか、じっくりあれこれ考えながら酒を飲もうと考えていたのだが、結局、何も考えられないまま眠ってしまった。
深夜に目を覚ます。なんか頭が痛い。二日酔い? その後、たびたび目を覚ましては息子の寝袋の乱れを直したりした。

5時半ごろ息子が目を覚ます。でも、今度は吉祥丸が眠くて6時半まで睡眠。息子はマンガを読んでいたようだ。
6時半に息子に起こされ、おなかがすいたという息子のために朝食の準備をする。その前に息子にコーンスープを作り、吉祥丸はコーヒーを飲んだ(ライターやマッチがどこかに行ってしまって難儀した)。

雨はやんでいた。時おり日差しもあった。玉子焼きをはさんだホットサンドの朝食を取ると、天気が崩れないうちにと、吉祥丸一家のキャンプとしては早い撤収が始まった。
片付けはしかし、思った以上に時間がかかる。妻がいないからなおさらだ。濡れた道具を乾かす必要もあった。

結局2時間ぐらいかかったか。その間、息子は風船ガムの記録に挑戦していた。

キャンプ場でナスとピーマンのオお土産をもらって、道志道を下る。フィッシングセンターに寄ることをまだ逡巡していた。目の前で放流された魚を釣って面白いかどうか。でも、何にも釣れないよりましか。そんなこんなで迷っていた。
とりあえず、川を見てみることに。橋の上から偏向グラスで息子に見させる。と、魚があちこちに見えるではないか。さすがに放流量が違うのである。魚が着く場所にはちゃんと魚がいた。興奮する息子。じゃあ、やってみるかということになって、3000円払って5匹のヤマメを放流してもらう。

一投目からかかった。これは外してしまう。2投目。釣れた。ヤマメだ。25センチくらい。久々に見る魚体だ。息子も喜んでいる。天気は曇り。日差しを遮るものがないのでこのくらいの天気がいい。
そのあと1匹のヤマメを追加し、さらに虹鱒も隣の釣り場からゲット。結局3時間くらいで7匹釣った。
吉祥丸は虹鱒しか連れなかった。

大満足ではらわたを出し、管理人からもらった塩を振って氷を詰めた。そして昨日からの汚れを落とすべく道志の湯に向かう。露天風呂が意外に小さく人で一杯で入れなかったが、内湯も窓が開け放たれていて露天みたいで気分が良かった。

息子はコーヒーアイス。吉祥丸はミネラルウォーター。ああさっぱりだ。

帰りがけに自宅に電話して渋滞状況を聞いた。あわせて携帯で調べるとなんと19キロの渋滞。高速をあきらめて下で帰ることに。

下の道は意外に空いていて約3時間かからずに帰ることができた。
おたる寿司でお持ち帰りの寿司を買って、釣った魚を塩焼きにして自宅でお疲れさん会。

ビールがうまい。まあ、事故もなく喧嘩もなく、魚も連れて満足の旅でした。

また行きたいなあ。

水曜日, 9月 05, 2007

家族団欒

昨夜の夕食時のこと。娘と息子が珍しく仲良く話していた、というか歌っていた。
アニメの主題歌当てみたいなことをやっていたようで、これがまた次から次へと良く出てくる。
途中から参戦。知っているだけの曲を問題にした。
ガンダムやエースを狙えなどを出すと、古〜い、とか言われた。確かになあ。でも彼らがその曲を知っているのに驚いた。
終始笑顔の絶えない夕食だった。

こんな時間に幸せを感じるとともに、もっとこうした時間を作らなければと思うのだった。

といいつつ本日飲み会を入れてしまった吉祥丸であった(≧▽≦)

水曜日, 8月 29, 2007

燕岳 その3

テントの夜。外は雨。ときにバラバラと強くフライシートをうちつける、そんな時間は決して楽しいものではない。むしろ明日の山行を思って憂鬱になってしまう。限りなくネガティブになる状況だ。

この時の吉祥丸は息子に対する懺悔と、思いのままにならない天候に対するジレンマで一杯だった。

時間は深夜1時。眠れない。何度も寝返りを打つが眠れない。そのうち気温が下がりだしたのか、テントの中も寒くなってきた。このときの吉祥丸は、下はパンツ一丁、上は長袖Tシャツ一枚だった。息子は半そでTシャツである。これはまずいと思った。でもなかなか動けない。高山病か。今度2700mを越えるときは酸素発生装置を携帯しようと思った。

3時。ようやくフリースを着る。息子にもフリースを着せてやる。靴下を履いた。ようやく寒さが遠のく。息子は大丈夫だろうか。一応、ぐっすり寝ているようだ。後に聞いたが、全然寒くなかった、のだそうだ。

これで寝られるかと思ったがやはり寝られない。まんじりともせずに夜の明けるのを待つ。

4時。ようやくうつらうつらしてきた。一度、ジッパーを開けて夜空を見てみた。満天の星。天の川が見えた。よしよし。明日は(今日だけど)いい天気になりそうだ。しばらくして、妻が目を覚ます。「星がきれいだよ」と教えてあげると、自分で外を見る。「きれい」。と、「あ、流れ星!」。お~! なかなか感動的な夜である。さらにもう一度「また見えた!」。吉祥丸は見る気もなかったが(高山病か)、妻は感動したようだった。

しばらくすると夜が明けてきた。でも吉祥丸はここから眠くなった。やがて妻の声に目を覚ます。「もうすぐ夜明けだよ」。いやいやながらテントの外を見ると、青空と地面の影の合間にオレンジ色の帯が見えていた。面倒ながらもカメラを出して、ま、写らなくてもどうでもいいや、なんて思いながらシャッターを押す。と、どうだ! 実に美しく、夜明けのドラマの一端が写し出されたのである。俄然やる気になりましたね。よし、ここまで来て天気がいいんだから、ご来光を撮ってやろう、そう思った。

数分後には着替えを済まし、D40を抱えてテントを出たのだった。
そして迎えたご来光&モルゲンロート&北アの山並み…。スゲエ! その後何回この言葉を繰り返しただろう。来てよかった。心底そう思える絶景が待っていたのだった。

天候。山行においてこれに勝るプライオリティはあるだろうか。

今回から写真を大きくした。見やすいし、臨場感があるし、感激が伝わると思ったから。

日曜日, 8月 26, 2007

燕岳 その2

時刻は午後3時ごろだったか。燕山荘にビールを飲みに行った。

あたりは一面のガス。何も見えない。半分やけくそ気味で大ビール1000円を注文。ビールはうまかった。

トイレに行って(きれいだった)帰ってくると、妻がなにやら隣の初老の人と話している。これがまた話し好きな人でこのあと1時間くらいおしゃべりした。飽きてしまった息子は一人でテントに帰って漫画を読んでいた。

ただ、この人の話は大変参考になった。いわく「山の天気は9時まで。この時間まで快晴でもあとはどうなるかわからない」つまり天気予報はあまりあてにならないということだ。台風のときの話も興味深かった。雨は下から吹き上げ、暴風はこの頑丈な山小屋を揺するという。
リタイア生活を山で満喫しているようで、北海道の山は日本離れしていて素敵だったとか、燕岳は北アの入り口に過ぎない、ここから蝶ケ岳の稜線歩きが素晴らしいんだ、とか、ワクワクさせてくれるような話が一杯だった。こんな出会いが楽しく、ほどよい酔いもあって幸せな気持ちになったが、息子のことが心配だったのと、ちょっとこの人の話が長すぎたので^^; 後ろ髪を引かれながらテントに戻った。

そういえばテント設営を息子が手伝ってくれた。2割ほどの労働力だが、けっこう使える。また、石を集めてテーブル作りも始めていた。結局、食事は寒くてテントの中でとったのでこれは使えなかったが。

息子がカップラーメンの中身を全部こぼしてしまい、叱る。でも叱るべきではなかったな。息子はすでに反省しきりだった。こんなときこそ「かまわないよ。次から気をつけろよ」って頭をなでてやるべきだった。反省。

なんだかんだいって いい時間になる。夕食の準備を始める。今日の夕食は定番となったちゃんこ。

ところが、息子に高山病の症状が。ぐたっと横になってしまって食欲がないと言う。う~ん、困った。ひどくならなければいいが。

結局ちゃんこはかなり残してしまった。明日の雑炊で平らげることにして、今日は寝ることに。息子には(というかみんなも)UNOをする元気もなかった。

シュラフにくるまると早々に寝息を立てる妻。吉祥丸はその日の感想をメモに記す。そのときに書いたメモがこれだ。

<妻も息子も寝てしまい、ウイスキーを飲みながらこれを書いている。
今日の反省。けっこうきつかった。いや、かなりきつかった。息子も辛そうだった。楽しみといえば赤とんぼ捕り。ただ登るだけなんてつまんないようなあ。
そして今、テントの中。8:00 雨…
素晴らしい景色でも見られればがんばったかいがあるというものだけど、それさえもないとなるとかわいそうだ。かといって連れてきたのはオレだけど…>

どうやら雨の音で気持ちが沈んでいたようだ。涸沢の二の舞になるのではという危惧が頭をかすめていたのである。そしていつもそうだけど目の前には無邪気で健気な息子の寝顔が。反省しちゃうんだよなあ、こういう時って。

眠たいのと書くときの姿勢が辛くでメモはこれでおしまい。しばらくして眠りについた。

が、寒くて1時ごろに目を覚ます。そして眠れなくなり…。山の夜って熟睡したことない^^;
妻が裏やましい…。

写真は翌朝の神々しい風景の一枚。来てよかったと思える一枚だ。

火曜日, 8月 21, 2007

燕岳登山 その1


燕岳の朝は素晴らしかった。左の写真のような絶景が目の前にあり、御来光も見事だった。もちろん、そこに至るまでは通常の登山とはレベルの違うきつさがあったが…。

なにしろ「北ア三大急登」の一つである。登山口である中房温泉から燕山荘まで、平らな場所は30mもなく、ずっと登り。しかもじつに急な登りなんである。
さらに我々はテントを担いでの登りであった。これまたいつもより5kgは重い負荷がかかっていることになる。登山前にスクワットなどやってある程度は鍛えたつもりだったが、甘かった。帰りの下りではもうヘロヘロ。三回くらい足がもつれた。

息子もいつもと違ってきつかったようだ。早々に根を上げザックを放棄して父親に持たせた。
妻もこれまでで最高にきつかったようで汗はダラダラ、顔に生気がなかった。確かに最初の第一ベンチか第二ベンチまでは汗がしずくとなって滴り落ちるのである。妻は高校の部活以来だと言ったが、なるほどここまでの運動は(暑さがあったとしても)ここ数年にないレベルである。

最初の休憩場所、第一ベンチまでがやたらと長く感じられた。6時に出発して第一ベンチに着いたのが6時48分。コースタイムは30分だから、このペースはやや遅い。
もっとも、先を急ぐわけでもなし(本当はテント場確保のため、少しでも早く着いていたかった。実際、我々の到着の十数分後にはでテン場が一杯になってしまった)、子供もいるし、テント担いでいるわけだから、その分は差し引かなければならない。

ちなみにこの日のコースタイムは、
中房登山口(6時)→(6時48分)第一ベンチ(7時)→(7時30分)第二ベンチ(7時45分)→(8時25分)第三ベンチ(8時42分)→(9時33分)富士見ベンチ(9時49分)→(10時30分)合戦小屋(11時10分)→(12時45分)

やはり休憩時間が長くなる。計6時間45分。コースタイムは4時間だから、吉祥丸の予想(早くて5時間、遅くて6時間)よりもかかってしまった。もっとも、純粋な登山時間だけを見ると4時間45分。まあこんなもんでしょ。

ただリーダーは余力を残していなくてはならないのだがそれどころではなかった。バテた。荷物が重かった。最後は富士山登山の時のようにカメの歩みになってしまった。合戦小屋から燕山荘まで1時間35分もかかってしまったのはそのためである(コースタイムは1時間)。

それにしても長い登りだった。荷物がもう少し軽ければ自分のレベルに合っている山だろうが、この荷物を背負ってとなるとやはりきつい。さらなる体力アップ、というか筋力アップを図らなければならない、としみじみ思ったのだった。

合戦小屋辺りからガスがかかってきた。それまでは快晴だったのに。この後翌朝まで晴れることはなく、燕山荘からは楽しみにしていた(それが目的だった)パノラマビューは望むべくもなかった。夕日もなし。すこしがっかり。いや、かなりがっかり。辛い登りのごほうびに絶景が見られないとなると何のために登ってきたのかわからない。少しため息が出た。吉祥丸はいいとして、妻や息子に息を呑むような絶景を見せてあげたかったのだ。
結局、この絶景は翌日拝めることになるのだが、この日はガスのせいもあって更なる疲れが吉祥丸にのしかかったのだった。
それでも天気予報は晴れだったので、明日への望みについてはかなり楽観的だったけど。

持ってきたビールが凍っていて飲めなかったので燕山荘で生ビールを飲むことに。
吉祥丸が大ジョッキ(1000円)、妻が中ジョッキ(800円)、息子がイチゴミルク(600円)也。
これがうまかった! これまでも山でビールを飲んだことはあったが、意外にうまくなかったというのが正直なところだった。高山ゆえの味覚の変化か、疲れすぎて味わうどころじゃなかったか…。
しかし、ここでのビールは下界で味わういつものビールのそれ、いやそれ以上だった。もちろん、汗もかいたしここまで登ってきたという達成感もあるので、さらに格別の味だった。

無事に登ってこられたことへの感謝と、辛い登りをよくぞこなしたという喜びをかみ締めながら、妻と息子と乾杯したのであった。