日曜日, 11月 26, 2006

涸沢の試練 その11

明神を出てしばらくするとあたりは急激に暗くなり、ヘッドランプをつけなければ歩けなくなった。
が、そうはいってもまだ多少は明るい。吉祥丸は迷わず灯りをつけたが、息子は「もっと真っ暗になってからつけないともったいない」などと言ってつけなかった。妻は「暗いからつけて~」とせがむのだが、息子は応じない。そんな軽口ができるほどに我々も回復していたということだ(^^;)

真っ暗な中(後で聞いたがこのあたりはクマが出没するそうだ)、やはり娘は怖いのか(目が悪いということもある)、吉祥丸と手をつなぐことを望んだ。いつもなら絶対にあり得ないことだ。たぶん娘とこんなにしっかり長時間に渡って手をつなぐことはこれで最後だろうな、と思いながら手をつないで歩いた。

そして50分ほど歩くと…。かつて「私をスキーに連れてって」の名シーン「万座の灯りだ」と同様に、上高地の灯りが目に入った!

とうとう着いた。ザックの重みが腰に食い込んでいるが、そんなことは関係ない。あと少し。もうちょっとでゴールだ。実際は自宅までのおよそ260kmのドライブが待っているが、とりあえずは終点、というか悪夢のようだった涸沢山行から解放されるのだ。

灯りが目に入ってからしばらく行くと小梨平のキャンプ場の中に入る。ここがちょっと迷路のようで迷うのだが、ちょうどキャンプ中の人が灯りを求めて吉祥丸に近づき、ついでに道を教えてくれたので助かった。

その人は明日涸沢に行くという。「上はどうでしたか」と聞かれたので正直に話す。と、「そういえば奥穂高と白馬で遭難者が出たようですね」と言うではないか。これにはびっくりした。でも、確かにあの天候なら遭難者が出てもおかしくないなと思った。でも、自分がいたテントと目と鼻の先で遭難者が出たとは何とも複雑、というか怖かった。吉祥丸たちだってテントがなかったらあっという間に遭難していたろう。ヒュッテまでたどり着けなかったら大変なことになっていたはずだ。後から知ったが、奥穂高では2人が遭難したが助かった。だが、奥穂高~西穂高の間で1人が亡くなった。今回の山行で心底思ったのは何も特別なことではない。「山を甘く見ては行けない」それだけだ。

そしてとうとう…。着きました。河童橋。そしてバスターミナル。安堵のため息が出た。

タクシー乗り場にはタクシーが3台ほどあった。
すかさず乗り込む。沢渡までお願いします。走り出す。ああなんて楽なんだろう。そして暖かいんだろう。文明のありがたさを痛感した。運転手ととりとめもないことを話す。ゲートの話やクマ出没の話はこの時のものだ。

約20分後。エス丸の待つ駐車場に着いた。本当に着いたんだ。感動…。

運転手に料金を払って車を降りる…、と、降りられない! 脚がまるっきり棒になっているのだ。カクカクとしてしまってうまく歩けない。その様は人形の様でおかしなほどだ。妻も同じ症状だったらしく、2人で驚いた。テントに入って楽にした後でもこんなことにはならない。大休止した後でもこんないはならない。それがどうだ。たった20分タクシーに乗った後ではもう脚が使い物にならなくなってしまった。

これはたぶん脳の問題だろうと思う。テントや休憩時にはまだ先があるので脳は体を心底リラックスさせないのだ。でも、もう終わりだと脳が判断したので、それまでの疲労を一気に吐き出させた。その結果がこの棒の脚なのではないか。通常なら一晩寝た後くらいに襲ってくる疲労が、タクシーの20分で現出した。これはそれだけこの間の山行の困難さを物語っているのではなかろうか。

確かに腹も減ったもんなあ。良く歩いたよ、本当に。子供も妻もよく頑張った。ありがとう、そしてお疲れ様でした。

久しぶりのエス丸になんとか荷物を詰め込むと、タクシーの運転手に教えてもらった温泉に行く。上高地ホテルというのがここから一番近そうで、実際、1分も走らずに着いた。温泉セットを手に車を出る。脚がうまく動かない。ホテルの前のわずか30cmほどの段差もうまく越えられない。でも、安堵感があるからか、こんな体の状態がなんだかおかしかくて笑えてしまうのだ。

上高地ホテルの温泉はいやもう絶品だった。久々の風呂、そして寒空の中を歩いてきた後の風呂、ということもあるのだろうが、これまでのどんな山行の後の風呂よりも体に、そして心に響いたお湯だった。

内湯の温度は熱いくらいで息子は入れなかった。だが、吉祥丸にとってはぴりぴりと体の節々を刺すようなお湯が無性にありがたかった。乾いた皮膚にお湯が染みこんでいくようで、「いや~極楽、極楽」そんな言葉が自然と口をついて出てしまう。

露天風呂はやや温度が低く息子も入れた。ふと夜空を見上げると、外の木々が風に揺れている。唐突に冬の日光で入った露天風呂を思い出した。吹雪の中、スノーシューも出来ずに温泉だけ入って帰ったのだが、吹雪というのは外にいると地獄だが、露天風呂の中にいると風情があるのだ。上高地ホテルの露天風呂で風に揺れる木々は風情があるが、涸沢のテントで経験する風の強さは心地良いものではなかった。同じ自然現象でも場所によってこうも感じ方が違うのかと思った。

実際、この後の吉祥丸一家の価値観の基準はこの時の涸沢になっている。「あの時の涸沢に比べれば」とか「涸沢にいたらこうだったね」とか。その基準は涸沢に比べていかに今が恵まれているか、または恵まれすぎているかというものだ。そういう意味では今回の涸沢山行は我々にとってとても意義のある経験だったといえるのではないか。

絶品の湯を堪能した後、ホテルのロビーでしばしまったりする。

ふと見ると、売店の上に紅葉の涸沢のパノラマ写真が!美しい!絶景である。晴れてさえいればこれが堪能できたのだ、そう思うと実に悔しかった。自分はまた来ればいいが、娘はもう来ないだろう。娘にこの景色の美しさを知ってもらいたかった。

ホテルを出て、さあ、腹が減った。なにしろ朝ちゃんこ雑炊を食べてから、行動食以外何も口にしていないのだ。レストランを探しながら松本ICに車を走らせる。8時頃だった。

結局、店があったのは松本ICのすぐ近くまでいったところだった。息子は寝てしまっていた。でも、腹は減っているだろうし、何も食べないというのは体に良くない気がして、無理矢理起こした。が、当たり前だが機嫌は最悪。ひとしきり泣いた後、レストランの椅子で寝てしまった。

他の3人はここでようやく文明的な食事を取る。金さえ出せばこんなにも贅沢な食事が(ハンバーグだったが)出てくることに若干の違和感を覚えながら食べ終える。

さあ、これから220kmのドライブだ。だが、走り始める前から眠気があった。案の定、高速に入るとすぐに強力な眠気が。まず諏訪サービスエリアで約20分の仮眠。だが、走り始めてすぐに眠気。どうやら温泉に入って気持ちいい眠気、ではなく、本格的な夜の睡魔が襲ってきているらしい。ここまでがんばってきて、ここで事故を起こしたらシャレにならないので、この後3回ほど計2時間の仮眠を取った。そのおかげもあって、約100km先で起きていた大渋滞も自然に解消していた。

ようやくと自宅に着いたのは午前2時だった。お疲れ様。

寝ている息子を抱いて運ぶ。みんなすぐに眠れずあれこれ今回の山行のことを話した。そのうち息子が起き出してお土産にしていた夕飯のピザを食べる。そして今度は4人で再び今回の涸沢の試練について話した。内容は覚えていないが、安堵とともにビール&焼酎を飲む吉祥丸は、この時間が実に幸せなひとときだと実感するのだった。

みんなが眠りについたのは朝方4時を回ってからだった。ほんとにお疲れさんでした。でも楽しかった!

写真は晴れていたら2日目の午後のおやつにしようと思っていたカップヌードル。ザックの中で割れてしまった。