日曜日, 10月 15, 2006

涸沢の試練 その3


本谷橋から涸沢までの約3km、700mの登りは、これまでの登山の中で一番きつかった。
まずザックが重い。雨がいやらしい。加えてこれまで9km歩いているので疲労も蓄積されている。それよりも何よりも不安が大きかった。
何時間で着くのかが読めないのだ。1時間半なのか、誰かが言ったとおり3時間かかるのか、真っ暗になったらどうやってテントを張ろうか、それよりそもそも登り切ることが出来るのだろうか。
こんな不安とともに登ったのは初めてだ。

富士山の時と同じように一歩一歩、短く、しかし確実に登っていく。

行程の多くは息子と登った。息子は比較的元気だった。途中で手が冷たい、と訴える。触ると氷のようだ。さすったり息を吹きかけたりする。どうやら雨具の下はTシャツ1枚のようで、これじゃあ、冷えるわけだ。すぐさま長袖のフリースを着させる。そして吉祥丸のフリースのグローブを出してはめてあげる。大きくてダボダボだが、寒いよりはましだろう。少し元気が出たようだ。

吉祥丸は素手だった。
吉祥丸は歩くとすぐに末端まで血液が循環して手足がポカポカしてくるのだが、子供や妻はそうではないらしい。保温に気を使わなければならないのである。

今思ったが、結局、息子はTシャツにフリース1枚、その上に雨具という格好で、涸沢の吹雪の中、テント張りを手伝ったのだった。もう1枚着させるんだったなあ。またもや後悔。


娘と合流したときに案の定、またヒンヒンが始まった。すると通りがかりのおじさんが励ましてくれ、酸素を提供してくれた。少し長めに補給させてもらう。これで気分的にも楽になったのか、少し元気が出たようだった。このおじさんは涸沢に着いてからも何かと気をつかってくれたそうで、ほんとに頭が下がる思いだ。この場を借りてお礼を言います。ありがとうございました。

登りは相変わらず辛かった。苦しい、と言った方が正しいか。特に息子の手袋を直したときにストックを忘れたと思って引き返したときが最悪だった(実際は娘が持っていた)。下って探して見つからず、再び登り返した。ここでちょっと焦ってスピードを上げたため、左右の腿の上部が悲鳴を上げた。違和感とともに痛みが伴い、ヘタに力を入れるとつりそうになってしまったのだ。
こうなると俄然スピードが落ちる。先を行く妻や娘、ちょっと前の息子のスピードに全然ついていけなくなって、あとは一人で登ることになった。

雨は止まず。ザックはびしょびしょ。腿は爆弾を抱えているようで、怖々前に進んでいる感じ。
最悪ビバークすることを考え、テントを張れる場所を探しながら歩いていた。

S出しのガレ場でヒュッテが見た。見えてからが長い、とガイドブックには書いてあったので、見えても嬉しくなかった。ただ、着実に進んでいるんだということは感じられた。

10歩くらい進んでは立ち休み。それを繰り返しながら登った。幸いこの日は登山者が多く、いくら吉祥丸が遅くても、後方には後から登ってくる登山者が絶えなかったので、その分不安は軽減されていたと思う。

段差は激しくないものの、登りは延々と続く。平坦な箇所はない。常に登りだ。立ち休みをするといくらか回復するので、それを繰り返しながら何とか登っていった。

息子の姿が15mほど先に見えるがとても追いつけない。とにかく早くテン場についてテントを張って休みたかった。ヒュッテについても雨の中テントを張る作業が残っていると思うと憂鬱になった。

そのうちまたヒュッテが見えてきた。今度はかなり近い。もうすぐだもうすぐだ、と自分に言い聞かせながら登る。
やがてヒュッテまでの道のりがすべて見渡せる場所まで来た。直線にして200mほどか。しかし最後の急登だ。立ち休みの頻度を上げながら登る。

と、雨が雪に変わっているのに気がついた。雨具のフードに当たる音がサラサラという乾いたものになった。雪!嘘だろう、という気持ちだった。この寒さ、高度、時期からすれば確かに雪が降ってもおかしくないのだが、吉祥丸が登っている今この時に降らなくても、と思うのである。だが、無情にも横殴りの雪が目の前にあった。


だが、ここまで来たのだから仕方ない、テントを張りさえすれば人心地つくはずだ。
ふと上を見ると妻と娘の姿が見えた。
彼女たちはもうすぐ着くだろう。俺を待っているはずだ。早く行かなきゃと思うのだが、やはり一歩一歩しか進めない。最後は数歩ごとに立ち休みした。

そしてとうとう…。

ヒュッテ到着!「パパ、こっちこっち、早く!」息子が待っていてくれた。時間はわからない。見ている余裕などなかった。たぶん、5時過ぎだったと思われる。
しかし、ゆっくりなどしていられない。すぐにテントを張らなければならないのだ。

と、ここで息子が建物の陰に消えてしまった。建物の中に入ったのかなと思ったが、吉祥丸はテン場に向かった。すぐにテントを張らなければならないからだ。

が、テン場は何百というテントで埋め尽くされ、はるか遠くに行かなければ設営する場所がなさそうだった。そして、テン場はまさにふきっさらしの場所なので、これまでの数倍の強さの風雪が吹き荒れていた。3人は見つからない。たぶん小屋の中にいるのだろう。呼びに行かなければ来ないかもしれない。

まったく、この時の気分をなんと例えればいいのか…。

3人は来ないし、あまりにも風が強いので、実はこの時、テント泊をあきらめ、小屋に素泊まりすることにしたのだった。

テン場を後にし、小屋に戻る階段を登っていると、3人が顔を出した。やはり小屋の中で待っていたのだという。しかも妻は吉祥丸のために涸沢名物のおでんを買っておいてくれていた。しかし、いくら待っても吉祥丸が来ないので慌てておでんを平らげ、外に出てきたというわけだった。あの辛い登りのあとで、なお吉祥丸のことを気遣ってくれる妻にはほんと頭が上がらない。しかも、妻はことあるごとに(登り着いたときやテントを張り終えてテントの中に入ったときなど)、ご苦労様、大丈夫?と気遣ってくれた。こんな苦行に連れ出した張本人になぜこんなに優しいんだろう、と思うのである。そしてただひたすらに感謝するのである。
3人の姿を見たら、やはりテントを張ろうという気持ちになった←ころころ変わるなよなあ

そうして、いよいよ暴風雪の涸沢のまっただ中で合流した吉祥丸一家は、とにもかくにも、テントを張るのであった。だが、このテント張りの15分ほどが、この最悪の山行のなかで最も苦痛に満ちた時間となるのだった。